おれの脳みそやデスクトップは片付いているのかい?

寄稿いたしました。

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はい、まったくタイトルのとおりです。「片付けられない人間」の「言い分」です。ただ、ただの「言い分」なので、だからあんたたちはおれにどうしてくれとか、こうしてくれとか、配慮してくれとか言ってるわけじゃあないです。なんか、こんなんですって報告してるだけです。

 

……

………

はい、読んだー。

というわけで、おれの住環境ではなく、脳みその中身やパソコンのデスクトップが片付いているかもメモしておく。

まず、脳みそだが、これは混乱の極みに近い。なにせ、双極性障害躁うつ病)だ。それもある。それもあるが、そのアップダウン以外にも、意識というのはあちこちに向けられて、とっ散らかってる。

ただ、過集中状態になることがあって、そのときはもう、文字通り過集中なんであって脇目もふらずというやつ。そんときは、まあ整っているといってもいい。

けれど、それ以外の、ある程度フリーになれるときというのは、もう意識があっちこっち飛ぶ。その飛び具合というのは、たとえばはてなブックマークツイッター)でも見てくればわかると思うが、明後日の方向の話題にすぐさま飛びついてはコメントを残す。一つのことをじっと考えるのは苦手だ。ずっと気が散ってる。この「ずっと気が散ってる」ってのは、どっかのだれかがなんかの障害について表現したものだったと思うが、「それだよそれ」という具合に、気に入っているフレーズだ。

なので、過集中でもない仕事中なども、ふとインターネットでニュースなど見てしまう。少し忙しくなにかやっていて、電話がかかってきたり、メールがきたり、話しかけられたりしたら、そこでもうなにかプツンと切れてしまって、ふらふらしてしまう。悪い癖というか、そういう性質なのだ。

でも、そうやっていないと、なにか逆に落ち着かないところがあって、常に気を散らしていたいというところがある。とはいえ、たとえば自由にネットに触れない状況で、黙々と目の前の作業をこなさないとなれば、それはそれで集中、ときには過集中できる。そのあたりの分裂っぷりも「片付いていない」といえるかもしれない。

あと、これは程度問題で、「みんなそうだ」といえばそうだと言えることと思う。ただ、おれはどうも、自分についてこの傾向が強めかもしれないと感じているので、これを書いている。

して、脳を反映するのは住環境ばかりではないかもしれない。パソコンの中身というのもそうだろう。というか、下手をすれば住環境よりもダイレクトに反映するかもしれない。

で、おれのデスクトップが散らかっているかといえば、見た目的には散らかっている。アイコンを整列させたり、いろいろの定位置を決める趣味はない。

……のだけれど、「データとしてはかなり整理しているほうだ」という自負みたいなものはある。ファイル名の付け方も日付や案件があとからもすぐわかり、また検索しやすいようにつけているし、仕事ごとにきちんとフォルダを作り、フォルダの中にさらにちゃんと意味のあるフォルダを作り、校正があるごとに所定の場所に収納し、いらなくなったpdfなどはすぐに捨てる。バックアップもきちんと二つ作り、さらにTimeMachineも使って安心だし、安心を保つことに苦労はしていない。むしろ、データは整理されていないと気がすまない。他人のパソコンの中身やいい加減なファイル名など見ると、ちょっとイラッとする。他人がもしもおれの部屋をみたらイライライラっとすると思うが、まあそんなところだ。

ついでにいえば、作成するデータも整理されていないと気持ち悪い。きちんとレイヤーを作り、レイヤーに名前をつけ、へんなグループ化は行わず……。

まあ、これも当たり前のことか。ただ、おれは実生活の机の上と、パソコンの中の違いが、人よりは落差あるかなと思うので、こうやって書いている。どんなもんだろうか?

 

 

……こういう本読んだことないけど、読んでも無駄という諦めが先にある。