2019年参議院選挙・雑感、あるいはエンドレスエイト

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「民主主義してるかい」、「今夜はひとりぼっちかい? ぼくがいなくて寂しいかい?」。横浜市・区選挙管理委員会はそう問う。おれは投票を終えてから、「投票証明書」をもらったのだから、「民主主義してるぜ」なのだが。

おれは選挙というものに、選挙権を得てから、おそらく一度を除いてすべて投票している。一度、がなんだだったのか思い出せないが、「これじゃあ行く気はしないぜ」と思ったような気がする。ただ、気がするだけで、行ったかもしれない。そのくらい曖昧だ。

第25回参議院議員通常選挙、これには出かけた。たしかに出かけた。出かけた結果、投票証明書というものを手に入れた。おれは今まで投票証明書を受け取ったことは一度もなかった。そういうものがあると、ぼんやりとは思っていたが、受け取ろうという行動に出たのは初めてだった。比例区の投票を終えて、帰るところで、最後の長机の人たちに「投票……」と言ったら、束から一枚はがして、証明書をくれた。証明書で本牧のどこそこのなにかが安くなるらしいが、おれはとくに意味なくもらった。もらえるものはもらうべきなのだ。

して、おれはどこに投票したのか。これを明かすのは、ネットで生きる人間として致命的なポイントであるかもしれない。「こんな投票をする人間だと思わなかった」という人も出てくるだろう。だが、おれはおれの備忘録としてこの日記を書いているのだ。誰の目を気にしようか、おれはおれの記録をする。

などと言ったところで、おれの考える特殊な投票をしたわけではない。神奈川選挙区は共産党の浅賀由香候補に入れた。「8時間働けばふつうに暮らせる社会へ」というキャッチコピー。悪くない。悪くないが良くもない。おれは「働かなくてもふつうに暮らせる社会へ」を目指してほしいと思う。おれは働きたくないのだ。でも、維新の松沢成文の「江戸城再建」よりずっとマシだと思ったのである。

ちなみに、神奈川選挙区では自民党の島村大、立憲民主党牧山弘恵公明党のだれかが順当で、残りひと枠の勝負だった。おれは今までもそうしてきたように、共産党に一票入れた。おれは日本共産党と性根から合致するものではないが、維新に入れるくらいならば共産党に入れたほうがまし、という選択をしたのである。いつだったか、不破哲三か、志位か忘れたが、日本共産党は遠い未来に無政府を実現したいとテレビの討論会で言っていた。そのロマンチに少し賭けたいところはある。

比例はどうしたのか。おれは「れいわ新選組」と書いた。正直、鉛筆で文字を書くのは「あさか由香」でも精一杯だったのだが、頑張って「新選組」と書いた。「新撰組」でもいいのだろうが、おれは字面として「新選組」のほうが好きである。

ともかく、おれはなにか新しいなにかがあればいいと思った。「れいわ新選組」と書けば、ALSの人間が、国会へ行く。それはなにかいいことだと思った。山本太郎もいいだろう。でも、あえて特定枠で一ないし二議席、「れいわ新選組」に行けばいいと思った。反緊縮? よくわからないが、なにかいいようなことのように思える。ブレイディみかこに洗脳されているのかもしれない。

夜の選挙特番で、池上彰が「なんで体制側の新選組という名前なのか」と山本太郎に聞いた。山本太郎は「維新を名乗りながら体制にべったりの党もあるので、気にしないでくれ」というようなことを言った。そこで回線は途切れた。それでいい。新選組はたしかに白色テロルであったかもしれないが、旗本八万旗と言われるなか、最後まで命がけで戦ったのは、武蔵国あたりの百姓だったというところが泣かせる。だから、おれは新選組を好む。そんなとこはある。で、反緊縮はこの国の経済を良くするのですか?

いずれにせよ、立憲民主党にも国民民主党(神奈川選挙区から出た「俳優から政治へ」の立候補者の珍政見放送よ!)にも、なにか感じるところがなかった。もちろん、N国にも、だ(一議席確保は……なんかすげえな)。ともかく、自民にも公明にも入れたくない、当選しそうな立憲にも入れたくない、そう感じた。

その程度の「感じ」でおれは投票用紙を二枚、選挙箱に投じた。結果的にいえば、神奈川選挙区は自民、立憲、公明の次に維新の松沢が当選した。神奈川県民はしばらくの間、「江戸城再建(笑)」と言われるだろう。一方で、「れいわ新選組」は二議席を確保した。かなり早い段階で「れいわ二議席」と報じるメディアもあったが、NHKなどはなかなか二議席目の当確を出さなかった。比例代表のカウントの仕方になにか難しいところがあるのかもしれない。もっとも、一日経てば出るのだから、急ぐこともない。

……というのが、おれの選挙だった。

月曜、母とやりとりをした。七十歳を越えるか越えないかの父が、参院選の日にどうしていたかを知った。Netflixかなにかで『涼宮ハルヒの憂鬱』を見ていた、という。あの悲惨な事件で「京アニ」の名前を知り、そこから『涼宮ハルヒの憂鬱』を見始めたという。母も、それにつきあわされたらしい。しかし、『涼宮ハルヒの憂鬱』はおもしろかったという。「エンドレスエイト」になると、おれの弟からもたらされた情報により、早送りを使ったという。最後は劇場版を見るというのだから、まあそれもいいだろう。あの劇場版はよかった。

おれの父は選挙というものに行ったことがないと豪語する人間である。選挙自体に与するのは、体制を肯定する態度であって、自民党はもとより、学生運動を潰した(と本人は思っている)共産党もろくでもない。だから、自分の投票権は一万円でだれかに売ってもいい、などとうそぶいていた。それがあの時代の早稲田の政経の人間の挟持であるというのなら、それはそれで結構だ。

そうだ、選挙に行こうが行くまいが勝手だ、自由だ。おれはそう思う。おれは選挙に行くけれど……という弁明もくだらない。おれは勝馬投票券を買うように、一票を投じる。そこに面白さがある。それだけだ。100%、99%の人間が投票に出かける社会は怖い。おれはそう思う。ならば50%を割るのはどうだ? と言われると、正直わからん。わからんが、行って投票した候補者が当選した人間、落選した人間、白票を投じた人間、そもそも行かなかった人間、なんでもいいが、どこからであろうと政治について語ってもいいし、語らなくてもいい。好きにしろ、それが自由主義ってもんだろう。

おれは自由が好きだ。優雅で感傷的な大杉栄一派を愛するものだ。政治や社会を突き詰めて何が大切かというと、自由の二文字がある。「れいわ新選組大きな政府を目指しているから、自由とは遠いですよ」という声もあるだろう。共産党についても。だが、おれはおれの感じるように投票をして、おれの思うように、また思わぬように選挙の結果が出た。それはもうどうでもいい。おれは自由に、ああだこうだと政治にいちゃもんをつけるかもしれない。あるいは、政治なんて放っておいて『涼宮ハルヒ』のシリーズを見返すかもしれない。共産党が政権をとったら、アナボル論争でもしてやろうかと思う。それもおれの勝手だ。投票したあとに「奇珍」で「竹ノ子そば」を食うのもおれの勝手だ。それだけだ。

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以上。

 

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