『サマリア』/監督:キム・ギドク

サマリア [DVD]
 韓流などといって山ほど韓国映画の波が来て、波が去って、俺はとくに興味を持つものもなかったが、キム・ギドクの名前だけはちらちらと気になり、そろそろ頃合いかと『サマリア』観てみれば、なんだこれは、なんという映画をとため息をつくばかり。映像の色合い美しく(14型のブラウン管でな!)、少女二人の少女漫画的ともいえるような深く、軽い関係が描かれ、一つの衝撃、紹介にも書かれているとおり、一人が死ぬ(しかし、その前後、警察は来るだろうとつっこまざるをえないが)。そこから映画がどうなっていくのか、どこへ連れて行かれるのか、その行き着くところの息をのむ風景と光景、これに参った。俺はそもそも車窓シーンのある映画というとそれだけで許し、賞賛してしまうが、これも例に漏れない。車窓、自動車、なんてことのない黒いセダンが、これだけ存在感のあるものになるとは想像もしなかった、最初はその車のまま尾行したらばれちゃうんじゃないかとか思ったが、それどころではなかった。調べてみれば三章に分かれたこの映画の第三章のタイトル「ソナタ」、「ソナタ」というのは韓国の代表的な自動車の名前だというから、きっとのこの車もソナタだったのだろう。自動車好演シーンといえば、雨に濡れた落ち葉が積み重なるところ、ほかにハッとするシーンといえば、父親が朝飯を作っていて朝日の中に湯気がふわっとくるところ。しかし、いちばんハッとさせられるといえば、ロングショットの使い方で、これはずどんと撃ち抜かれる威力ある。威力、暴力、そうだ俺はもっとバイオレンスなのかと思っていた、いや、別にアクション活劇ではないが、キム・ギドクという名前の響きからして、なにか禍々しい暴力性があるのではないかと勝手に想像していたのだ。もちろん暴力もあって、まるで北野武のような痛みのある暴力であって、血が出すぎという気もするがあの鋭いビンタはなんとも言えない。暴力と静かなる美しさ、どこか似ているだろうかよくわからない。似ているといえば、韓国のラブホテル、駐車場のいりぐちのびらびらは日本のそれと変わらないようで、ただ建物の色合いなどは少し違って、部屋の様子もこの映画で見るかぎりは貸部屋のような雰囲気で、ホテルともちょっと違ったところがあるだろうか。援助交際をめぐる彼我の差はよくわからず、またキリスト教をベースにした価値観や、あるいは向こうの世代差間といったところの意識は正直わからないが、この父親の入り込んでいった闇の深さはうかがい知れよう。一方で少女は無垢であったか、イノセンスであったか、イノセンスが救ったのだ、父も娘も。聖即俗といえるか第一章、インドの娼婦。娼婦と無垢の女、処女、娼婦と処女は母でないという点において同位置にあるという見方があるが、この映画には母性が無かった、か。少女を買う男たちは穢れているか。そこまで、汚く、醜い存在には描かれていないというのが正直なところではないか。それなのに血で贖う、あるいは、それだからこそ死で贖わねばならぬのか。異様な緊張感、不穏な空気。少女たちのはかなくこわれやすい美しさ。なにか賞を獲っていれば必ず面白いとか名作だとか言うわけではないのだろうけれど、どこかの誰か、それも映画なら映画をたくさん観ている人が評価するなら、やはり確率は高いし、これはまさにそうだった。こんな不思議な終わり方の映画がどこにあろう、ラストシーンは今まで観てきた映画(もちろんたいした数ではない)の中で三本の指に入るし、作品自体、五本から十本の指の中に入れてもいいような気がしないでもないくらいだ。