ついに『ウマ娘』のアプリが公開された。おそらくは本来それと同時に放映されるはずだったアニメの一期はとうに終わり、今は二期をやっている最中だ。
競馬ファンのなかには『ウマ娘』に対して嫌悪感を抱く人間も少なくないと思う。嫌悪以上の怒りを抱いている人もいるだろう。べつにどうでもないという人もいるだろうし、「いいアニメだった」と思う人もいる。
おれはといえば、一番最後に属する人間である。
競馬ファンの間でも賛否両論かと思われる本作。おれは「絶賛」の人間である。これについて自分の競馬歴や競馬観、アニメ観など語りだすと、それだけでこのエントリーが終わってしまうのでやめておく。ただ、現実ではあり得なかった、ある人々の空想でしか存在していなかった「サイレンススズカの復帰」というものを、ひとつの形あるものに(もっとも、そうとうに違う「形」ではあるけれど)してくれたというのは、なにやらフィクションの世界というものに救いがあるのではないかとすら思ってしまった。
「絶賛」とまで言っている。
サイレンススズカ、そして今期、ほぼ主役の座を奪ってしまったかのうようなライスシャワー。おれはライスシャワーの死で競馬をやめた人を知っているし、サイレンスズカの死で競馬をやめた人も知っている。それだけセンシティブな話なのである。だが、おれは『ウマ娘』は一つの答えを出したと思っている。「起こらなかったことも歴史の裡」と言ったのは他ならぬ寺山修司。現実を下敷きにしながらも、それをひっくり返してしまうことも、フィクションなら自由だ。たとえば映画『イ■□□■□□・バ■□□■』で■□□■□ン・■□□■□ーノがやってみせたことだって、そういうことだろう。(追記:言われてみれば『ワ……』の方がしっくりくる。映画で一番美しいシーンとまで言った作品なのに)
で、おれが書きたいことはこれからが本題である。というか、それについても、上の記事で書いている。
ここに並んでいる馬名を見てもらいたい。十分に多士済々で、しかもなんか渋い。妙な渋さがある。テイエムがオーケーならテイエムオオアラシもいいのか? ダイワがありなら、ダイワテキサスもいいのか? ダイゴウソウルとかフジヤマケンザンとか混じっていてもおかしくない感じがある(そうだろうか?)。ハルウララがいるのなら、地方馬もありか。コスモバルクは? トウケイニセイやモリユウプリンスがいてもいいだろうし、ロジータだって、ベラミロードだって……とか言い出すとキリがない。キリがないのが競馬のいいところだ。ゴールドヘッドにチャンスはないのか(かなり無理)。
結局、ゲーム開始になっても社台系列の馬はほとんど取り上げられていないのである。その結果が、いまのところこのメンバーだ。
キャラクター一覧 | ウマ娘 プリティーダービー 公式ポータルサイト|Cygames
なにかこう、変な感じがする。異次元に紛れ込んだような気がする。もちろん、時代に語り継がれる名馬もたくさんいる。でも、ここにいて当然のスーパーホース、アイドルホースがいないのも確かだ。「日本近代競馬の結晶」とまで言われる馬がいない。
「朝起きたら自分以外のすべての人間がビートルズの存在がなかったことになっていた」という『イエスタディ』という面白い映画があったが、そんな感じがする。なにせ、なんか新キャラと思ったらイクノディクタスだぜ。渋い。もちろんツインターボも拾う。いい。
これはもう、社台系が天下統一してしまったような現実世界への、フィクションでの否定のようなものであり、個人馬主やオーナーブリーダーたちのあり得なかった夢の世界のようでもある。いや、「この馬の父親は……」とか、「この馬生産したのって……」という話もあるだろうが、それにしても、だ。
というわけで、今後もダイワキャグニーとか、メジロダーリングとか、メジロスズマルとか、ファンドリリヴリアとか、エアガッツとかサクラレグナムとかカツゲキキトキトとか、そのあたり(どのあたり?)を登場させ、あり得なかった日本競馬史を編んでいってもらいたいものである。
……しかしなんだな、歴代年度代表馬とか見ると、『ウマ娘』に出ている馬の多かったことよ。少し過去形になってしまう。吉田善哉は息子たちに「絶対に牧場を分割するな」と言い残したと『血と知と地』に書いてあったような気がするが、競い合ってさらにすごくなったんだよな。ほんと。
あ、ゲーム? もちろんインストールした。けど、おれ、こういうスマホのゲームほとんどやったことなくて、「ああ、これはこういうのね」という了解がなく、小さい画面を見るのも面倒で、おそらくほとんどプレイしないだろう。なにせ、すばらしいストライクウィッチーズのゲームも放置しているくらいなのだから。いやはや。