ダ・ブック・オブ・イノサンス・エンド・ベリ・ベリ・ブエーノ

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その本には傷つけられる子供は一人もいなかったし、殴られたり蹴られたりする老人もいなかった。不倫をする夫婦もいなければ、成就しない恋もなかった。未知の巨大生物は都市を破壊しなかったし、未知の病原菌が人々に感染して社会が大パニックに陥ることもなかった。異星人は現れないし、死者は蘇らなかった。押し付けがましい説教はなかったし、人々をある思想に染めようという宣伝もなかった。老いは否定されず、若々しさが称揚されることもなかった。法定速度を破る自動車は走っていなかったし、信号を無視する自転車も走っていなかった。乱暴な水夫たちがダンス・ホールで殴りあうこともなかったし、子供を支配しようとする父親もいなかったし、口うるさい母親もいなかった。動物やものが人間の言葉を喋ることはなかったし、一つの奇跡すらおこらなかった。病気になる人もいなかったし、不幸な死に方をするペットもいなかった。とつぜん大きな幸福に恵まれて破滅していく人もいなかったし、ささやかだけれど幸福なことを感じて生きる人もいなかった。闇金で借りた金をパチンコに突っ込む人もいなかったし、氷山にぶつかって沈没する豪華客船もなかった。チームの勝利のために肩を壊すエース・ピッチャーもいなかったし、一着と引き換えに脚を折ってしまう馬もいなかった。人間の心を持ってしまう人工知能は存在しないし、人間が実は高度な存在の操り人形だということもなかった。本の中の人々が実は自分たちが本の中の人々であると気づくこともなかったし、同じ人生を何度も送らされていることもなかった。大企業に派閥争いはなかったし、小さな個人商店が店をたたむこともなかった。花は枯れることがなかったし、水不足に悩む村人も出てこなかった。税金はおもすぎることもなかったし、間違った使われ方をすることもなかった。卑劣漢に描かれる実在の人物もいなかったし、地球に激突する小惑星もなかった。コカインで破滅する人もいなければ、瞑想でうつつから離れていってしまう人もいなかった。働き過ぎて身体を壊してしまう人もいなかったし、心を壊してしまう人もいなかった。海で溺れてしまう子供もいなかったし、川に身を投げて死んでしまうという人もいなかった。時間通りに到着しない電車はなかったし、鍵をかけ忘れたかばんもなかった。遠い昔の小さな後悔に胸を痛める人もいなければ、未来に対して茫漠とした不安をいだいている人もいなかった。水のない砂漠もなければ、空気の薄くない高山もなかった。人が人におもねるということもなかったし、カーテンのない部屋もなかった。その本には宇宙のはじまりのことも書いてなかったし、宇宙の終わりについても書いてなかった。