映画『ベイビー・ブローカー』を観るのこと

映画『ベイビー・ブローカー』を観に行った。「韓国で是枝裕和監督が撮ったらしい」、「なんかカンヌで賞を取ったらしい」くらいの予備知識しかなかった。

主演はソン・ガンホ。そして、ペ・ドゥナが出ている。それも当日知った。おれはペ・ドゥナのファンなので、「これはもういい作品に違いない」と思った。ソン・ガンホペ・ドゥナ。これは負けない。

実に、負けない映画であった。ロードムービーとでもいうのか、韓国の中をボロいワゴンで移動する。新幹線みたいなので移動する。登場人物たちの心も移り変わったり、変わらなかったりする。

「この世に生まれてきたこと」に感謝を述べるシーンがある。おれは反出生主義者だが、生まれてきてしまったものは肯定する以外ないと思っているので、納得のいくシーンではある。とはいえ、そういったメッセージ性のみに注目してももったいない。子役、赤ちゃん役を含めて、みごとな演技を見せてくれる。

それにしてもなんだろうか、外国人が映した日本、というものがあったとして、それが単になんの演出もない風景だとしても、どこかしら日本人が違和感を抱くということがあると思う。この映画について、監督名を隠されていれば「韓国映画だな」と思うだろうが、韓国人たちはなにか違和感を覚えただろうか。まあ、どうでもいいことだけれど。

それにしても、ペ・ドゥナのファンとしては、ペ・ドゥナが車の窓ガラスについた花びらを取るシーンはよかったよな、とか思う。細かいか。

ところでおれ、この映画、「○○時50分に終わる」と思って観ていたので、ちょっと時計を見て、「え、この観覧車のシーンすげえよかったのに、これからまだ一時間以上?」とか思ってしまった。が、そもそも始まりの時間と終わりの時間を勘違いしていただけで、映画は盛り上がりを迎えて、終わった。余計なことに気を散らしてしまった。

とはいえ、ラストをどう解釈するべきだろうか。解釈の外においておくべきだろうか。生まれてきてしまったものは、どのような親に育てられるのが幸福なのか。それは筋道論ではなく、幸福であるべきということになるのだが、なにがどうなるのかは育ってみなければわからない。人間社会は不完全であって、答えも正解もない。そのあたりを、ありのままに描いてみせたような映画でもあり、なるほど観てよかったと言えるかもしれない。

 

その後、映画館の入ったビルのカフェで感想会。

 

みなとみらい一望、みたいな席に通された。

 

帰りはかなり久々の中華街。「中華街で普通にコースを頼むと食べ放題よりも満腹になってしまう」という現象をひさびさに味わった。

 

以上。