我、テレビを再発見す

 つねづね「ネットに比べてテレビは過去のメディアなんだよね」的論調に疑念を抱いていた俺だけれども、その俺を今の俺が見て嗤う。お前はテレビの何を見ていたというのか。何の機能も持たぬ14型ブラウン管などは、今のテレビというメディアの可能性の末端の一端に過ぎぬ。
 まず何より映像が違う、フルスペックハイビジョンですらない、このテレビのこの解像度を見よ。何の興味もないゴルフ中継の風景にすら見とれる。今までお前はリング上の格闘家の足の裏の汚さを知っていたのか。
 さらにHDD内蔵REGZAの能力を知れ。何の面倒ごともなく録画ボタンを押せば録画される。内蔵番組表から自由自在に検索しろ、ジャンル別に、キーワード別に検索しろ。少し気になれば録画予約ボタンを押せ。重ならぬかぎりそれは実行される。地上波デジタルになり、民放キー局のほか、千葉、埼玉、どこまで見られるのか。これだけの量の番組を、未来に向かってのアーカイブとして有することのできる情報量を思え。ネットで発揮されうる能動性と能力を持つ者ならば、これは活かせるはずのものである。世の中にはキーワードで自動に番組を拾えるレコーダーやテレビ、あるいは有料チャンネルを用いた多チャンネル世界に接すれば、そのビットたるや大毘歩多でもなお足らぬ。たといネットに広がる網の結節点が阿僧祇たれども、いずれひとつの人智によって得られぬものならば同じ事である。
 そうだ、メディアがなんだというのだ、お前にとってのメディアはお前のインナーネットワークしかないのである。一つ息を吸うその刹那にも、お前の中にある重々帝網にインドラのいかづちを走らせよ、乱反射させよ、無限のマルチタスクを実行させろ、死ぬまではたらく一無位の真人を知れ!