おれが迎えるのは生き恥の週末

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おれは恥を晒して生きている。無能さゆえに恥を晒して生きている。そのおれが迎えるのは生き恥の週末。だれに見られるでもないのに週末を恥を晒す。おれはおれの恥を見る。おれはおれに悪罵する。おれは安酒を飲んでは半分生きて半分死んでいる。半分死んだおれが半分生きているおれを悪罵する。それとも半分生きているおれが? 

いつかはクリアに見えた世界も濁っている。薬が世界を濁すのか、酒が世界を濁すのか、それとも薬のおかげで、酒のおかげで、いくらか世界を見られるのか。本当の世界はどこにあるのか。世界はおれの脳にある。脳は世界の中にある。ポール・オースターがそんなこと言ってたよ。そして、尊敬すべき酔っぱらいの先達はこう言う。

どうせおれたちはどこへ行こうが壁にしがみつくような人生だ。おれは最悪の二日酔いの頭で、いろんな自殺の仕方を教えてくれる二人のダチを思い浮かべる。自殺のやり方を教えてくれる以上に、厚き友情を示すものはないだろう。一人のダチの左腕はカミソリの傷跡だらけ。もう独りはもじゃもじゃの黒ひげをたくわえた口のなかにバケツいっぱいの睡眠薬を流し込む。二人とも詩人だ。

チャールズ・ブコウスキーブコウスキー・ノート』

今の薬は安全に作られているから、オーヴァー・ドーズじゃ死ににくいらしい。じゃあカミソリか。おれの脚もカミソリの傷跡だらけ。とはいえ、そいつはすね毛を剃るときにしくじった跡だ。おれは先々週だったか、その前だったか、埃をかぶったロードバイクを持ちだして、とくに目的もなく南を目指した。途中から、江の島を見て帰ろうと思った。江の島に着いてみたら、134を少し走りたくなった。おれは小田原の方に向かった。小田原まで行くつもりはなかった。ただ、134は空いていて心地よく、自動車や自転車に抜かされながら、なかなか右折するタイミングを掴めなかった。とはいえ、おれはずいぶん久しぶりにロードバイクに乗ったものだから、ケツが痛くなってきていた。なにかのネーミングライツがついた湘南大橋が見えてきた。あそこを折り返しにしようと思った。そしておれはそのようにした。帰り道は散々だった。3回も転んだ。足をペダルに固定しようなんて考えたやつはだれだ? おれはおれがふらふらになっているのに気づいていなかった。ずいぶん久しぶりに自転車で走るのに70kmも走るのは馬鹿げている。おれはおれを信頼していないわりには、どこかで「行こうと思えば小田原にだって行けちまうんだ」って勘違いしてる。それはとてもよくないことだ。ひとつ賢くなったおれは自転車にチャイハネで買った変な模様の布をかける。もうしばらくは乗ることもないだろう。なにかすべて、夢のなかにいるみたいだった。

おれは週末に自転車に乗らない。おれは週末に写真を撮りに出かけない。おれは週末に酒を飲む。ただし、おれは二日酔いするほど飲まない。いや、飲めない。飲む前に寝てしまう。眠りの浅いおれはよくわからない夢を見る。このごろよく夢を見る。書き留めたものをあとから見返しても、それがなんなのか、フロイト的な意味以前によくわからない。ただ、いい夢を見ることはほとんどない。せめて夢くらいは自由にさせてくれないか。まったく、散々だ。なにもかもうんざりして、おれの買う馬すらうんざりして、直線の入口で脚が上がってる。ゴールはまだ先だ、まだ先なんだ。

ブコウスキー・ノート