私の日記

 ここのところ「Twitterをやってはいないけれどもネットにそれなりに詳しい者として、Twitterのアカウントを作ったばかりの人にいろいろアドバイスする」という人間を演じていて思うのだが、これってなんなんだ?
 だいたい始めたばかりの人がNHKの番組を見て想像していたTwitterとは、「おはよう」とつぶやくと、見知らぬ他人から「おはようございます、きょうも頑張ろう!」みたいなコメントが付くものだったらしいが、今現在、俺が勝手に登録した孫正義三木谷浩史のつぶやきでタイムラインが埋まっているだけで(おまけに三木谷は英語をしゃべってる)、なんか想像と違った、などと言う。
 もちろん仕組みについては説明したし、わかってもらえている。「だから、どんどんフォローしてけばいいんですよ、有名人じゃなくて、なんか検索して近所の人とか、昔の同級生とか探したらいいんじゃないですか?」とか言うわけだけれども、はっきり言ってそれが面白いのかどうか俺にはわからない。いや、ローカルな文字列を見るのは好きだけど、俺、もう完全に同級生とかと縁が切れているし。しかしなんだ、彼女にしてみたって、「でも、そもそも、おはようございます、きょうも頑張ろう!」みたいなの面白そうですかね? って聞いてみたら、「いや、別に」って言ってて、だからなんだというと、いや、別に。
 大塚英志の『物語消滅論』っての読んだんだけど(あ、Twitterの話は終わりです)、これ、4年前くらいの本なんだけど、国家すらキャラクター化されてみたいなことが書いてあって、日米同盟といっても、もはやRPGのパーティみたいなもんだとか言ってて、したら最近まさに国家擬人化の『ヘタリア』(ほとんど知らないけど)が流行っているみたいだったり、さらには日米同盟コミックなんてのは、もうこの、国家なんてのは物語の中のキャラに過ぎないんですよ、的なものを、まさにそのラインでその主体が言い放ってるようなところがあって、まあまったく、なんだろうね、などと思ったのだけれども。
 そうじゃなくて、この本の中で「私」についての近代以降のうんたらの話があって、また、ネット上の新世代の、このキャラだとか属性だとか、アバター的ななんたらとか、そんなことが(そんなことがどんなことかは本読んでください)あったんだけど、なんかこう、俺などはやはり古い世代というような気がしてならなかった。これこれこういう祖父母から生まれたこれこれこういう父母からこれこれこういう場所でこれこれこういうふうに育ったとか、なんかこう、地勢図と歴史によってなんたらする「私」みたいなものの意識が強くて、まあ、そんなんな。
 ジジェクの新書を2冊読んだんだけれども(大塚さんの話終わりです)、このおっさんにはなんかパンチ力みてえなのがあって、ヒゲとかも生えてるし、古いアナーキストかPKDみたいな印象があっていい。言ってることの2/3というかたぶん実際には8/9くらいは俺の語彙不足と知識不足みたいなところでわかんねえんだけど、なんかいいな。いいってのがある。
 それでなんだっけ、フェティッシュってのは当人にそれを解釈させたところで弱まるもんじゃねえみたいなこと言ってて、たとえば自分の貧困の原因はユダヤの陰謀だ(現在日本に置き換えるなら在日コリアンか)みたいなところに陥ってる人に、いくら本当の敵は別だと説明したところでほとんど効果ねえよみてえなそんなんでさ。それで、スキンヘッドが自己を分析的に、えーと、なんだっけ。ほら。まあいいや。
 で、こないだヌードの個人撮影会ってのに行ってみたんだけど、あー、これはオフレコで。でも、はっきりしたのは、これじゃないんだというか、これではなかったというか、そういうことなんだ。それを確認した。
 CD-Rが出たときの衝撃って覚えてるだろうか。いや、俺には衝撃だったって話なんだけれども。だって、こう、CDなんてのは、工場で作るものじゃない。それが、自宅で作れる。いや、メディアとしては工場で作られたものだけど、それを焼けるという。これはもう、なんか、科学技術すげーなーって。それで、出始めのころはすごく高くて、やっぱりそりゃそうだろとか思ってたら、お前、べつにだんだん普通の外付け機器とかになって、今や標準だ。その上、DVDとか、それ以上のなんたらまで焼けるようになってる。けど、やっぱりあんときの「CDって家で焼けるものなの?」という衝撃に比べたら、ぜんぜん弱い。今や音楽CDの凋落というと既定路線になってるけど、まあCD-Rはあんまり関係ないか。あ、(違法)コピー云々の話でなく、この、物体としての貴重さみたいなところとかの意味で。いや、それでもあんまり関係ないか。むしろ目に見えぬデータ化みたいなあたりだろかしらん。
 それで今朝、俺の愛する小径車、ルイガノMV-1のカゴに、未開封のランチパックが入ったビニール袋が捨てられてて頭に来たんだけど。いったいどういう意味があんの? 前に氷結の空き缶捨てたのと同じやつ? よくわかんないけど、その現場を俺が見たらどうなると思うの? いや、俺はヘタレだから見てみぬふりするかもしれない。その可能性が高い。ただ、10%くらいの確率で「なにやったんならぁ!」みたいにわけのわからない言葉を叫ぶかもしらんし、いきなり後ろから蹴り入れるかもしれない。喧嘩になるかもしれない。そうなったら、いろいろ不利なのは俺の方で、このアパートに住んでることわかってんだから、今後長く嫌がらせを受けることになるだろうし、その不安の中で暮らさなければならない。そうしたらもう、殺すしかないじゃん。殺さないにしても、相手の両目をどうにかして潰すとかしないと、もう終わり。あるいは、殺されるか、両目を潰されたりするのでもいい。むしろ、俺は腕力ないからそうなるだろう。ともかく、そんなことになるのは当たり前だし、腐ったランチパックを人の自転車のカゴに捨てるってのは、相手を殺すか、あるいは殺されるかって話なんだけど、その上でランチパック捨てるメリットってなんだよ? 意味がわからん。いや、意味なんかなくて、たかだかこれだけのことで殺しても殺されてもいいと思ってるだけなのだろうか。すると、それに対峙する俺もやはり殺すか殺されるかしなければ解決しないと思ってるのだから、まったく理にかなっているといっていいのだろうか。