おれの昭和史と『〈民主〉と〈愛国〉』

 考えてみれば、「戦後」とは、現代の人びとがもっとも知らない時代の一つである。なぜ知らないのかといえば、「もうわかってる」と、安易に考えすぎているからだろう。
―「あとがき」より

〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性

〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性


●ちょっと前にこんな話題をネットで見た。

ロシアの軍事専門家はこのほど、「ロシア空軍がその気になれば、20分以内に日本を地球から消滅させることもできる」と述べた。中国メディアの環球時報が15日付で報じた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120216-00000007-scn-int

 まあ、話の出所もなにもどうでもいいといってはなんだけれども、「はあ、そうですか」というような話ではある。でも、ティム・オブライエンじゃないけれども「核は実在している」のだし、その気になればそうできるだけの能力はあるのだろう、たぶん。でも、やれんようになっているのも現実だ。
 と、なんというか、無条件に頭の中では「相互確証破壊」、「核の傘」、そんな思考のルーチンワークが作動しているわけだ。米軍だって自衛隊だっているわけだし。それに、それ以前に、ロシアになんのメリットが? というところもあるわけだけれども。まあ、無条件に、そういう前提としてそれがある。

●で、ちょっと前のおれならばそこまでで考えが止まっていたが、『〈民主〉と〈愛国〉 戦後日本のナショナリズムと公共性』を読んでいるところだったので、ハッと思いだすことがあった。それは、終戦後における、世の中に日本国憲法、九条が出てきたところの世間の反応についてだった。

佐藤功という政治学者の1951年に書かれたという当時の回顧を孫引きする。

 ……興味のあることは、戦争放棄のこのような理想主義的な受け入れ方が、実は、裏からみると、最も現実的な現場是認主義とも結びつくことができたということである。即ち、敗戦後の日本の現状は、事実において武装を解除され、事実において、近い将来の軍備は不可能であり、戦争遂行も不可能である。第九条はこの現状をそのままに制度化しただけではないのか。そしてまた敗戦日本が戦勝国に対して恭順を示す上には、戦争放棄と非武装を宣言することは得策であるのではないか。

 太字強調おれ。そう、おれはこの本を読んでいて、こういった単純な事実に目から鱗の気になったのだった。その時点で武装武装の是非どころではなかった。都市は破壊され、大勢の人間が死に、傷付き、食うのに精一杯で、旧軍の武装は解除され(かわいそうな長門!)、放棄しようかどうかとかいうレベルじゃなかったということだ。

●九条をもって「日本は戦争に負けたが道義的には勝つことになったんだ」論があって保守もそれを受け入れたとか、共産党は来るべき帝国主義との戦いのために民族が武力を持たなければいかんと反対だったとか、のちに吉田茂あたりがたすきがけ買収(だれの言葉だっけ?)みたいな形で左派を動員してアメリカとやりとりしていったとか(このアメリカ追従が「ネタからベタ」の一例なのだっけ?)、まあそんな話も勉強になる。なるが、その時点の日本の情況というものをリアルに想像してみたことがなかったというか、その細かさに思いが至らなかったという、そんな気になったのだ。

●まあ、不勉強で想像力がないだけ、といわれればそうかもしれない。しれないが、なんというのだろう、教科書やなにかで見てきた圧縮されすぎた「戦後」というのは、敗戦後5年の時点、10年の時点、そんな細かさでの変化というのは描かれていなかった。また、ある程度は戦争文学というか、戦争体験者の書いたものなどを読んできたが、今度は視線が生活や内面に近すぎて、大きな背景を見ることができなかった。

●そういう意味で、この本はちょうどいい塩梅というと失礼かもしらんが、そういうスケール、目盛の本のように思えた。とくに始まりの数章、敗戦直後の丹念さがよかった。

●後半の、ある戦後知識人数人に的を絞り始めるあたりになると、著者の「これはこうだろう」という解釈が強く出てくるようで(同時に『対話の回路』という対談集も読んでいたが、網野善彦谷川健一に食い下がっていく印象が強かった)、もちろんためになるのではあるが、それぞれの原著にあたりたいという思いが強くなった(結果的に買ったのは今のところ石母田正なので先は長いが)。というか、原著にあたって読める知の膂力がおれにあるのかどうか怪しい。とはいえこの後半部分、いろいろの武将が出てくる三国志やら銀英伝やらのように読めたのも確かだ。

●で、知識人や文学者の5歳、10歳の違いでそうとうに意識の違いがあることなんかにも、いろいろ思うところがあった。なんというか、1979年型の人間から見ると、「おじいさん=戦争体験者」みたいなくくりであって、いや、自分が愛読している何人かの文学者や詩人についてすら、「なんとなく戦争を知っている人」ということで一括りにしてしまっていたところがあった。戦場にいたのか、内地にいたのか、兵隊だったのか、学生だったのか、もっと子供だったのか、敗戦時何歳だったのか、空襲を受けたのか、受けなかったのか、ぜんぜん違うのだ。

●いや、知らなかったわけじゃないさ。田村隆一の「二度死んだ男たちへ」で書いてたじゃないか、要約されざるものについて。でも、こう続き物の話としてみて、またそれが世代間対立になっていくさまというのは、なかなかわかんなかったよ。

●もっとも、その種の世代間闘争は我が家の中で行われていたというか、今も行われているらしい。

 我が父系は中の上というよりは、はっきり言って上流階級に近かった。祖父はといえば京大出の化学者として、松根油の研究などしていた。松根油を注がれたおんぼろ戦闘機で特攻させられるような身分ではなかったのである。
 これに大いに反発していたのが、吉本隆明信者であり、全共闘世代の我が父であった。祖父はとうにいないが、父はいまだに戦時中の話になると、祖母の身分をなじるらしい。このあたりは、父自身の抱える深いパーソナリティー・ディスオーダーも大いに関係するのだが、まあそれはそれとして。

●母方についてはよく知らない。こないだ亡くなった祖母は満洲の生まれらしい。祖父は名大出でチッソで働いていた。ただ、技術者ではなかったようだ。よくは知らない。

●ほかに思い出してみる。中学に入ったころの担任が、なにか授業中の雑談になって、いや、歴史の教科だったから雑談ではないか、そこで「自分の父親は職業軍人だった」という話をした。いわゆる徴兵されて戦場に、ではなく、それより前から自分の選択として軍人を職業としていたというのだ。それを聞いたときも、さっき書いたみたいな眼から鱗感があって、「そうか、全員が全員徴兵ではないのか」と思ったりしたものだった。話は、その担任の父の戦争に対するメンタリティや、担任が子供時分、自分の父親の職や戦争中のことについてどう感じていたかに及んでいた。……が、内容はさっぱり覚えていない。まあ、なにかしら要約されざるものがあったのだろう。

●べつの社会の教師で、最初から「俺は親子三代の教師で、社会主義者だ」と言い切った人がいて、あれも面白い人だった。その父だったか祖父だったかが、教室に飾られた天皇御真影を自分の写真に換えたら捕まった、とかいう話をしていた。本人は走り屋で、いい歳して頭文字Dに出てくるような車を乗り回して、たまに免許失効とかしていた。関係ないが、先ほどの担任は赤いMR2乗りで、たまにミッドシップ車の優秀性を語りだすととまらなかった。

●もっと年かさの国語の教師、河東碧梧桐の弟子というおじいちゃん先生は、戦時中学生で、内地でグラマンに追いかけられたという話をよくしていた。機銃掃射されたのを走って逃げた。振り返ったとき、赤鬼みたいな真っ赤なパイロットの顔が見えた、と言っていた。

●話が逸れた。いや、逸れていないのか、わからんが。

●読んでいて、途中から、なぜか奥崎謙三に言及するだろうか、しないだろうか気になりはじめた。出てこなかったらこの本は怪しいぜ、くらいに思っていたら出てきたのでよかった。あらためて感想を書くが、『ゆきゆきて神軍』をさっき見返したのだけれども、やはりおれの根っこには小学生のころか、中学生のころかみた奥崎の影響というのは相当に大きい。おれはサブカル的なもの、いわゆる電波系としておもしろ消費していたのかと思っていたが、今になって言葉のひとつひとつの重み、ラディカルさ、アナーキーすべてがすんなりと入ってくる。

●もうちっとナショナリズムと公共性について述べるべきか。やや理想化されて描かれているのかな(実像もしらんのでわからんが)というベ平連のありようとか。しかし、まあ、つい最近、反原発運動でセクショナリズムみたいなものを見たばかりだったりすると、やはりなにかこう、それが本当に「ふつうの」出入り自由のものだったのだろうか、などと疑いたくもなる。

●わりあい、そういうあたりで世代間の受け継ぎ、失敗の研究みたいなものが引き継がれていかないのが戦後日本あるいは日本あるいは世界というものなのだろうか、などと上から目線になってみたりもする。全学連だって、60年安保とかもっと前の古参がいればああはならなかったろう、とか。でも、上の世代に噛み付いてこそ新しいもんも出てくるというか、個々人の内面として、それが育ってきた環境、子供のころ得たもの、失ったもの、そういうもんがあってさ。

●しかしまあ、我が身を思うに、なんに対してのなんなのさ、という変な気持ちにもなってくる。自分の出所についてはおおよそわかっているつもりだし、この零落については何をかいわんや。それでも、どうもどっかこの戦後日本と自分の連なりのところに、なにか感じるところが少ない。……ように思えてしまう。思いたい?

●子供のころ、景気はよかった。ジャパン・アズ・ナンバーワンデトロイトで破壊される日本車、一億総中流、ショージ君のサラリーマン世界、そしてバブル。

●が、バブルは思春期頃弾ける。けど、まだ我が家にはいくらか余裕があって……いずれにせよ、思想のはいり込む余地はなかった。ずっと部屋でファミコンをしていたかった。ジャンプを読んでいたかった。中学になろうと、高校になろうと、エロ漫画やゲーセンのスト2に夢中だった。

●読書はそれなりにしたが、思想や哲学を希求するような魂はなかった。青春らしい苦悩やそういったものとも距離をおいて、澁澤龍彦稲垣足穂なんか読んでた。今また、澁澤が戦後どこかから盗んできて隠したというピストルについて読み直すべきかもしれない。

●でも、漫画の一環として小林よしのりは読んでいたし、そういう意味で右曲り、当時はネットのないネトウヨと化していた。あと、呉智英とか読んでた。それで、やはり「戦後民主主義」を敵視するようななにかはあった。あと、個人的体験から日教組嫌いで、そういうのも入ってた。

●今になって、三十過ぎて、ようやく古い古い革命家のブランキやアナーキストバクーニン大杉栄、そんなものに惹かれることに気づいた。世間のほうも、第二の敗戦だかなんだかしらないが、いくらか思想的なものへの興味が広がっているように見える。気のせいかもしれない。

●世代について考えてみても、三十ちょい過ぎのおれの立ち位置というのはよくわからない。ロストジェネレーションなんて言葉でくくられるのだろうか。もう、下の世代に責任ある立場なのだろうか。なんにも考えないでここ十年くらい働くばかりで、いや、おれはずっとものごとを考えないできて、人生も考えないできて、財も家族も築けず、おおよそこの先はもっと暗い。とてもじゃないが、ノマドだの日本を捨てて海外で働くだの考えようもない。むしろ、そんなこと考えたくもない。

●むしろおれは、やはりこのおれの生まれ育ってきたこの国のこと、昭和もいいが、天つ罪・国つ罪のできたころ、あるいはもっともっと昔のことから、ずっと、いろいろと知りたいし、考えていたい。そこになにかがあるとすれば、それを言い表す言葉がほしい。言葉がほしいんだ。
 
 
 
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