久々に朝まで生テレビを見たこと

 飯食ってたらうとうとしちゃって、起きてみたら朝生やってるような、そんな時間だったわけ。蕁麻疹も出てて眠りたいところだったけど、うとうとのせいでピロラール飲んでもまだ起きてられる感じでさ。それで、馬券予想しながら最後まで見ちゃった、テーマは地球温暖化とかそのあたりだった。
 朝生なんてずいぶん長いこと見ていなくて、やっていることが驚きのような気すらした。右だ左だというのは見ていて辟易するけれど、この日は科学者数多くて落ち着いて見られた。ただ、田原総一郎は補聴器付けたほうがいいんじゃないかって、純粋に思うことは何度かあった。
 俺は科学のことはわからんし、わかりようがないというところで、ここで受けた感想も科学として、科学への態度として正しいかどうかわからない。だいたい、何が問題で、何が問題へのアプローチとして有効なのか、現実的なのか、科学から経済からの一気通貫であって、どれほどの人間がその議論に参加するだけの素地があるといえるだろうか。
 しかしながら、たとえば将来、ある選挙の焦点がある一つの環境問題に絞られたとしよう(郵政選挙みたいに)。その場合、まあ、政治家の方はわかっているとして、選挙民はどう判断すればいいのか。科学リテラシー、経済リテラシーがなくてはならん。そうなると、たとえば、高卒の俺一票、理系大学卒業者は二票、修士で三票、博士で四票などと、票の重さに差がついた方が、逆に公平なんじゃないかとも思うが、そうもいかないのだから仕方ない。
 仕方ないなりに見ていて、やはり印象、感想の部分では、向かって左側(司会者を正面として)の国立なんとか研究所の地球シミュレータ使いの人と、皮肉屋っぽいヒゲメガネの東大教授あたりの言うことに説得力を感じたわけ。地球温暖化人為論(?)に対する懐疑はとりあえず今のところおおいに劣勢っぽいなと。
 ようわからんが、ある水準以上の科学論文二千本だかを精査して、何百人のある水準以上の科学者の九割がイエスというなら、それはとりあえず九割イエスで考えていいんじゃねえかってさ。もしもノー側がそれを否定するには、同量にして同水準の反論を用意するか、すべてを覆す大回天の新発見新手法、どっちかだろう。
 と、かような多数決的判断が科学的に正しいのかどうかわからんが、歴史上のデータ解釈なるものが、真に立証が難しいとなれば、そのような方法しかないような気がするのだ。むろん、あくまで推測上であって、保留つきにしても、仮採用していかなければ何も活かせない、と。
 しかし、その保留や科学的態度がないがしろにして、必要以上に人心を煽り、正常な判断を失わせることになっていないか、という問題がありそうだ。しかし、煽ったところでそれなりにリスクがあると認められる温暖化に歯止めがかかればいいじゃない? なんか問題あるわけ?
 でも、温暖化のリスクから逃げるために、温暖化より高いリスクを採ってしまっては本末顛倒だ、と、向かって右側にいたセーターの人、横国の人あたりが言っていたわけで、それはなるほどと思われる。歩道で自転車に轢かれるのが怖いからと、車道を歩いて車に轢かれてはいけないのだ(もし自転車によるリスクが自動車によるリスクより高ければ、車道に行くべき)。
 温暖化問題は「良性の脅威」って言葉が出てきたっけ。これはたとえば、俺の体に謎のかゆみと発疹が出て、食生活やシャンプーの類、ストレスのある生活への見直し(見直せてないけど)への意識が生じたことの地球レベルのそれだろう。もちろん、発疹の原因が癌だったらそんな余裕はないのだけれど。
 というわけで、あとはなんだ、個人ができることか。どうも、日本の産業がちゃんと絞った雑巾、減量済みのボクサーに近いというのはたしかなよう。となると家庭。向かって右にいた女性弁護士によれば、家庭の増加分の三分の一は電力そのものによるもの。これは電力会社のチューンナップに係わる領域。
 もう三分の一が延べ床面積、だっけ? 戸数が増えているとも。まあ、膨大な部屋数のあるワンルーム・アパート群に住んでいる自分としても納得できる部分はある。田原が煽るように、デカイ家建てるなってことか? とまでしなくとも、税制その他によって誘導は可能だろう。
 それで、最後の三分の一が……節約とかそういう話だっけ。こっちの地球シミュレータ氏も言ってたけど、機器やその他で、四割減らせる余地はあるとかなんとか。心技体の心持ち部分と、技術による機器類の進歩、あとは体制のサポートか。
 「あれも我慢しろ、これは駄目だ」というのでは面白くない。ただ、NPOか何かの人が言ってたように、使い捨てしないところ、節約するところに楽しみや喜びを見出すことは可能だと思う。貧乏人の俺は、節約に面白さを感じる。プリウス乗ってて坂道下ってて電力溜まってくときは快感だと思う。なんか、節約したらマイルが貯まるとか、そういう仕組みがあればいいと思う。禁止と罰則は手綱を引くことだと思う。手綱を引かなければ暴走してしまったり、他の馬にぶつかったりしてしまう。ただ、手綱を引きっぱなしでは馬も走る気を無くすし、ろくなレースにはならない。よりよいレースをするには、馬の行く気にまかせ、そして、ステッキの合図とともにハミをかけ、下半身で胴を押し出し、気持ちよくスパートさせることが必要だろう。人々の喜びや快楽と、コース取りを一致させなければいけない。環境に良いと気持ちよくなる薬。生まれたときに脳にチップを埋め込んで、環境にいいことすると快楽汁をしたたらせるシステム。テレビのコンセント抜いて軽く濡れる奥さん、おうおう、俺のマイ箸見ろ、奥さん、エコバックが地元野菜でいっぱいだぜ、ああ、ああ、堪忍しておくんなまし、ほうら、太陽光で発電しているぜ、奥さん、いや、いや、なんてことを、電力が溜まってるんだよ、奥さん、やめて、ああ、堪忍、電気を消して頂戴、嗚呼、嗚呼。