おれたちは来る日も来る日も畑を耕した。耕すばかりで他のことはしなかった。日時の感覚も失われてきたが、もとより引きこもってカレンダーを失ったような連中ばかりだったので、だれも気にしたりしなかった。土は土のままだった。たぶん、おれたちのほかに、種や苗木を植える班、それらを除去する班、ローラーで均す班などがあったのだろうと思う。
そしてたぶん、一年くらいすぎたころのことだ。雨天座学日教習で、教官役の男が言った。
「おまえたちがいくら耕そうとも、おまえたちの土地は一粒の実りさえもたらさない。それはなぜか? 答えがその中にあるものもあれば、ないものもあるだろう。ただ、この世に平等などはない。平等の価値もなければ、平等に価値がないということもない。諸君らには、最終試験を受けてもらうことになる」
……話は変わるが、そのときおれの名前はヤルビレートといった。はじめての座学の日、三人詰めの机でたまたま双子の隣に座ったのだ。そして教官役の男が双子のひとりを指さし「お前はジャン」、もう一人の双子を指さし「お前はジャック」と名付けた。おれは「ルソー」を名乗ることになるかとおもったが、なぜか「そしておまえはヤルビレートだ」と言うのだ。
とくに不満もないので、おれはヤルビレートになった。
ヤルビレートはほかの皆に課せられたことと同じく、自己紹介をさせられた。
「はじめまして、みなさん、ヤルビレートです。わたしがここに来たのは……、間接的ですが、引き金になったのは……、ある年のある入札で、他業者ならではのぶっ込みをかまして年間の契約をとったのはいいのですが、……いえ、小さなところにはそれで十分だったのですし、やればやるほどシステマチックになっていって、楽な話で、二年、三年とやったのですが、四年目にですね、ほかの業者にぶっ込まれまして、定期的な収入が減ったことが、不況から脱し切れない窮状と……重なったわけで。ええと、そういうわけで、死ぬにも死にきれず、関内のマクドナルド……二つあるんですが、南の方のゴミを漁っていたら、ここにいたというわけです」
まばらな拍手。そして続く似たような自己紹介。似たような連中。
話を元に戻す。教官役の男はおれの記憶を中断するようなことを言ったからだ。
「諸君らには、有名なストリートで歌ってもらう。むろん、独りでだ。有名なストリートは東京にある。都下ではなく区内であり、横浜より人が多い。夜の、人の通りが多い時間だ。ネオンの光は諸君らにとって太陽より眩しいだろう。それを道行く人びとが見守るだろう。ただ、これを乗り越えずして■■市民を脱して、また再び社会に復帰することはできないだろう。用紙を配るので、希望する曲を三曲まで書いて提出するように」
人前で歌うくらいなら死ぬ。
死ぬと思ったのに、おれは死ねなかった。われながらなにに執着しているのかわかりはしなかった。おれは死ねなかった。
ただ、死んだやつはいる。ジャンとジャックだった。双子は互いの首を吊り合い、見事に死んでのけた。これほどシアトリカルでシンメトリカルな二体の死体というものはありえないような死に方だった。数学の教科書の表紙にでもするべきだと思った。
「私は自由意思により自己の啓発を目的として以下の楽曲を路上で独唱することを希望します。
(1)水師営の会見
(2)ヴァージン・ブルース
(3)自動車ショー歌
ヤルビレート 印」
おれはフェイマスなストリートに一人だった。一人でマイクを持っていた。ラジカセのスイッチを押せば「自動車ショー歌」のイントロが流れてくるだろう。しかしおれは小林旭ではなかったし、ネオンの光は太陽ほど眩しくはなかった。しばらくの間、農園の軽トラしか見ていなかったので、首都を走る自動車のスピードについていけなかった。まるで、フォーミュラ・マシーンのようだと思った。
……と、気を逸らそうにも、おれを見張っている人間のこと、おれが人前で歌わなくてはいけないこと、おれがそうまでしても生きなくてはならないことを思わずにはいられなかった。あれは東京タワー、それともスカイツリー。双子の完璧な左右対称の死骸が見えた、見えなかった。見えたような気がした。見たいと思った。時間ばかりが過ぎていった。おれは汗をかいた。汗をかいている間も時間ばかりが過ぎていった。おれの人生は時間ばかりが過ぎていって、おれはなにもしてこなかった。時間は過ぎるものなのか、過ぎて積もるものなのかおれにはわからないが、おれはずっと空っぽだったし、今、この瞬間も空っぽだった。やっぱり、時間ばかりが過ぎていったのだった。