国語しか武器がなくても大学に入る方法

今週のお題「受験」
 お題でも与えられなければ、なにかを書く気にもなれない。現在、社会の底辺の方の高卒のおれが、はるか昔に大学受験して合格した話を書く。落伍者の「こう見えてもおれは昔……」話だ。たのしくない昔話といえる。
 そもそも、おれは小さい頃から将来は早稲田大学に行くものと思っていた。父親と母の兄の母校だったし、そのころにそんな概念は存在していなかったが、ラーメンが獣臭そうでいいな、と思ったのだ。中学か高校のころ、父の思い出歩きにつきあって冬休みのキャンパスの前に行ってみたこともあった。なぜか校門の前に勝手にテントをはって暮らしているらしき学生がいて、そいつが下手くそなラッパを吹いていたのも狂っていて好印象だった。
 そしておれは受験の年になって、早稲田の文系を片っ端から受けて(べつになりたいもの、将来の夢なんてものはなかった。適当にサラリーマンになれるものだと思っていた)、片っ端から落ちた。おまけに、地下鉄の乗り換えがさっぱりわからず行った回数だけ駅員に道を聞いた。
 想定内だった。一浪していいと言われていたし、おれはその気だったからだ。
 が、おれは慶應に受かってしまった。まあ、その中でも評価は低い方の文学部だが。で、今でもたぶんそうっぽいけど、科目が「小論文、世界史もしくは日本史、英語」の三つだった。
 おれの受験における武器はなにかといえば「国語」だった。国語しかなかった。正確にいえば「現代文」だった。古語と漢文はいろいろ覚えるのが面倒なので人並みだった。
 して、この受験科目に「国語」、「現代文」はないわけだが。ただ、「英語」は辞書持ち込み可、だった。予備校の講師が言ったか、参考書だかには、「実際に辞書をひく時間はない。最後の確認程度に」とか書いてあったが大嘘だ。開始と同時にばさばさ紙をめくる音が教室にたくさん響いてた。それで、辞書がありゃ日本語とかわんねえし、英語古文、英語漢文じゃないので、こりゃ「現代文」そのものだった。世界史はよく覚えてないけど問題は「センターレベル」とかいうやつで(センター受けてないので知らんが)、難問珍問奇問の類はなかったと思う。だから、適当にこなせた。
 あとは「小論文」だが、これはもう高校三年の夏期講習を取っただけだったけど、こんなもん書けばいいんだから国語より楽だ。おまけに、お題に出された歴史認識とその教育云々について、なんか書いてあることが気に食わなかったから、一発反論してやろうと思った。思うがままにスラスラ書いた。ほぼ文字数ぴったりに書き切れた。自分で言うのもなんだけど、論破したんじゃねえのかくらいの出来映えだと思った。自らの家の歴史を引き合いに出したりしつつ、緩急もレトリックもビタッと決まった。ありゃあうまく書けた。時間や文字数の制約内で、文章ってもんが、あんなにもうまくいくものかと自分でも思ったほどだった。
 結局おれは、一年とそこらで大学を中退した。大学というものも、結局おれの大嫌いな学校の続きにすぎなかった。まあ、生来やる気というものに欠け、受け身でしか生きられぬ人間にはそれ相応の場でしかないのだ、そこがどんなに恵まれた場であったとしても。
 あとは、就職活動中の女子学生の後ろを歩いていたら「アコムって会社の説明会に行ったらサラ金で、知らなかったからびっくりしたー」「へー」って会話を聞いて、就職とかいうものがひどく下らなく思えたのも、ちょっとは理由の一つになった。本当だぜ。あとは、ボンボンが多くて雰囲気になじめないというのと、フランス語の活用を覚えるのが無理だった。
 そしておれは、こんなんじゃだめだ、このままではだめだと思い、自分で会社を興すべく、当時黎明期だったITの世界に飛び込むこともなく、親の金をせびって大井競馬や川崎競馬に通う、立派な社会的ひきこもり、ニートになった。人生おしまい。それだけの話。ただ、あの小論文のテストはうまく書けたし、それは満足だった。そんなものだ。