2月22日。おれは60歳になった。還暦だ。おれは横浜公園のダンボールの上に横たわっている。ひどく冷える。うめき声がそこかしこから聞こえる。昔はプロ野球興行が行われていたスタジアムも、今は見る影もない。白い猫が、横切った。
おれは下にひいていたダンボールを身体の上にかけた。土は冷える。しかし、風はしのげる。かつては古新聞やゴミ袋のビニール袋というものもあったらしいが、今はそんなものはなくなっている。ひたすらに寒い。おれたちは冷えて死ぬ。中区役所は四方をバリケードで囲い、横浜市庁舎は橋を切断しておれたちの侵入を防いでいる。
「……さん、……頭さん、黄金頭さん」
おれの耳に人間の言葉が届いてきた。幻聴かと思った。おれはもう20年、だれにも話しかけられることはなかった。
「お誕生日おめでとうございます、プレゼントを持ってきましたよ」
その人は言った。その人が差し出したのはインスタント袋ラーメンだった。
「これ、獣臭いんですよ、ラーメンが獣臭い」
「ああ、ありがたい。でも、悪い、ここにはお湯がないんだ」
おれはそう言った。その人も少し驚いた顔をした。
「でも、いい、そのまま、食わせてくれ」
おれはそう言った。
おれは乾いた麺に獣臭いスープをかけて、固いそれをかじりはじめた。悪くない。
すると、また別の人がやってきた。
「黄金頭さん、黄金頭さん、ドライではないアサヒのビールを持ってきましたよ」
ビール! ビールは寒風にさらされて、十分に冷えていた。寒い中でも、何十年ぶりにか口にするビールは美味だった。炭酸が喉を刺激した。そして、ラーメンをガリガリとかじった。
すると、また別の人が現れた。
「ゴールドヘッドさん、ゴールドヘッドさん、お酒を持ってきましたよ」
それは、袋に包まれていた。
「?」
おれは包みをほどいた。
「カオル……イラ?」
「カリラですよ、アイラモルトのいいやつです」
スコッチ。シングルモルトウイスキー。そんなものを飲んでいたころもあった。おれはカリラのボトルを奪い取ると、キャップをあけた。使い古した紙コップに注いだ。香り立つ薬品のような香り。おれはぐいと飲み込んだ。喉を焼くスコッチのアルコール。海を思わせる雰囲気。やさしい後味。
おれは涙を流した。
おれは今まで恵んでもらった酒の、乾燥野菜の、インスタント飲み物の、大阪への新幹線乗車券の、トマトジュースの、財布の、圧力鍋の、ホットサンドメーカーの、ドライヤーの、あらゆる恩返しをしていないじゃあないか。そして、横浜公園でこうやって横たわっている。おれはなにをしてきたのか。
……すべては夢だったのか、現とはなにか……。
翌朝、冷たくなっている黄金頭さんが発見された。
2月の横浜は、寒かった。
かたわらに、不相応なスコッチの空瓶があったのを死体処理処理業者が気づいたかどうか、さだかではない。