我を過ぐれば……

goldhead2008-01-27

 なんだ、昨日の俺(日付的には今日)? なんて調子に乗ってるんだ。今日の惨状を見てから調子に乗れ、この間抜け、とんちき、おまんこ頭のインポテンツ野郎。今日の馬券の負けを考えたら、立つものも立たんわ。アホー、ボケー、ぐうの音のぐうって言ってみろ、バーカ、バーカ。
 というわけで、やっぱり馬券に望みを抱くなんてのは愚か者のすることだ。競馬場の門を過ぐれば憂ひの都あり、永遠の艱苦あり、馬券で滅亡の民ありってもんよ。たとえば、ほら、ずーっとギャロップに連載してる、誰だっけ、藤代三郎、あれなんて、俺が買い始めた中学生のころから、毎週毎週同じこと書いてるんじゃねえのって、「これこれこういう買い方はどうだろう→よさそうだ→欲目を出して失敗した……ならば、これこれこういう作戦は→…繰り返し」じゃねえのって(最近買ってないからわからんが)。ともかく、俺の何倍も馬券を買ってきた人間だって、そうなのだ。種銭に乏しく、勝負度胸のねえ、勘も鈍くて、頭も悪い俺に馬券あたるハズねえじゃん。ギャーギャー、でも、今日の京都の最終レース、ワーキングボーイの単勝だけってどういうことだよ、二番人気の相手抜かすってどんだけアホだよ。なんだワーキングボーイ、働けと言うのか俺に、働いとるわ、俺は。
 ……と言い切れるかどうか。たとえば、きちんと大学を出て就職でもしておれば、俺は人並みの稼ぎのあった可能性もある。しかし、それは決定的にありえないことで、就職活動など想像しただけでチンコしぼむ。きっと、馬券も人生も、おおよそ俺の持ち時計みたいなものは決まっていて、「お前タイムオーバー続きで用途変更‘乗馬’な」、と言われないくらいでなんとかやっているにしても、「中央場所の五百万下では厳しい」ってコメントされる、なんかローカル戦で入着がやっとの本賞金20万円くらいの出戻り馬くらいなものであって、たとえ芝だろうとダートだろうと仕事だろうと博打だろうとなんであろうと、もう飼い葉代くわえて帰るだけで精いっぱい。
 畢竟ずるに、俺が馬券を当てていい思いをするには、俺が変わらなければいけない。優れた知性、動じない精神、健康的な肉体……。そんなことをするよりも、まだ世界同時革命の方が簡単だ。異議無ーし、これからも俺は馬券で負け、人生で負け、のたうち回って地べたの虫、ヤナギムシ、メシマコブヤコブヤコブはパロに言った、「わたしの旅路のとしつきは、百三十年です。わたしのよわいの日はわずかで、ふしあわせで、わたしの先祖たちのよわいの日と旅路の日には及びません」。