『われに撃つ用意あり』を観る、あるいはハード・ボイルドっていつ終わりはじめたのか?

あの頃映画 「われに撃つ用意あり」 [DVD]

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 『われに撃つ用意あり』は、まさに若松さんらしい映画でしたね。ちょうど新宿であるし、あの飲み屋さんもそのままだし、その店じまいに三十年経った全共闘世代が集まる、というストーリーは、若松さんにとりセミ・ドキュメンタリーみたいなものだったでしょう。新宿に強烈なアジアの風が吹き、ある世界が終焉を迎えてゆく……。ぼく自身の生理にもしっくりくるような映画でした。
若松孝二,小出忍,掛川正幸『時効なし。』より

 ……と、主演の原田芳雄。1990年の若松孝二監督作品。1990年、バブルの終り頃。おれは新宿というか東京全般と無縁だが、街の風景に思わず目がいってしまった。広告を見ては「まだデジカメの時代ではないな」とか思ったり、消費者金融のビルは光ってるなとか思ったり……。なにか不思議な時代の距離感。今というには遠いのに、昔と割り切るには近すぎる、そんな感じがする。
 その中で、まあ上記のような話。『テロリストのパラソル』なんて相当に昔読んだ小説など思い出したりもするが。全共闘世代に、古くなっていくヤクザの世界、終焉を迎える世界。
 って、たとえば、まだビヨンド観てないけど『アウトレイジ』なんてのはそういう終焉も描かれていて、この映画にも出てくる石橋蓮司も出ていたっけ。ハードボイルドとなるとやはり世界の終わりなのか、ワンダーランドなのか、そうだったのか。腑に落ちた。しかし、いったいいつから古いヤクザやギャング、あるいは刑事や探偵たちに、新しいヤクザやギャングが「あんたらの時代はもう終わったんだよ」って言い出したんだろうか。それはハード・ボイルドの誕生とともにだろうか。ダシール・ハメットを引っ張りだしてくるのも面倒だ。しかし、たとえばエンツェンスベルガーはアル・カポネを新しい時代のギャング、として描きだしていたっけ。義理と人情から金融と経済、次は電子か生物化学か量子宇宙か、いつの時代でも、さようなら、ギャングたち。

さようなら、ギャングたち (講談社文芸文庫)

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 というか、この映画がハード・ボイルド映画である、かどうかわからんが……。観るものにとっては、全共闘の時代への追憶でもあるだろうし、人によってはその部分に嫌悪感を抱くやもしらん。というか、その要素がどこまで必要だったかというと……。やっぱりあの子が実はヴィエトナム人で、というところで、というところや、アジアの風といっても、日本のヤクザがひでえ搾取をやってんだってところもあるしで、銃口が結局そっちに向く(もちろんお巡りにも向くが)、そこんところなんかわかるようにできている。でもって、結局新宿から出られないで、そこで終わっていくしかないんだ、みたいなね。
 ただ、やっぱり原田芳雄は(前半のオーバーオールの衣装を除いて)かっこいいのだし、「実は10.21で……」で自分の弱さを吐露するあたり、ゲリラの斥候隊に行くのが嫌だったって言える若松監督とオーバーラップしたりね。最近読んだから。でもって、刑事役の蟹江敬三(死ななければ松田優作が演る予定だったらしい)のとの対峙のシーンとかもいい。その原田芳雄が『凶気の桜』で古い街宣右翼のボスを演じて窪塚洋介に橋渡しするのは12年後の2002年。麿赤児もどっちにも出ている。ひょっとしたら同じような役だったかどうか。
 まあ、なんかとりとめもないけど、こんなところで。


>゜))彡

凶気の桜 [DVD]

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……あと、この映画については、撃ち合いのシーン撮ってたら、同じ日に本当のヤクザの撃ち合いがあっただの、ゲリラ的に撮影してヤクザ役走らせてたら本当のヤクザが出てきて、このあたりは筋通しておかなきゃだめだだとか、そんな話も。

テロリストのパラソル (角川文庫)

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……「ぼくの考えた無敵設定の無敵中年(元全共闘)が大活躍」という印象を持った覚えもあるが、まあいいや。タイトルは好き。