ホゲットミーノット

 今朝のテレ朝、スーパーモーニング。トップから伝えるは、例の記憶喪失氏(id:goldhead:20070628#p1、id:goldhead:20070629#p3)の続報。プライバシーとかあるから無理かな、とも思っていたが、本人はともかく父親から話は取れたよう。やはり家族と会ったところで即記憶回復のドラマはないよう。自分のことがわからなければ、親のこともわからない、という段階。

 出てきた医師の話によれば、心因性健忘症とのこと。おそらく、病院では外傷や薬物についても調べたろうから、残るはそういうことだろうか。曰く、強いストレス、大きな借金だとか、悩み事に直面し、記憶を失うことがあるという。現代人特有の病気という(江戸時代にどうしてなかったといえるのだろうか?)。
★★
 妙な話だが、自殺するよりマシかな? と思った。上のような理由で追いつめられて、命を絶つ人も多い。というか、記憶喪失になる人の方が圧倒的に少ない。が、脳か何かが「この本体は自殺しようとしている。全生活史弁閉鎖! 記憶を閉じろ!」と命じて、いきなり記憶を失うように人類が進歩するようになったりするかもしれない。
★★★
 しかし、それまでの記憶を失った彼は彼なのか、私は私なのか。そこらあたりについては、フィリップ・K・ディックがよくテーマにしたところだ。攻殻機動隊でもいい。それまでの生活史を失って、なお俺は俺なのか。アイデンティティの問題とでも言うのだろうか。
★★★★
 五蘊仮和合、「いま、ここ、自己」しか問題にせずの禅者であれば、生活史を失ってもへいちゃらだろうか。しかし、悟りは脳の障害に持ち越されるのかどうか。船が難破するとき禅定に入り、坐禅に印を結んだ形でぷかぷか、浜に流れついて「坊さんの土左衛門だ」と人が集まってきたら、何事も無かったように立ち上がり、すたすた立ち去ったという坊さんの話をどこかで読んだが、あまり関係ないか。
★★★★★
 いずれにせよ、人が記憶喪失に惹かれるところがある(から山ほどのフィクションで使われる)のは、ほのかな願望があるのではないかという気がするのだが、どうだろう。むろん、そうなってしまった人や家族にとっては、そんな呑気な話ではないだろう。しかし、死や病、そういったものに(付加されたイメージに)対するあこがれ、そういったものは、存在する。
★★★★★★
 真っさらな自分とはなんだろう。面白くない生活史を失った自分は、自分だろうか。生まれ変わりなのだろうか。これは一種の自分探しだろうか。無自分探しだろうか。かといって、記憶を失った人は、法があらわになった一無位の真人だろうか。そうとも言えないようだ。が、そこに何かのイノセント人間を見たい気はする……のも記憶喪失に対する無責任なイメージだろう。
★★★★★★★
 一気にスパモニに戻るけれども、まったく事件の可能性を考えなくていいのかな、と思った。どちらかというと、彼に大きな、個人的なショックがあった。あまり今は追及しない方がいい、という扱い。むろん、外傷や薬物の反応が無い、あるいは報道できない個人的なトラブルがわかった、などという理由があるのかもしれない。でも、ひょっとしたら悪意の第三者による何かかもしれない。「記憶を奪われた」というのが犯罪になるのかどうか知らんが、アパートや持ち物から指紋のひとつでも取ってみたらどうだろう。……というのも、記憶喪失に対する無責任なイメージだけれども。