電子書籍と私とその未来について

 電子書籍とか言うのはどうなのか? どうもわからんし、俺はどうもいまのところ食指が動かない。やがてすべてかどうかそうなることはわかっているけれども、今出ている何かしらの端末を買おうだの、紙の本をぶった切ってデジタルデータ化しようだのとは思わない。このあたりは俺の今のところの趣味だの財力だのやる気だのなんだのの極めて私的な事情であって、繰り返すがやがてはそうなるのは眼に見えていると言える。ただ、今、俺については、とくに動かず、なのだ。
 いや、そもそも専用の端末などなくとも、たとえばiPhoneとて電子書籍用のデバイスといえるわけであって、実際俺も青空文庫リーダーのアプリを入れるなどして、大杉栄だのドストエフスキーだのを多少は読んだりもしたのだった。ただ、したのであるが、したからといって、やはりこれはなんというか、まだ俺には向かぬ、とても読めぬ、読んだ気にならぬというところがあったのだった。
 もう少し若い世代などであれば感覚はべつなのだろうか? という疑問はそれ自体また誤りのようにも思う。個人による向き不向きというところであって、たとえば俺に親しくしてくれる唯一の女性は俺より二十年上ではあるが、iPhone購入を機会に青空文庫のことを紹介すると、もうもっぱら読書はそれ専門になり、「日本文学の、有名作品であるがゆえにあえて古本でも金を出して買う気にならなかったもの」などを読みあさっていたかと思えば、「古典SFがあるらしいですよ」と教えれば、もとよりのSF好きもあって海野十三など読んでいるようだ。
 ところがどうも、俺はあまりiPhoneで読む気が起きない。ひとつには、赤ペンなどを片手に持って、気になった、気に入った箇所にグイグイ線を引けないところであって、また、電子のものならば文章のコピー&ペーストなどできれば大きなメリットと思うが、それも今のところあるのだかないのだかよくわからない。将来的にはあらゆる電子書籍のページごとに固有のURIのようなものが割り振られて、それこそはてなブックマークのようなソーシャルブックマークを、文字通りのブックマークを貼れるようになればよいと思うのだが
 しかしまあ、なんというか、読みにくさが大きい。と、ふと思うが、俺はけっこうな時間をかけて、はてなブックマーク経由やらなんやらで、だれかのブログだの、2chまとめサイトなどを読んでいる。それにストレスがあるかどうかといえば、あまり感じないわけであって、その文字数といえば小説にしてどのくらいなのか、などとも思う。もちろん、書き込みのような形で区切られたテキストと、ひとつづきのテキストでは違うものの、下手に縦書き、書籍風のデザインなどしてくれなくていいのではないかなどとも思うが、まあそのようなものもあるだろう。あるだろうといえども、今のところ自分の好みで紙の本を買っていくだろう。俺が本などに金を出せるのがいつまでかはわからないし、その間に俺が電子化するかしないかもわからないが。