鈴木の中でも答えが出ない 『最貧困女子』を読む

 

最貧困女子 (幻冬舎新書)

最貧困女子 (幻冬舎新書)

 

おれは貧乏だが貧困というほどではない。そう思っている。そう思いながら、茹でガエルのようになり、気づいたら餓死しているか刑務所にいるかといったところだろう。しかし、今のところ、とりあえずは、貧乏だと思っている。

そんな貧乏なおれは、この本に取り上げられているような貧困の人に接したことがあるだろうか。貧困の再生産に接したことがあるだろうか。これがなんというか、「ない」と言える。

おれの親族、あるいは職場、仕事関係の人々……、決して大金持ちなんていやしない。政府の調査か何かについて「どちらかといえば生活が苦しい」と答えるような人が多いと思う。思うのだが、貧困、さらに最貧困というレベルの人はいない。少なくとも、けっこう誠実で、知的な人に囲まれているとすら思う。もちろん、おれの貧乏のレベルのなかでの話ではあるが。

して、さらにいうとおれ個人は「飲む」、「打つ」、はあっても「買う」がない人間であるからして、最貧困女子と出会うこともないのである。おれは一歩間違えると貧困に陥り、自死か路上か刑務所かというところにいながらにして、かつては私学一貫校から現役で合格の慶応ボーイだったんだぜ、自転車はコルナゴ乗ってるぜ、という妙なところにひっかかっている。ひっかかっているおれは、やはり握力がなくなって貧困に落ちることも考えなくてはならない。

というわけでおれは女子ではないけれども『最貧困女子』とか読んどいたほうがいいんじゃないのか、という気になるのである。『闇金ウシジマくん』を読むのに近い意識である。それが著者の望むこととは違ったとしても。

でもって、著者の考察によると、貧困は低所得に加え、「三つの無縁」と「三つの障害」があるケースが多いという。

「三つの無縁」……「家族の無縁・地域の無縁・制度の無縁」

さあ、おれに当てはめて考えてみよう。そのつもりで読んでんだ。女子、あるいは未成年女子どころじゃなく、おっさんだがな。

まず家族の無縁。これはどうか。これはあやしいがギリギリ保っているところはある。元より親族との縁が薄い両親のもとに育ち、どうもそっからしてヤバイ(父系の親戚を小さな頃からほとんどしらない)し、今は父とも絶縁している。病気をかかえたニートの弟と縁があったところで助けにはならない。

地域の縁というと、これはもう無縁である。無縁仏である。もともと近所付き合いの薄い両親の元に育った上に、その土地から夜逃げするように大都会横浜の片隅に一人で息づいているのである。隣人の顔も、上に住んでるやつの顔も知らない。あらゆる学校時代の誰とも連絡しようがない状態でもある。これはアウトだ。

制度の縁。うーん、どうだろうか。おれはおれなりに行政の制度を理解する知能をたまたま有しているようにも思える。なんなら行政の発注する仕事をしていることもある。これはどうにかならないか? ただし、それを理解できるが故に、「行政頼んなよ」と拒絶される可能性も高い。アルコールやODで脳を壊してしまおうか?

で、さらに三つ。

「三つの障害」……「精神障害発達障害知的障害

精神障害。これについては、もう2年近く精神科に通い続け、双極性障害の薬や抗不安剤睡眠薬を処方されているので、障害あるといっていいのではないだろうか。ただし、そんなに重くないのである。自傷行為とかしないでおさまっているところがある。毎日出社して(日中、アホみたいに眠りこけていることが最近多いが)、帰宅するくらいの元気はある。さらにいえば、運動習慣と野菜もある。瞑想と踊りはないが、どちらかといえば健康体じゃねえか、ということになる。

発達障害、というと微妙である。かかりつけ医に「これこれこういう感じなんで、本に書いてある発達障害ってやつでしょうか?」と聞いたら、そうかもしれないけどテストは大変だ、とスルーされてしまったことがある。これについてはようわからん。もちろん、こういうものの判定にはグラデーション的な見方をするのだろうから、どちらかといえば発達障害的な要素もあるかもしれないよね、くらいのものである。

知的障害……となると、さすがに違うように思える。賢く生きているとはいえないが、まあ今までの人生で算数以外はそれなりにやってきたし、とりあえず会社勤めの真似事もできている。

……って、おれ、完全に「三つの無縁」と「三つの障害」あったほうがいいなってスタンスになってるよね? あー、あかん。完全に性根腐っとる。ヘドロのようなクズ人間。自分に欠けていることを探し、欠点や弱点を武器にして、なにか美味い汁を吸おうとしてる、美味くはなくとも食えるだけの汁を吸えないか考えている。もう、この一点突破で国は哀れなおれに金を出せ、とか言いたくなるが、とんでもない傲慢だ。恥じ入るばかりだ。さらにいえば、本当に恥じ入ってるかどうかという怪しいところがある。あかんなあ、というくらいの客観視ができてしまっている。いやはや。

というわけで、圧倒的な不自由や悲惨さ、光の当たらないどん底の数々を読みながら、おれはおれのことを考えていた。正直に告白せねばなるまい。あらためていうが、おれはそこそこの家に育ち、そこそこの教育を受けてきた人間である。家も土地も失い、一家離散の夜逃げがあったとしても、だ。そんなおれが貧困、それも最貧困に自分を寄せていこうというあたり、ろくでもない話だ。

そんなおれが最貧困女子についてなにを語れよう。著者いわく「鈴木の中でも答えが出ない」というのに。福祉関係の人々がいろいろ努力しているであろうに。ほんま、どうしようもないな、おれは。ああ、どうしよもない、ほんまどうしようもない。以上。