おれってメランコリー親和型? ディスチミア親和型? 『うつ病論―双極II型障害とその周辺』を読む

 

うつ病論―双極2型障害とその周辺 (メンタルヘルス・ライブラリー)

うつ病論―双極2型障害とその周辺 (メンタルヘルス・ライブラリー)

 

『精神医療』という雑誌に掲載された論文に加筆・修正を加えたものらしい。おれは双極性障害II型と診断を受けた人間なので、「その周辺」にいるのかもしれないし、ひょっとしたら当事者として真ん中にいるのかもしれない。上にあるように2009年に発売された本である。

1992年でしたか、その頃にバブルが崩壊しました。第2の敗戦などといわれました。私(引用者注:内海健)は当時30代後半でしたが、それでも相当ショックでした。それを学生時代とか、就職して間もなくという時期に体験した世代には、はるかに大きな影響があったはずです。そこで「頑張ればなんとかなる」という神話が壊れたのかもしれない。

その後、さらに就職氷河期世代、ロストジェネレーションの世代(まさにおれも当てはまる……はず)が来る。いずれにせよ、バブル崩壊で「大きな物語」が壊れた。

その結果、うつ病周辺ではなにが起きたのか。メランコリー親和型うつ病から、ディスチミア親和型うつ病へとシフトしていった……というようなことが、いろいろの論者が論じたりしている。

メランコリー親和型うつ病。戦後復興を支えてきたモーレツ真面目型仕事人間が、中年になって増していく仕事のストレスに耐えきれなくなり重度のうつ状態に陥る。そんな感じ。戦後日本、そしてドイツ(テレンバッハ『メランコリー』)に多く見られたかもしれないタイプ。

ディスチミア親和型うつ病。新型のうつ病、若者がかかりやすい。未熟型うつ病。もともとあまり仕事熱心ではない……。

中村敬の「現代的なうつ病像の背景に何があるのか」ではこう書かれている。

 さらに樽味らは2005年に、10代から30代を中心に増加しつつある特徴的な病像をディスチミア親和型うつ病と呼び、次のように記述した。彼らはメランコリー親和型性格とは対蹠的に、もともとそれほど規範的ではなくむしろ規範に閉じ込められることを嫌い、「仕事熱心」という時期が見られないまま常態的にやる気のなさを訴えてうつ病を呈する人々である。臨床像としては自責や悲哀よりも漠とした不全感と心的倦怠が主であり、回避的行動が目立ち、時には他罰的になったり衝動的な自傷や自殺企図に及ぶ。さらに職業的役割意識が希薄であり、それを補完するように「うつの役割と文脈」にすぐ沿い、そこからなかなか離脱しないという傾向が特徴的である。

……なにこの、おれ。まさに、おれ。でも、ひとつだけ言わせてほしいのは、おれが精神病院に駆け込んだのは、給料の遅配、無配、長時間労働、具体的な金のなさ、未来のなさ、それでも働き続けなければ食っていけないという地獄に限界が来て、ついに身体が鉛様麻痺になったからである。はなから出世だの、家族を作り、守るだのという意識の高さなどない。底辺労働者が壊れたわけである。この真面目さはメランコリー親和型的ではなかろうか。でも、上の引用部分を読むと、おれの性格、あるいは病前性格と一致してしまうのだよな。おれはメランコリー親和型なのか、ディスチミア親和型なのか。どちらでもあるのか、どちらでもないのか、そもそもこの分類が誤っているのか、だれか教えてくれないか。……ってかかりつけ医に世間話的に振ろうと思ってたんだけど、前回の通院では減薬の話と採血で終わってしまって。

まあ、おれはともかくとして、大まかにこの二種類に分けたとき、重いのは前者、軽いのは後者。でも、治りやすい(という言い方が正確かわからんが。いや、おれの言うことは高卒底辺労働者のたわごとなので以上も以下もすべて同じなのだけれど)のは前者、治りにくいのは後者、なのだ。そこが面白い。いや、面白くないんだけど、そういうものかと。

バリバリ働いて、ガクンときて、休職、入院、休息、薬物治療をしてパッキリ回復、というのが前者。

一方で、だらだらと「うつであること」を我がこととして、ある意味好意的にすら受け入れ、なかなか治らないのが後者、ということになる。とはいえ、後者とて自殺に至ることも多いのだから決して「軽い」とはいえないのだけれど。そして、この後者が双極性障害2型の周辺にある、という見方もできる……のかな。大うつ病障害と双極性障害は全く別の病気ですよ、というのが今の時点でおれが知っている知識なのだが。

同じく、2型の周辺にあるのがパーソナリティ障害で、これが合併しやすい……のかな。2型の慢性化で人格が変化する、あるいはパーソナリティ障害でストレス耐性が弱まって2型発症。そして、2型とパーソナリティ障害の間の線引きは困難(「症例から考える双極II型障害とパーソナリティ障害」林直樹)。そういえば、おれも最初「なんかパーソナリティ障害ですかね」みたいな質問を医者にしたっけ。「たぶんあるけど、わかったところで治療できるわけでもない」とか言われたっけな。

……というようなおれはこういう現代的な患者なのだろう。「向精神薬の意味論 双極II型障害という時代の病理を巡って」(熊木徹夫)から。

 昔、イノセントでか弱い患者が身近な医師のもとを訪れ、そのご宣託にすがったようなことは、今の時代ほとんどないといっていい。患者は相当世間ずれ、情報ずれしている。精神科医の前にいる患者は、病気のこと・薬のこと・そしてその医師のことについて、かなりの前情報をつかい、予見を立ててやってきている。そのことが、治療の援けになることも、あるいは妨げになることもあるだろうが、ともかくそうなのである。

ともかくそうなのであるか。ところでこの論文の終わりの方にジプレキサセロクエルの話が出てくるが、即効性があまりないみたいなこと言ってる。おれが最初ジプレキサ飲んだときは、頭がクラクラして、その話を医者にしたら「脳の組成を変えてますからね」だと。まあ、頭がクラクラするのは即効性とは言わんか。

とはいえ、この本はしょっちゅう(とうほどでもないが)吉本隆明が参照されていたり、時代背景と病理みたいな話が多い。「新自由主義下の拒食と過食」(高岡健)より。

……2000年代の日本はこれ(引用者注:新自由主義)を十数年遅れで輸入しつつあります。次に、うつ病は本来、自己が自己をどのように受け入れることができるかにかかわる病なのですが、共同幻想が自己に働きかけてうつ病を惹起するように見えることがあります。平たくいうなら、社会の考え方に自らの考え方を同致させているような場合です。おして、新自由主義に同致した自らの生き方が危機から破綻に至れば、それはあたらしいうつ病(軽症慢性うつ病)をもたらすのです。

この「あたらしいうつ病」は上に出てきたディスチミア親和型とかいうものと重なっているといっていいだろう。そして、おれはといえば、この時代を内面化しているのか。している、ような気もしている。経済論だのの難しい話はわかりはしないが、相当の自己責任論者である。もしもそう見えないとすれば、おれの自己責任論の「自己」はおれ一人、ここにある「自己」を指している、非常に主語の小さいものだからだろう。まあ、おれが他人からどう見られているかなどどうでもよい。おれの生き方が破綻したから、おれは病気になった。おれはそれをおれの無能と無気力、アパシーによるものと信じて疑わない。すべて自業自得である。

……このように言葉にしてしまえば客観的に見ることができるような気もするが、やはり心の根っこにある自己責任論はびくともしない。もう少し勉強が、薬が必要なようだ。あるいはアルコールが。

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……今回読んだ本は加藤忠史先生のアプローチ(死後の脳検体が必要だ、みたいな方向性)とは違うな、という印象。とはいえ、加藤先生もこうおっしゃっている。

精神疾患とは、生物学的な因子、すなわち遺伝子や脳といった因子と、心理的な問題、そして社会的な問題、この三つが渾然一体となって起きているものである」

だからまあ、「大きな物語の喪失」、「対幻想」とか書かれた本も読むわけである。

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