ブルーコンコルド乗馬問題について考える

 ブルーコンコルド、引退。乗馬に。このニュース、なんだか久しぶりに、競馬に対してもやもや考えてしまう話だった。レース検討、馬券でなく、競馬について、だ。
 とりあえず、各スポーツ新聞の記事を読んでみた。さすがに取り上げていないところはない。以下のごとくである。

今後は北海道新冠町のハントバレートレーニングファームで乗馬になる予定。

G1を7勝ブルーコンコルド登録抹消 - 競馬ニュース : nikkansports.com

今後は北海道新冠町で乗馬となる予定。

http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20091105-OHT1T00204.htm

今後は北海道・新冠町のハントバレートレーニングファームで乗馬になる予定。

http://www.daily.co.jp/horse/2009/11/06/0002496711.shtml

06年から南部杯を3連覇するなど交流GIを7勝したブルーコンコルド(栗・服部、牡9)が、7日付で競走馬登録を抹消され、乗馬に転向する。

http://www.sanspo.com/keiba/news/091106/kba0911060502004-n1.htm

ブルーコンコルド乗馬に

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/race/news/CK2009110602000132.html

G1勝ちまくったブルーコンコルドが乗馬に!

http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/11/06/01.html

 ……少し、落胆したところはある。まあ、まだ発表されたばかりの段階。署名コラムなどではなく、事実を伝える記事の段階ではあるかもしれない。
 しかし、だ。「ブルーコンコルド級の馬が種牡馬になれない」というのは、それ自体がまた一つのニュースじゃないのか、と。そういう意味で、見出しで「乗馬」を強調した中日新聞、率直に「G1勝ちまくったブルーコンコルドが乗馬に!」としたスポニチのニュアンスに共感できる。

悲しきバトルランナー

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 俺は、このような競走馬の引退後、余生を考えるとき、かならず一つの映画が頭に思い浮かぶ。アーノルド・シュワルツェネッガー主演の『バトルランナー』というSF映画だ。

 西暦2025年、世界は荒廃していた。アメリカは巨大な管理国家と化し、都市には失業者があふれていた。彼らの娯楽といえば、絶えず流されている無料視聴テレビ「フリテレ」で流される残酷なクイズやゲームの番組だけだった。
 そんな失業者のひとり、ベン・リチャーズは家族を救うためやむなくTV出演に応募する。選抜の末、出演することになったのは、最高の視聴率を誇る人気番組「ランニングマン」。それは全米を巨大なゲームフィールドにした「人間狩り」だった。全視聴者を敵にまわしながら、一ヶ月逃げ通せれば十億ドルの賞金が与えられ、もし捕まればテレビカメラの前で容赦なく殺されるという文字通りのデスレースである。ベンはこの殺人ゲームの出演者として逃げ続けることになるのだった。

原作における「ショー」は、一般公募から選ばれた追われ役が制限時間を逃げ切れば十億ドルの賞金を得られる、というもの。映画での追われ役は番組が選んだ犯罪者(表向きは)に限られる。制限時間は(番組の放送時間と思われる)3時間。

 まあ、おおまかなところでこんな話だ。ともかく、人間狩りゲームから逃げ切れば十億ドル、ダメなら死。そして、ネタバレになるので、これから『バトルランナー』を楽しみにしている人はここでブラウザを閉じたらいいと思うのだけれども、「逃げ切れば十億ドル」というのは嘘っぱちで、このゲームを勝ち抜いた英雄たちは、事後あっさりと殺されていたのだった。それを、シュワちゃんが暴くわけだ。原作は知らないが、映画では。
 俺がこの映画を、たぶんテレビの放送で見たのは、競馬をはじめるずっと前のことだったと思う。しかし、どうも俺は、競馬そのものが、この「ランニングマン」の構造に似ているように思えてしかたがないのだ。少なくとも俺は、人間狩りの「ランニングマン」を楽しむ残酷な視聴者と、競馬を愛好する自分を重ね合わせるのに抵抗がない。
 以前、ある馬主がブログで「競馬は基本的に馬殺し」というような発言をしていたが、俺も基本的にそう思う。基本的に、だ。「しょせん馬殺し」で終わっていいというわけではない。ただ、それを踏まえて、その上で何ができるか、どうあるべきか、という話をした方が、競馬のためにいいのではないかということだ。

優勝劣敗であるがゆえに

 競馬の馬殺しといえば、引退馬の余生などが大きなテーマ。その点で、かつてハルウララ騒動というものがあった。

 とは言うものの、私は別に「不要な馬はみんな肉なれ」と思っているわけではない。むしろ、競走に勝ったのに、繁殖馬としての競争に敗れた馬などは、もっと積極的に救うべきだと思うのだ。いや、救うなんて言い方はおこがましい、勝者への敬意を払え、ということだ。

競馬の敵 - 関内関外日記(跡地)

 確かに繁殖もサラブレッドの重要な戦いの一つである。しかし、我々ファンが目にする大部分は、レースコースの上で行われる戦いである。そこに、勝者と敗者のストーリーが紡がれていくからこそ、競馬はサイコロ博打とは違った魅力を持つのだと思う。そして、そのストーリーを支える巨大なフィクション、即ち、レースの格や賞の権威を、引退後の馬に適用して何が悪いのか。一握りの重賞馬たちに、単に草をはむ余生を送らせてやることくらいできないのか、と。もちろん、現行でも助成金が出るのは知っている。しかし、もっと積極的な事業にしてもいいじゃないかと。副産物として、ある種の宣伝、観光資源にだってなるかもしれない。

 「では、戦いに敗れた馬はすべて価値がないのか?」と問われれば、これもそうではないと答えよう。競馬には頂点を競う大きなストーリーがあるのと同様に、数え切れないほどの小さなストーリー、誰も知らない個人的な名馬が存在している。そして、繁殖馬としての価値が皆無なある馬に「余生を送るくらいの金なら出すよ」という人たちだって出てくるだろう。この時点で、経済動物としても立派な価値が生まれる。ペットというと違和感があるけれど、そういう意味で立派な商品には違いないし、単に肉にするよりも競馬にとって良いことではなかろうか。

 これは、そのときに書いたものだ。今もこの思いはかわらない。また、この件は生存か廃用かというレベルではあるが、種牡馬か乗馬か、というところにも適用されると考える。
 ブルーコンコルドは、コース上での勝者であった。ただの勝者ではない、勝者中の勝者の一頭だ。「ランニングマン」の勝者だ。そいつが、苛烈な勝ち抜いた牡馬の栄誉でもある種馬になれない。これは、競馬のストーリーをぶっこわすような話だと、俺は思う。
 ストーリー、それはひどく感傷的で、ビジネス的ではないのかもしれない。しかし、だ。競馬はファンがばんばん競馬を見て、金を落として成り立つ、エンターテインメントでもある。いくら能率的で完全な馬産を行ったところで、ファンが金を落とさなければすべておしまいだ。少なくとも、規模は保てない。べつに、ファンが一番偉いだとかいうわけではない。馬がいなくてファンだけいても仕方がない。ただ、共存共栄、競馬の金の回りの中のサイクルでは、情だとかロマンだとかも、立派な商品価値があるとは言えないか。
 むろん、ストーリーはストーリーだ。偽善的だ、と言えるかもしれない。「ランニングマン」の視聴者は、逃げ切ったやつが自由になり、大金を手にするというところを言い訳として、担保として、残酷なショーを楽しむことができた。そうだ、言い訳にすぎない。勝者に栄光と自由と大金が与えられようと、「人間狩り」は「人間狩り」だし、「馬殺し」は「馬殺し」だ。ただ、その建前の言い訳、担保すらなくなったら、ファンは少し白けちゃうところもあるじゃないか、少なくとも俺はそうだ。

日本競馬を憂う

 むろん、俺は一ファンに過ぎない。これは一ファンの主張だ。種牡馬として繋養する手続きやコストみたいなものもあるだろう。また、種牡馬として結果を出せなくて、そのまま行方知れずになるよりは、乗馬の方がマシでは? などという話もあるだろう。しかしだ、これだけ勝った馬、そんな結果出せなくても、種牡馬やめても、功労馬としてのんびりさせてやれよ、と。9億7780万9000円も稼いだ馬だぜ。重賞11勝、交流G1を7勝、そんくらいの敬意があって当たり前だろ。
 もちろん、「たくさんG1を勝ったから、バンバン種付けさせるべき」などと言うわけではない。べつに、一年に十頭そこらでもいいんだ。ひっそりと、大井あたりの下級条件で、「あ、この馬ブルーコンコルドの息子か」とか、そんなくらいでもいい。一応種牡馬登録したけど、誰も種付けしなかったというのなら、それでもいいんだ。ともかく、そのくらいのストーリーは許されないのか。「ランニングマン」の勝者はやっぱり用済みなのか。俺はそれが寂しいのだ。それくらいの余力が、日本競馬、日本の馬産にないのかと、それが寂しく、また不安でもあるのだ。
 しかし、まだ、ブルーコンコルドの玉が抜かれたわけではない。できることならば、どこかの誰かが(そりゃ「俺が」と言えるならいいたいが、それは現実的ではない)手を挙げて、ブルーコンコルドが種馬になる道はないのか。俺はまだ、少し、期待しているのだけれども、こんな願いもかなわないのか、どうか。俺はあまり、競馬のこんなことについて、考えたくはないんだ、本当は。頼むから、馬券に集中させてくれ。それも、俺の願いだ。

(写真はすべて2008年東京大賞典

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