おれは仕事をしつつ、サボりつつ、王位戦を追っていた。矢倉。藤井棋聖の矢倉は土居矢倉という戦前の形になっていた。矢倉は純文学。矢倉は歴史。AIが最適解を出すような時代にあって、古い戦術が掘り起こされるというのも面白い。プロ棋士が実戦で鬼殺しを指す時代が来るかもしれない(それはないか)。
王位戦の対局者、木村一基王位対藤井聡太棋聖。ここまで二戦、藤井棋聖の勝ち。3局目。相矢倉。藤井棋聖が雀刺しの構え。これは木村王位の棒銀を誘う策という話だが、棋力のないおれにはよくわからない。木村王位は銀を繰り出さない。むしろ退く。これが受け師の勝負か。
左辺の銀も退いた。雀刺しが炸裂するのか。炸裂というほどではなかったかもしれない。いや、1一香成が成立した時点で炸裂したといっていいのか。
して、6二銀である。総攻撃を受けながら、それを受ける受け師の一手。粘り腰である。本来、「千駄ヶ谷の受け師」は玉を前線にぶち込んで受けきるような「受け」なのだが、本戦は防戦一方という感じになってしまった。なんというか、血涙の一手という感じがする。泣くな行方。そういう感じだ。
で、そんな調子でおれは仕事しつつサボりつつ王位戦を観戦していたが、退社の時間。とっとと帰ろう。帰って終局まで見届けよう(その時点で藤井棋聖かなり有利らしい)。で、部屋に帰って、Amazonの安タブレットでAbemaを映し、ウイスキーグラスに氷を入れて、さあ、ハイニッカ(あまり店頭では見られない。おれは通販で買った)を注ぐか、というところで携帯端末が鳴った。
今日入稿したデータがちょっとおかしいのではないか、という連絡があったとのこと。おれは面付けしただけのデータなので、見てみなくてはわからない。「今から会社に戻ります」。タブレットからは千日手だの入玉だのという物騒な(?)言葉が聞こえてきていた。おれは氷を入れたウイスキーグラスをそのまま冷凍庫に入れた。
そして、おれは会社に戻った。なるほど、イラレのデータにズレがある。ズレの原因も作った本人に連絡したらだいたいわかった。さらに別のミスも見つけて、3500mmの再入稿をした。で、また家に戻っては、終局してしまうかもしれない。おれは会社のiMacでAbemaの実況を再生した。それとともに5chの将棋板を開いた。木村玉が入玉できるか、捕らえられるか。
板ではしきりに1三銀が、という書き込みがあった。あとから知るに128手目で3三銀というところで、1三銀としておけば、AIの評価で木村王位に逆転の目があったということらしい。もちろん、一発逆転という手ではなく、そこからも細い線を繋がなければいけないわけだが、藤井棋聖にとってやばい一手があったわけだ。
素人目に見て、なにか木村王位の入玉もありそうだな、というところもあった。が、藤井棋聖がなんとかしのぐ。「思い出作り」と揶揄される王手も冷静に対処する。藤井棋聖が勝つ。
が、本戦には二度目の勝利があった。感想戦で、藤井棋聖が死活の1三銀を指摘したのである。たぶん、AIの評価を見ていた観戦記者でなく、藤井棋聖が指摘したものだったと思う。そこで木村王位が「いやぁ」と言った。「これは指していなければいけなかった」というようなことを言った。残り時間のない中で、これを見出すのはそうとうに難しいことだったろう。だが、藤井棋聖はそれが見えていたのだ。感想戦でまた勝つ、というやつだ。
これで藤井棋聖が王位戦三連勝。木村王位はあとがなくなった。が、本局、最終盤は藤井棋聖の完璧な読みにほころびが見られたようにも思う。一時、入玉という可能性が見えた。そのあたり、まだ人間にも付け入る隙きがある。そう思わないでもない。というか、丸山忠久九段が勝ったばかりじゃないか。今度こそ、「受け師」の本領発揮で逆襲をしてほしい、と思うところではある。
思うところではある、が、実のところおれは将棋というものにまた興味をもたせてくれた藤井棋聖を応援というか感心というか関心を寄せるミーハーなのであって、藤井快進撃を見たいとも思う者である。一方で、おれは20年くらい前に将棋新聞などを愛読していたものであって、上の世代の逆襲にも期待したいのである。いずれにせよ、将棋はおもしろいのだ。乾杯!