おれの親しい人の親しい人、いうなればおれにとってやや親しい人に先天的聴覚障害者の人がいる。補聴器なしには会話できない。補聴器を外せばほぼ無音の世界にいる人だ。
そういう背景もあって、何かしら『聲の形』に踏み込めないおれがいた。補聴器の、想像するよりもかなり高い値段について知ってもいるから、小学生時代の主人公たちがそれを取り上げて捨てるシーンなどは、おそろしくて見ていられないほどであった。
が、その代価はいじめっ子であった主人公の母が支払う。あの分厚い札束はフィクションではない。そのくらいの値段がするのだ、補聴器は。
補聴器は、すごく高い。そして、性能は値段に比例する。補聴器をメンテナンスに出す。その間、代車ではないけれど、代わりの補聴器を提供される。それはもっと良い補聴器だ。聞こえが違う。だが、気軽に高い補聴器に乗り換えるほどの費用ではない。それこそ、ずっとバイトして、お金を貯めて、ようやく買えるかもしれないという価格だ。軽自動車並、といったらいいであろうか。
おれはそれを知っていたがため、小学生のいじめであったとしても、それはやばい、という気持ちに落ち込んでいた。札束で返せば、それで済む問題ではないであろうと。それで済まなかった。そのあたりは、貸借で描写されてはいる。
が、人間いうものそれぞれが抱えている、それ独自のものというものがあっても、いじめの被害者がさらに自殺を試みて、それについて家族や本人が土下座するというという展開には、何ぞこれは、という思いがしたのも事実である。事実というか、おれの事情である。個人的な感想です、である。
人間が人間の心を壊すのは簡単でもあり、取り返しがつかないというのも、いじめの標的となった自分の心にいまだに刻み込まれて修復不可能なものだ。それが、あっさりと、というのは不適当な言葉かもしれないが、都合よく、というのも不適当な言葉かもしれないが、許されてしまうというのには当惑するところがあった。これも、個人的な感想です、だ。
そういうわけで、観る人によっては感動的な作品であり、単に上質なアニメーション(それはおれも認める)であるかもしれない本作、おれにとってはモヤモヤが残った。人生いうもの、取り返しがつかないものは取り返しがつかないし、人は死すべきときに死なないのは不幸であるという、そういうおれの人生観によるものである。ただ一つ、補聴器いうのはえらく高いもので、あの札束はリアルであると、それはあらためて言っておきたい。以上。
聲の形 コミック 全7巻完結セット (週刊少年マガジンKC)
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