柴田善臣について語るときに我々の語ること

 愛その他の悪霊について、また、人類の不幸や美徳のよろめき、言語にとって美とはなにか、人類は飽きもせず先祖の先祖のそのまた先祖から同じ事を語り続けてきて沈黙することがない。糠に釘打って釘打って何か貼りつけにしたような気になって、血まみれの手、その実、糠くさいだけの手を見てぢっと手を見る、ちょっと聞いておくれよまた話し始める。
 だから僕は柴田善臣について語ることをやめない。今日のマイネルアワグラスの騎乗にジャンボ納得いかなかったことを語らずにはおられない。道中の位置取りはよかったと思う。しかし、三角から四角にかけてはどうだろうか。後ろから切れ者たちが進出するのを、「ああ、どうぞどうぞ、私んところは中央の重賞も初めてで、準オープン抜けたばっかりですから」と言わんばかりに傍観し、一着争いがガリガリ行われているのとは無縁にスパートして、最後どっからか抜けてきて、五着に入ってる。
 このメンバー相手に五着。上々っちゃ上々だ。それに、この馬の脚質だって器用とは言えないかもしれない。騎手は行く気だったかもしれないが、馬が動かなかったのかもしれない。完全に作戦通りだったのかもしれない……などなど、もちろん保留しなきゃいけない要素は山ほどある。一概にヨシトミを責められるのか、と。今までこの馬を勝たせてきたのもヨシトミだし、上々、そう、上々の結果じゃないか……。
 と、擁護することに感じる無意味。かといって、「あそこでついていけ、勝負に出ろ」とヨシトミ相手に言う無意味。この全てをひっくるめて、お前は善臣の乗った馬を買った意味。ああ、わかっている。この騎手がどんななんだって、もう語り尽くしているし、語り尽くされている。ああ、しかしでも、それでも、たとえば、今日のレースを制した角田晃一との差について言わずにはおれない。なぜなんだ、あんた、その、なんというか、この納得させない感じといったら、ないし、これが人類の弱さなのか? ヨシトミは人類の調和と弱さを顕現しているとでもいうのか? ああ、おお、うう。

  • マイネルアワグラスのアワグラスは、今日の結果から水泡に帰す感じのグラスの泡という印象を勝手に抱いたが、hourglassであって、砂時計や水時計の類だってさ。