面接と公案〜求職者はなにを求められているのか?〜

求職者はなにを求められているのか?

1.日本国内1年間で消費されるトイレットペーパーの長さ(m)を求めよ。

http://anond.hatelabo.jp/20121114012226

 おれは自分の履歴書も書いたこともなければ、企業面接というものもしたことがない高卒の下流なのでよくわからないが、こういう問いというのは白隠あたりの禅問答そのものだと思いこんでいた。「隻手音声」あたりが有名だが、「東海の真砂の数は?」、「空の星の数は?」みたいのもあったと思う。秋月龍みん(みんは王へんに民)あたりが本に書いちゃってたと思う。
 で、おれもべつに禅僧じゃないからわからんが、数学や統計のなにかしらむつかしい理(ことわり)を用いてつらつらこたえたところでアウトだろうとは思う。いや、こたえ方によってはセーフかもしれない。つまりは、たとえばその場で面接官を張り飛ばしたり、頭の上に草履をのせて山羊の鳴き真似をしたり、一喝したりしようが、それが赤肉団上の一無位の真人のやることであればいいんだって、その境地にいることがあきらかになっていればいいんだって、そんなんじゃねえかって。いや、信の外側にいる人間だから知らんけど、そういうもんかと想像してた。

グローバリゼーション社会と労働価値

 まあ、べつにOA機器の中古販売企業が悟りの境地にある人間を求めているわけじゃねえだろうから、よくわかんないけど、なんというのだろうか、嘘でもいいからなんかペラペラ喋る力? 客からのクレームを逸らす力? すなわちコミュ力? を見るもんだろうと。
 だからたとえば、「トイレットペーパーですけれども、まあダブルもシングルも一律に考えると、だいたい365億メートルになるんですよ。不思議な話で、人口減やウォシュレットの普及があっても、この数字は30年変わってないらしいですね」って言うとか、「ちょっと調べますんで。マジ便利っすよね、iPhone」ってXperia取り出して世間話しながら検索するとか、「ちょっと確かめてみます」っていきなりズボンのベルトを外しはじめるとか、止められなかったらそのまま脱糞して「しまった、紙かしてもらえます?」とか言ったりするとか、そういうのが答え方だと。問題は答え方で、それが企業戦士として一定の水準に達していたらいいんじゃないかとか。
 ……いや、おまえ、面接会場でいきなり脱糞するやつを採用するかどうかという話だ。高度経済成長期やバブルのころならあり得たかもしれないが(本当だ)、このご時世にどこでも脱糞できるとかいう一芸で会社に雇ってもらおうという考え方が甘えだ。脱糞がお前になにをしてくれるのかではなく、お前が脱糞になにをできるのか、それが求められている。そのクソを130km/hで投げられるくらいじゃ話にならない。上野動物園のゴリラに土下座して謝れ。140km/h台後半のスピードがある上に、面接官の手元で微妙に変化するくらいじゃないと話にならない。グローバリゼーションというやつだ。グローバリゼーションに甘えるな。世界に挑戦するダルビッシュ有の話を知っているだろうか。固いアメリカのマウンドで、日本時代と同様に左足の小指側から着地すると、足の不安定から上半身のバランスを崩すことに気がつき、五本指すべてをべったりと着地するようにして制球を安定させたという。その点おまえはなんだ。甘えだ、甘え。サークルでカラオケに行くのが嫌で大学を中退したから(本当)就活もせず、アルバイトもしたこともなく、市場価値なんてもなしにもう四捨五入したら四十代だ。もう辛い物を食べるとすぐに腹をこわすから、キムチすら食えないありさまだ(ちなみに、今話題のサムゲタンのアニメは、「なにかおれには眩しすぎる青春リア充のにおいを感じる! 警戒!」という理由で一話から観ていないし、予約もしていない。サムゲタンは食べたことがないが、クコの実がのっているのは知っている)。

あなたを値付けするものの正体を見きわめる

 まあ、ようするに、おれが言いたいのは、この職場がなくなったら自分はどうなるのだろうということなのだが、これがまた残業で人が少なくなって、それでもまだほかに一人いるから早く帰ってくんねーかなとか思いつつ、まあともかく土日には『ヱヴァ』観たいから(さっきどんな具合かブルク13の土曜朝8時回をチェックしてみたら、ちょうど残り座席1席で思わずクリックしかけた)、片づけたい仕事あんだよ。いいか、教科書にどう載ってるかわかんねーけど、色校出てからが勝負だ、くそったれ。それにタブノキ(宮脇植樹)が宮城県北部で生長できるのか、この冬が勝負だ。造園屋は「もたねえだろう」って言ってるってテレパシーで伝わってきた。ちなみにイオンの例の植栽は安全面からすごい不評。でもまあ、高さ500mのコンクリート堤防とかができるよりは森の方が夢はある。夢に甘えるな! 森光子はなんで死んだ! しかし、スギ林だろうがなんだろうが下手に密植して間伐しねえと頭が重くなって危険が危ない。いいか、問題は頭じゃないんだ、要は根っこが大切だってことだ。だからお前は『樹木根系図説』を読むべきだし、こいつで面接官の頭を叩き潰せ!

キャリアは積みかさねるものではない

 ところで、『ヱヴァ』ついでに、上映後にどうこうの話なんだけど、おれ、ここのところちょこちょこ映画館行って違和感あんのは、上映後に拍手がないことなんだよね。いや、あのね、これはもう理屈じゃなくて、子供の頃の思い出に起因することなんだけど、「ドラQパー」とかわかるだろうか、まあ、幼稚園か小学校低学年か、ドラえもんの映画とか行って、終わったら必ず拍手してた覚えあんだよ。観てた人みんなでだよ。
 で、そのあと、小学校高学年から中学、高校とまったく映画館に行く機会がなくて、それでなんだったかな、それこそエヴァの旧劇(これは掛け値無しに本当の話だけど、小学生くらいの男の子がシンジくんの精液について「おとーさん、あれなにー?」って上映中に尋ねるのが耳に入った)か『プライベート・ライアン』だかを観に行って、あれ、拍手ねえの? って。で、それからまた10年とちょっと経つのか、それでここんところ映画行って、まわりが自分より若い客ばかりのアニメだろうが、年寄りしかいないミニシアターだろうが、まあ拍手ねえのな。それで、あれって、『ドラえもん』とか、子供映画限定のことで、あるいは年代も関係するものだったのかって思うんだけど、なんかその、モヤッとやり残した気分ってのが、どんな映画に対してでも湧き上がってくんだよな。そりゃ、向き不向きみたいなんもあるんだろうけど、『ストライクウィッチーズ劇場版』とかとうぜん拍手したかったし、『希望の国』ですら拍手したかったし、みたいな。でも、一人じゃ恥ずかしいもん、というか、一人じゃやっぱりおれの希望する拍手じゃねえんだ。そのあたりなんだろうね、なんかライブとか、試写会みたいなのとか、舞台挨拶回とかかねえ。
 まあいいや、それじゃそろそろ修正の時間に戻るわ。おしまい。