http://www.netkeiba.com/news/?pid=news_view&no=22166&category=A
7日に蹄球炎が判明したウオッカ(牝3、栗東・角居勝彦厩舎)が、10月7日に仏・ロンシャン競馬場で行われる凱旋門賞(仏G1・芝2400m)への挑戦を正式に断念することがわかった。
牡馬相手に東京優駿競走を勝利した歴史的名牝ウオッカ号が、日本競馬の威信と期待を担い敢然と世界制覇を目指した凱旋門賞遠征であったが、不慮のアクシデントにより回避を余儀なくされ、日本競馬界は悲痛の念に……。
……という感じはしないな、俺は。「目標としていたレースがあったが、蹄球炎の影響で調整がうまくいかず、回避」なんていうのは、未勝利馬からしてある当たり前のこと。俺の中で、海外遠征、たとえ凱旋門賞であったとしても、どうもその範疇に入ってきているような、そんな感覚なのだ。いや、もちろん、ダービー牝馬が凱旋門賞に出るのと、未勝利馬が未勝利戦に出るのでは、天と地の開きがあるけれども、なんというか、その、うーん、難しいな。残念は残念だけれども、どっかしら冷めて「そういうこともあるよな」くらいの、そういう気持ちが、俺の中で勝る。「ウオッカの三歳時の凱旋門賞出走」は、今後56億7000万年競馬が続いたとしても、再び現れることのないただ一度の機会ではあるけれども、有力日本馬の凱旋門賞挑戦はまた訪れるだろうって。つーか、今年メイショウサムソンが行くわけだし。いや、もちろん、ウオッカとサムソンは別の馬だ。だけれども、やっぱりな。
でな、そこんところに一抹の寂しさもあるんだな。凱旋門挑戦がカジュアル、ユージュアル、そうなっていくことに。いや、当事者にとっちゃ大事業、一世一代のことだけれどもさ。それで勝ったりすりゃ、そりゃ日本でも、競馬全体を眺めたときにな。そこに、ハクチカラやタカマガハラの未知への挑戦や、シンボリルドルフの背負ったものや、あるいはサクラシンゲキが抵抗したもの……って、別にその時代のことは直に知らないけどな。
だけんども、ともかくその時代にその時代があって競馬があるだけ。ウオッカ三歳の秋、日本。これもまた、未来永劫二度目のない事象ならば、その刹那に俺も馬券買って、それを見るだけのこと。そういうものだろう。珍重。