東京都美術館『マティス展』に行く

マティス展に行った。ずいぶん前からやっていて、ずいぶん前から行こうという話になっていたが、結局はぎりぎりになってしまった。しかし、女の人が言うに「マティスは夏が似合う」。まあ、そう感じがしないでもない。

 

アンリ・マティスとおれ、おれとアンリ・マティス。おれはマティスを嫌いではない。おれがかなり好きなものに「悪くない」というのと違って、「嫌いではない」はそのままの意味で五分五分くらいのものだ。べつに嫌いではないけれど、そんなに好きでもない。

 

でも、20年ぶりの大回顧展に行ってみれば、ちがった印象を受けるかもしれない。そんな感じ。

matisse2023.exhibit.jp

 

しかし、20年前のに自分は行ったような気がするのだが、どうも行っていなかったようだ。まあいい。

 

 

マティスの絵というのは、あまり精神をガリガリ削ってこない。本人が「みなが楽になれるような肘掛け椅子のようなもの」と自分の絵を表現しているように、さっぱりしているところがある。おれは精神をガリガリ削ってくるような絵の方が好きかもしれないので、そのあたりで好みの違いがあるかもしれない。

 

マティスはドローイングを「一番自分の感情をそのまま出せる」みたいなことを言っていたらしい。なるほど、ドローイングも面白い。しかし、それだけではどうも物足りない。

 

そこで色が入ってくる。しかし、マティス自身は線と色との関係に晩年まで悩んだ。どうも色が入ると違う。そんな感じか。キュビズムなどいろいろな手法に手を出してみても、自分の絵を改革することをやめない。やめられない。そういうところがあるという。

 

そして行き着いた一つの答えが「切り絵」だった。おれはマティスの切り絵《ジャズ》シリーズをはじめて見たが、これは悪くないと思った。鮮烈な色に、くっきりとした形。マティスマティスしていない。切り絵作家としてのマティスとして知っていたならば、おれはマティスの大ファンになったに違いない。それを知れただけで今回の展覧会は大儲けだった。

 

あとは、内装のすべてを手掛けた晩年の「ヴァンス・ロザリオ礼拝堂」が興味深かった。行けるわけがないが、一度行ってみたいと思ったくらいだ。思っていたよりマティスは底が深いし、本人もいろいろな方向に試行錯誤していた。

 

だいたい、マティスの代表作はアメリカやロシアに買われていて、今回の展覧会に「大物」は出ていない。むしろ、マティスが死ぬまで私蔵していたものをポンピドゥー・センターが所有していて、そういうものを集めて出している。B面コレクションといっていいかもしれない。出口で老婦人が係員に「◯◯はどこにありますの?」と聞いていたくらいだ。その◯◯は今回出ていない。そういうことだ。

 

とはいえ、マティスの肘掛け椅子の軽さも相まって、ひどい体力と精神の消費をすることなく展覧会を楽しめた。時間もそこまでかからなかった。展覧会一つ見るとけっこう疲れるものだが、わりとサクッと見られた。悪くない。

 

そしてわれわれは上野のサイゼリヤへ向かった。べつにいろいろ食べるところはありそうなのに、なぜサイゼリヤか。女の人が歯列矯正をしていて、食べられるものが限られるからだ。ファミレスかうどん。うどん屋はよくわからないのでファミレスを選んだ。久々のサイゼリヤだった。間違い探しはデザートのプリンを食っているときに最後の10個目を見つけることができた。それにしても安いよな。

 

そしてわれわれは、日傘をさして上野公園に戻ったのだった。