『平成幸福音頭』藤原新也

平成幸福(しあわせ)音頭
 「平成のどこが幸福なのか?」と思う。が、この本が書かれていたのはまだ平成生まれたてのころ。バブルの余韻もあって、まだまだ貧困から遠いころの話。泰平ボケのころの話。今現在、ボケてるところもあるが、もっと殺伐としているように思える。
 俺は昭和の終わりにさしかかった五十年代中盤生まれのくせに、平成以後はおまけという意識が強いのだけれど、その平成も今年で成人。かれこれ十五から二十年前を振り返ることができるという驚きだ。
 藤原新也というと(眠いので繋がりもくそもむちゃくちゃです。いつでもそうだけど)、いくらか決めつけがすぎるようなところもあって、人間の中であんただけが眼を持ってるのかと思うようなときあるし、それが嫌いな人もいるだろう。けれど、やっぱり俺は眼を持ってる人間だと思うんだなあ。個人的経験に沿いすぎたところもあったりするけど、やはり昔、さらに昔を書いた『乳の海』を読んだときも先見性みたいなもんに驚いたもんだけど、これ読んでもそうだった。気になるところをメモする。

 たとえばかつてはこの芝浦にも露地というゆとりの空間が方々にあった。(略)街が出来ていく過程の中で自然発生した余剰空間である。そしてその余剰空間は街を造る人間の思惑をはなれて生まれたにもかかわらず、その街がより人間的な空間として機能するためには実は不可欠なものである。というのは、その人の意図とは無関係に人為を離れた発生した余剰空間こそ、都市や街における唯一の『自然』と言っても過言ではないからである。そしてその余剰空間をべつの言葉で言うとするなら古来から日本人の精神性の中に息づく『間』という言葉に該当する。
「庭園散歩」P79

 ニッチみたいなものだろうか。都市計画の中で用意されたゆとりの空間に人は寄りつかないという。たとえば、完全に人工的なみなとみらい地区などでも、なーんだか妙なところ、マリタイムミュージアムのかげにある芝生んところとかに人が転がっていたりする。公園より土管のある空き地、みたいな。もちろんこの程度の感覚は、都市を計画する方の人だって知るところのものだろうが、かといって、それを盛り込んで都市計画したところで、用意されたそれでしかないのだろうか。

 まあつまりは、アムステルダムの市民公園での野エロが合法化というが、合法ゾーンでやるやつが増えるのか、減るのかというのは気になるところだ(新規参入者で全体的には増えそうな気がするが)。あと、未来的には、ナノマシンが勝手に都市を造るようになって、そのバグが……って、なんかのSFにあったけどなんだったかな。ゼノサーガ

母は強しという格言は女性が大自然との紐帯を切り結んでいた昔のことで、自然と切れた、つまり抽象化した女性ほど弱く間違いを犯しやすいものはない。“狂った母親”という存在は今日ではどの町に行っても掃いて捨てるほどいるものである。
「新世俗宗教とは何か」p103

 『生命の意味論』で多田富雄が“私には、女は「存在」だが、男は「現象」に過ぎないように思われる。”って書いてあったっけ。なんとなく女性にとっては面白くないところだけ切りぬいたが、もちろん女性批判ではない。戦後、産業構造が農業から第二次産業中心に移行するに従い、家族共同体が解体され、企業共同体に父親を取られたことによるという。その企業共同体がバブルとともに崩潰して、第三の共同体としてその地位を占めるようになったのが新興宗教、という見方。企業の拡張性と心のケアの両立、「物心両用の利益誘導型」。逆に企業が共同体としての地位を取り返そうという家族化、心の問題に触れる方向性。今日のIT新興企業などの妙なファミリー雰囲気やポジティヴさは、あるいはそういうテイストがあるような気もする。はてなとか。

 若者はもう子供を生もうとはしない。
 場所(家)なくして子供を育てる意欲はわかないのである。このことは十数年後には現在と比べものにならないほどの労働人口の低下となってあらわれる。一説によるとニッポン全企業体の三分の一が倒産する危機に見舞われると言われる。完璧なる消費の家畜として仕立て上げられたニッポン青年は、かつての六〇年代の青年たちのように、いかなる抑圧にも抵抗しない。
 しかし生物学的に自らを閉ざすことによって、あたかも無意識下の復讐を試みているかのようにも見えるのだ。
「90年代青年の奇妙な復讐の方法」P122

 サイレントテロって言葉はあんまり流行っていないようだけど、なかなか面白いと思う。ただ、口にするとサイレントではなくなって、あの丸山眞男をひっぱたきたいの人みたいに、「こんなに傷ついているんだ! わかってくれ、助けてくれ」という意思表示みたいにも見えておもしろくない。そして、十数年前にこれを予見していた藤原新也はたいしたもんだと思う。まあ、これが書かれたときに原因としてあげられていたのは土地の高騰などだが、今はもっと固められているという気がする。

願はくば日本経済がこのまま凋落の一途を辿り、人々が抱きはじめた自分自身への郷愁が本物になることを。
P116

 そしてこう来ると、俺の望む日本の終末願望と重なってくるのだ。

電波ほど無政府主義的なものはない。彼らは居ながらにしてあっちの水は甘いことを知った。

経済格差は昔からあったのだ。それを伝える情報の質と流れが変わったのである。
「スピル・オーバー」P183

 これが書かれた十五年前というから1970年代頃だろうか、台湾の金門島から中国大陸に向けて宣伝工作が行われていたという。すなわち、風船にラジオなどの日用品と宣伝文をくくりつけて、資本主義社会の豊かさを伝えようというわけ。しかし、あまりそれは効果がなかった。中国の農民は品物は受け取る物の、しょせんは宣伝だと思っていたという。その風向きが一気に変わった。大陸の人たちが、テレビの受信機を向けるようになり、本当に西側が豊かであることを実感したからだという。
 さて今、今の中国と来たら。そして、情報の質と流れ、インターネットはさらに変えただろうか?

 黙っていても足元から鬱蒼と草木の生えてくる、モンスーン気候帯における人口密度三百五十という、のどかな民族の精神身体の原質に“親和と謙譲と微笑”の気風が宿り、それとは逆の風土に住むイスラムの人々の精神身体の原質に“敵対と主張と怒り”の気風が宿るのは一つの原理的必然なのである。
イスラム感覚」P248

 ここまで言い切ってしまっていいのかどうかわからないが、しかし、意識すべきことだと思う。イスラムの問題はまたさらに接することになったが、やはり隔たりを感じる。苛烈さについていけない。が、その背景には、いくら世界が情報化しようが均質化されるわけではない、気候風土が生み出してきた人間とその歴史の差がある。えらく恵まれているという自覚無しに、他をどうこう言っても説得力などないだろう。
 そういえば、キリスト教が生まれたのも砂漠の世界だ。そこから生まれた西洋の性格、自然観がまた我々と大きく違うのも当然だろうか。
______________________
 こんなところで。

……、えらく読んでるね。ああそうだ、こういうのを表にして一個記事にしておけばいいんだな。今はやんね。