津原泰水/近藤ようこ『五色の舟』を読む

 

五色の舟 (ビームコミックス)

五色の舟 (ビームコミックス)

 

おれは近藤ようこが漫画化した『高丘親王航海記』と『夜長姫と耳男』にすっかりやられてしまったので、さらに近藤ようこを読もうと思った。

『五色の舟』。原作は津原泰水。おれと津原泰水津原泰水とおれ。おれは短編である「五色の舟」が掲載されている『11 eleven』を手にとったことがある。そして、冒頭を飾る「五色の舟」を読んで、それよりあとを読むことなく放ってしまった。

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なぜ放ったのか。つまらなかったのか。ぜんぜん、逆だ。「五色の舟」がすばらしいことこの上ないので、おれには眩しすぎてそれ以上読むことができなかったのだ。前にも書いたが、どんな思い上がりであろうとも、嫉妬に似た感情がそこにはあった。おれはしがない日記書きだが、それでも最低限人に伝わる言葉を紡ごうと思っている。いくらか人に楽しんでもらえるものを書きたいと思っている。そんなおれにとって、「五色の舟」は眩しすぎて読めない。いや、「五色の舟」は読んだんだけれど。

というわけで、『夜長姫と耳男』は漫画が先であったが、こちらについては原作が先である。「ああ、おれはまた『五色の舟』に相対しなければならぬのか」と思いながらページを開いた。

が、やはり小説から漫画となると話は違う。ぐいぐいとその世界に引き込まれてしまって、「ああ、やはり『五色の舟』はすごいのだな」と素直に思えた。

『五色の舟』……。太平洋戦争中に生きる、見世物小屋の家族を描いた作品。著者の津原泰水が本書あとがきにいわく「没書とされるのを覚悟としつつも、書き上げずにいられなかった」作品。家族は要するに畸形であり不具者である。エロ・グロ・ナンセンスといってもいい。

が、エロ・グロ・ナンセンスに収まらないものがそこにはある。伝奇、SFの要素もある。が、それよりもなにか取り扱う題材に対して、なんらかの上品さ、気品があるのだ。これを、やはりあとがきで近藤ようこがこう書いている。

描く前から、最初と最後は柄にもなく少女漫画のようなイメージにしたいと決めていた。この物語の儚さと甘やかさを綺麗に演出したいと思ったのだ。

少女漫画、といっても人によってイメージするものは違うだろうが、このイメージは腑に落ちた。少なくともおれの腑に落ちた。そういえば、津原泰水少女小説を書いていたのだ。たしか。そこで生まれた傑作の小説を、傑作の漫画にしたといっていい。ああ、それにしても「くだん」がこのような絵になるとは。いやはや。

まったくもって、すばらしい漫画であった。おれはさらに近藤ようこを読まねばならない。そして、部屋の押し入れのどこかにあるであろう『死者の書』(おれは原作も人形アニメーションも愛している)を引っ張り出して、あらためて読まねばならん。ああ、おれはなんで漫画を読む習慣というものから二十年近く離れていたのであろうか。いや、単に漫画を買う金がなかったというだけであって、今もあるわけではないのだけれど。

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……こういう場合、原作者名と漫画家名どちらを先にするのが普通なのだろうか。どちらでもいいか。