見つかってしまった三峯徹、あるいは知ることの悲しさ

※いくらか性的な内容を含みます。

 彼の名前は三峯徹。22年間にわたって日本で出版されているほとんどすべてのエロ漫画誌に個性的なイラスト送りつける、現代のヘンリー・ダーガーと謳われる葉書職人である。

http://mens-now.jp/columnPref_2010-10-01_1_mine.html

あの三峯徹氏がテレビ出演することが決定しました。

エロ漫画界の座敷わらし、三峯徹が「タモリ倶楽部」に登場! - エキサイトニュース

 俺はエロ漫画が好きだ。好きと言っても、いま定期購読しているエロ漫画雑誌はない。定期購読していたときも、せいぜい一誌か二誌とつまみ買いていどで、何百冊単行本を持っているわけでもない。それでもまあ、人並みには、といって並の人などというものを想定するのもむずかしくはあるけれども、それなりにエロ漫画が好きなつもりではいる。定期購読はしていないが、ちょくちょく適当にエロ漫画雑誌も買うし、単行本も買う。この日記であまりエロ漫画の感想を書いたりしないのは、たとえば『それ町』を激賞したときに、「ああ、鬼束直と似た系統の女の子だから言ってんだな」などと思われてしまったら困るからである。べつに困りはしないが。
 三峯徹の話である。結果的に「未成年が18禁媒体を購入していた話」になってしまうが、見なかったことにしていただきたい。ともかく、エロに興味津々のころに手を出した禁断の果実であるところのエロ漫画雑誌、そのほとんどに彼は遍在していたのである。気づかないわけにはいかない頻度と個性。もちろん、たいせつなのはエロ漫画であってエロなのであって、三峯徹が主役として浮かび上がるはずがない。それでも、エロ漫画雑誌という、その当時かなり人生の中のエロの中でウェイトを占めていたものの中で、やはりそれなりに「知っている」存在になっていったわけだ。

 とはいえ、誰かと三峯徹について話しあうようなことはなかった。男子校のこと、友人間でエロ本買うことやエロ漫画買うことについて隠すようなこともないが、あの雑誌がどうだ、この漫画家がどうだと、そこまで細かく語るようなこともなかった。ましてや三峯徹をや。
 そういうわけで、あくまで俺にとってエロ漫画雑誌は「俺対エロ漫画雑誌」であって、また三峯徹も「俺対三峯徹」という、一対一の閉じた関係なのであった。たぶん、エロ漫画雑誌を買ってる多くの人間が知っているあろうが、その正体についてはよくわからない。エロ漫画の投稿欄のこと、編集者が三峯徹その存在について語ることがあっても、ほんのわずかでしかなかったろう。ともかく、謎なのだ。
 そう、その謎を一番感じたときのことは今でも覚えている。『少年天使』だったかなんだったか、BL系あるいはショタ系漫画雑誌の投稿欄に「三峯徹子」名義の投稿を見たときだった。なにか巨大な狐に化かされているような気になった。なにかの冗談かと思った。ビッグブラザーかユービックか、ともかくこんなところにまでいるのか、と。タモリ倶楽部で「エロ漫画家と編集者が創り上げた架空の存在」説について触れられていたが、なにかもっとおそろしい、世界に関する大いなる架空があるのかと感じたほどだった。
 その、三峯徹がいま注目を浴びている。なにせ地上波のメジャーなマイナー番組『タモリ倶楽部』に採り上げられるという事態である。そう、多くの人間がそれぞれに意識しつつも、おおいに語り合われるものではなかった三峯徹が、語られるものになったのである。正直言って面白い。なにせ、日本の成人男性のほとんど……言い過ぎか、いや、それでもそれなりにエロ漫画雑誌を読んできた幅広い年代に知られていながら、その実在すらわからなかった存在が語られるようになる。こんな不思議な現象はなかなかない。
 だが、それと同時に、一抹のさみしさのようなものも感じないわけでもない。やはりどこか、実在すらあやふやな、「自分の中の謎の三峯徹」というものが消えていくことでもあるからだ。そう、今にはじまったことではない。インターネットというものが手に入って、まず三峯徹を検索するということはないが、やはりなにかの折に三峯徹情報を見かけたりする。当然そこには、俺が感じていたような「なんだあれ?」が渦巻いていることもあるし、もうちょっと詳しい素性について語られていることもある。それは喜びでもあり、同時に謎の消失でもある。
 しかし、情報というものはそういうものであるし、知るというのは同時に謎を失うことでもある。それでもやはり俺は知りたいし、また同時に語りたい。謎は謎であったときのものであって、それを失うと同時に、新しい三峯徹を得ることでもある。ブレイクするというのはバカに見つかることだ、という名言があるが、今までエロ漫画雑誌など手にとったこともない人が、三峯徹を知ることもあるだろう。そこから生まれてくるものもあるだろう。それがなにを引き起こすかはわからない。自分にとっては変に感じるような消費のされかたをされるかもしれない、妙な解釈を見るかもしれない。ただ、それはやはり三峯徹という存在の、その情報の強度ゆえのことであって、いたしかたないことなのだ。そういうわけで、今しばらくは、日本全国に湧き上がる三峯徹ブームを楽しんでいきたいと思う。
 そうだ、日本どころではない、今や世界もすぐそこだ。いずれは紙幣が三峯徹の絵になるかもしれないし、ニューヨークの美術館で見ることがあるかもしれない。それがいいことかどうかはわからない。ただ、そのときは、「現役時代の三峯は……」などと語ってやろうか。いや、そうなってもきっと三峯徹は現役に違いないのだが。

関連☆☆☆

 ダーガーの名が出ていたが、投稿ハガキという形態から、どうも決定的に違うような気もする。フォークアート、アウトサイダーアート(この言葉はどうなのか、という気はしているが。なにがインサイドだ)、そんなふうに感じてしまうのもたしか。タモリ倶楽部の「ニューヨークではいくらで取引されているんですか」に、ちょっとだけ漂うリアル。