マーセル・セロー/村上春樹・訳『極北』を読む

極北

極北

 この小説の筋や内容に関しては、ここではあまり詳しく触れないようにしたい。本文より先にあとがきを読む読者もおられるだろうし(責めているわけではもちろんないけれど)、筋の展開をまえもってばらすようなことは、僕としてはあまりしたくない。とくにこの小説は先が見えないというか、話がどんどん意外な方向に伸びていくので、前もって設定や筋がわかってしまうと面白くない。できればまっさらな頭で物語を愉しんでもらいたいと思う。
「訳者あとがき」

 ……と、村上春樹はあとがきに書いている。僕としても同じような読後感を抱いたので、あまり内容には触れたくはない。ひとつふたつネタばらしをすると、主人公は人間だということと、タイトルの意表をついて南国の話ではない、ということくらいだろうか。さらにもうひと押しして、書き出しだけ紹介しよう。

 毎日、何挺かの銃をベルトに差し、私はこのうらぶれた街の巡回に出かける。

 このくらいでいいだろう。あとはもう、「これ、けっこう面白いぜ」ってあなたに勧めるくらいしか残されちゃいないんだ。ちなみに言っておくと、気をつかって書かれた「訳者あとがき」も、僕が冒頭に引用したところで読むのをやめた方がいい。早く本文に戻るんだ。それがいい。
 というわけで、どうにもそっけない紹介の仕方になってしまうのだけれども、なにか話そうとするとこのエントリーの頭に戻ってしまうのだからしかたない。タイトルは『極北』。日本語訳は村上春樹。初版発行は2012年の4月10日。
 しかしなんだろう、村上春樹の新作発売となると、本屋の本棚がひっくり返ったような騒ぎになるというのに、翻訳物となるとぜんぜんそんなことはないのだな、という。いや、おれがふだんから現代文学というものに対してまったくアンテナをはっていないだけで、そちら方面で『極北』がものすごく話題になっていたということはあるかもしれない。でも、少なくとも地上波テレビのニュースや、半径何クリックかのインターネットじゃ、この本のことなんてまったく知ることができなかった。ふと、図書館の本棚で手に取って、はじめて知ったんだ。「訳者あとがき」の途中まで読んで、ちょっといってみるかと。
 それにしたって、ああ、あああ、あああああ、言いたくても言わないほうがいいなって思うからいわないけど、わりとヒットというか、タイムリー・ヒットじゃないかって思うわけだ。いや、そうでもなくても十分にぐいぐい引き込んでくる面白みもあるし、そこに広がっている世界というものは、実に僕好みで。なので取り扱い慎重、もしなにか暇な人がいたらパッと手にとってスッと読んでみてください、と、そんなところなのです。おしまい。

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ワールズ・エンド(世界の果て) (村上春樹翻訳ライブラリー)

ワールズ・エンド(世界の果て) (村上春樹翻訳ライブラリー)

……ちなみに同じく村上春樹が訳した『ワールズ・エンド』の著者は本作の父によるもの。おれはこの本のハードカバーを持っている。が、読んだか読んでいないか覚えていない。ひどい話だ。