ミスターセキグチの教え

 急に冬になった。コートの一着でも欲しい。先日JBCクラシックの日、関口房朗川崎競馬場に来た(http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20061103#p1)。そこで、「競馬には一番高い服を着て行こう」とのたまった。一つには欧米のように着飾った社交の場たるべきという意味だろう。しかし、印象に残ったのは次の言葉だ。すなわち「良い服を着ると、集中力が違う」と。
 俺はこれ、わかるような気がする。衣服・装飾が人間の内面に及ぼす影響は、とても大きいと思う。制服は言うに及ばず、腕章一つでも人間の意識というのはぐっと変わってくる面がある。内から外へばかりではなく、外から内へ。内面と外見は干渉しあう関係にあると思う。よい服を身にまとったからといって、即中身もよい人間になるわけじゃない。しかし、及ぼす何かがあるのだろう。
 さて、ワーキングプアそのものの俺は、高い服とは無縁だ。無縁だから二段落目のようなことに思いを巡らす。巡らす時点で、「良い服」の実感がないということを証明している。一般階級の人ならば、言葉にせずとも了解するところの事柄だろう。プアに見合ったプアな服しかない。下手すれば、ちゃんとしたハワイアンシャツが一番高いなどという状態だろう。
 すっぱいぶどう。集中力が高まったからといって、馬券が当たるようになるだろうか?