シロクマ先生へのお礼(ベンゾジアゼピン系薬品について)

※本記事には医薬品などに関する推奨されない内容を含みますので、あなたはあなたの主治医に相談して勝手に生きてください。

 

 

p-shirokuma.hatenadiary.com

シロクマ先生、はじめまして黄金頭と申します。専門家からの丁寧で貴重な返信ありがとうございます。

と、言いますか、かねがね思っていたベンゾジアゼピン系薬物についての疑問(関連エントリーは適当に探してください)について、「シロクマ先生がなんか書いてくれないかな」と思っておりましたので、よくない言葉でいえば「しめしめ」というところであります。

なにせ、Wikipediaにも偏りがあることはありますし、顔も名前も知らない医師の書いたものについても、はたしてどうなのかわかりません。ただ、Wikipediaにはソースが要求されますので、「どうもベンゾジアゼピンはよくない、という方向に行っているのはたしかかな」という漠然としたもやもやはありました。
……ありましたが、一方で、自分が信用している医師、これが多量多剤処方を好まず、できるだけ少なく、少なくという方針なのですが、その医師が問題なくベンゾジアゼピンの長期処方をやめないんですよね。あとはもう、ネット、たとえば5ch(古くからのネット民ですのでどういう場所かはわかっているつもりです)のメンタルヘルス板で双極性障害のスレッドを読んでみたりすれば、「ああ、やっぱりレキソタン飲んでる人いるんだな」とか思いますし、いっぽうでベンゾジアゼピン離脱のスレッドなどを見てみると、「こんなに苦しみながらやめようとしているということは……」となどと、まあよくわかっていなかった。

で、シロクマ先生くらいの、直接は存じ上げないけれども、はてな村の中で長年発言していたのを見ており、なおかつ「睡眠・運動・瞑想・野菜」ばかり言っているような人でもなく(R.I.P. xevra……さんって、べつにブログは消えてないのか)、まあとにかく、信頼できそうな現役の精神科医の意見を読んでみたかったというわけです。精神病のセカンドオピニオンというのはハードル高いものですし。

 

 

goldhead.hatenablog.com

というわけで、お手紙(?)拝見しました。

標準的な治療ガイドラインのご紹介、ご経験された実例のお話、ありがとうございます。いや、反省することばかりです。なぜならば、おれは抗不安剤(ベンゾジアゼピン)について語るとき、なんとなく悪い点があって時代遅れかもしれないという意味でWikipediaの関連項目にリンクは貼りましたが、この、具体的な副作用というものをまったく軽視、いや、無視していました。無視というか、全く思い至っておりませんでした。ぜんぜん考えもしなかった。

理由は簡単です。自分に副作用がないからです。いや、ひょっとしたら「健忘」を起こしたことがあるかもしれません。しれませんが、「何を忘れたか忘れた」のならば、それはもうべつに忘れてもいいことでしょう(いいのだろうか?)。

それでもって、これはもうひどい話、事例なんですが、自分、「処方されているベンゾジアゼピン系薬物をアルコールと一緒に飲んでも記憶が飛ばない人」なんですよね。とくに嫌なことがあったりして心が落ち着かない夜などは、レキソタンを飲んでから酒を飲む。これで不安はふっとび、幸せ度がかなり高まる。そのくらいの低意識なわけです。でも、意識は吹っ飛ばない。かならず歯を磨き、薬を飲み(抗精神病薬と睡眠薬……これも飲酒と一緒はアウトです)、マウスピースを装着し、ベッドで寝る。これができてしまう。酒飲んで寝落ちしたら朝だった、ということがない。

となると、おれにとってベンゾジアゼピンは魔法の薬ということです。いや、ほんと。不安を抑えてくれる。そりゃあ、まあ頭は少しぼんやりするかもしれませんが、それは副作用でなく作用です。頭がはっきりしているということは、考えすぎてよくないほうに引っ張られるくらいのことですから、人間ちょっとぼんやり生きているくらいがいいというものです。幸いにも自分は運転しません。

とはいえ、災害などで薬が飲めなくなったときの離脱症状とか、まず思いつきませんでした。「衝動にブレーキをかけづらくなる」というのも、思いつかなかった。自分の双極性障害の軽躁の出方は「イライラ」が強く、あまり衝動的行動というのはないのですが、そういうときもレキソタン飲んで落ち着く。双極性障害でベンゾジアゼピン食べてる人は、躁と鬱では、そういう使い方がメーンなのでは、と思っていました。しかし、そんなこと一人の患者にはわかることではありません。このあたりはもう、臨床でたくさんの患者さんを見ている医師のおっしゃることに重きを置いて見るべきです。

ODの問題もありますか。自分にはODの経験がない……あるとしても、「眠れないからアモバンもう一錠」とかたまにやってたのを、医者に言ったら「最大量だからおかわりしないでください」と叱られてやらなくなったくらいです。

レキソタンも、正直言って、足りないか、余らせているかでいえば、後者になります。とはいえ、松本俊彦医師の本とかに書いてありましたが、依存症というのはそれまで健康的な付き合いをしていても、急になると書いてありました。たとえば、20年アルコールと適正な付き合いをしてきた人でも、一生そのままでいくとは限らない。そういう人も突如依存症になる。そういう怖さもある。そういうわけで、自分がベンゾジアゼピンOD勢になる可能性も考えなくてはいけないわけです。そのあたりの考えも抜けていました。


こんな事情もあって、どうもおれは、「みんな不安だったら薬飲もうぜ!」と呼びかけてしまったわけです。これはあまりに軽率でしたので、太字でお詫びしたいと思います。

 

でも、レキソタンやめるつもりはないです

そのうえで、自分もベンゾジアゼピンを減らして……とは、あまり考えていません。たしかに加齢によって副作用が強くなるかもしれません。身体依存や離脱の問題もあります。耐性もとうぜんついているでしょう。でも、いまの自分には効くのです。そして、副作用をほとんど感じない。だったらもう、死ぬまで飲もうや。もとから長生きできない要素だらけ(自殺抜きにしても寿命の短い双極性障害、パートナーを得る可能性のない単身生活者、貧困とはいかないまでも明らかな貧乏……)なので、ベンゾを相棒に死ぬまで生きようというくらいのものです。

離脱の苦しみの先になにがあるのか? 不安を抑えてくれる薬のない世界。そうだ、前にも書いた通り、「やっぱベンゾ……」と思って、SNRI(イフェクサー)に切り替えを試したことがありました。大失敗でした。もちろん、減薬もそれなりに段階的に行いました。その経緯は書いたので繰り返しませんが、単に「SNRIが合わなかった」と言えない部分もありますので、再チャレンジの可能性がないわけではないのですが。

それでも、なんでしょうか、双極性障害(躁うつ病)の人間が、「抗うつ剤」でもあるSNRIなりSSRIなりを飲むことへの抵抗感がないといえば嘘になります。「変に躁転してしまうのではないか」という怖さがあるのが正直なところです。いや、双極性障害(II型)の人間は、どちらかというと軽躁になりたい。たぶん、たぶんですが、「鬱のほうがいいや」という人は少ないような気もします。人によるかな。でも、しかし、一般人に混じって「動ける」のはやはり軽躁の状態です。でも、先程書いた通り、変に躁転すると、自分の場合「イライラ」、「焦燥感」、「動悸」、「何事にも手がつけられない」みたいな感じになってしまう。それはそれで嫌だ。そして、イフェクサー試したときも、脳の圧が変な風になって、アカンわってなってしまった次第。

だからどうも、双極性障害と不安症で別々のところに効いていた薬、たとえばくしゃみ止め薬と胃薬の組み合わせが、くしゃみ止めの薬と総合感冒薬の組み合わせになったような(うまいたとえではありません)感じになってしまい、「なんか範囲が重なって、変に効きすぎるのでは」みたいな不安がある。もちろん、イフェクサーにしても全般性不安障害、社交性不安障害に効くとあるのは知っています。現在の不安障害の第一選択薬はSSRI、SNRIです。それが標準です。だけど、なんか、ちょっと、おれの、お気持ちは。

しかしまあ、アルコール依存症疑い濃厚の自分は、いま減酒に取り組んでいるところです。これがまあ、自分で言うのもなんですけれども、月曜の夜から木曜の夜まで一滴もアルコール入れなくても大丈夫くらいにはなってきています。一昨日の夜も、昨日の夜もノンアル。だったら、とりあえずレキソタンも減らしていくのはいいんじゃないでしょうか。たぶん、担当医も歓迎するでしょう。でも、やめることはないかな、というのが今の実感になります。酒も一緒で、シングルモルトのスコッチを飲めないのは考えられない。でも、減酒にはそれなりに効果がある。じゃあ、ベンゾ減らしたところで効果あるのか、それは知りません。知らんけど、うーん、どうなんだろ。まあ、しかし、薬代は安いほうがいいし。まあ、担当医と相談してみます。そんなところです。

 

というわけで、結論はこんなんですが、いろいろご教示いただき、ありがとうございました。

 

急に口調変わります

あ、しかしなんだ、病気と薬の話が大好きなので無駄に長くなったが、あれだ、最後になんかちょっと言っておこう。「薬で解決できりゃそれが一番じゃねえか」という基本はぶれない。これだ。解決は無理でも、少しでもましになればいい。ただ、いい薬を飲むに越したことはない、という条件がつくだけ。人間の人格なんてかりそめのもので、しょせんは脳の組成一つで変わるもの。

抗精神病薬をオランザピンからラツーダにかえてかなり快調になったとき、本気か冗談かわからないけど、主治医から「脳の組成が変わりましたからね」といわれて、それが印象深い。人間の心なんてそんなものだ。あまりにも機械論に寄りすぎていると言われるかもしれないが、おれにはちょっと生態心理学が難しい。まあとにかく、ラムネ錠みたいなの飲んで落ちていたものが上り、暗かったものが晴れ、ハッピーで埋め尽くされるならそれでいいじゃねえか。いずれ副作用とかもなくなってよ、みんなハッピーになるんだよ。

そんで、おれ、そんとき、「脳の組成が変わったみたいです」って女の人にいったら、「ええ、じゃあもうかつての黄金頭くんではなくなったの?」っていわれたんだけど、それはもうミランダ王の問いみたいなもんだよ。わかんねえけどさ。「赤肉団上に一無位の真人有り」っていうときの、赤い肉なんだよ、脳も、心も、精神も、そんなのは、形而下のものであって、べつに薬にでも任せて気分よくさせておけばいいんだ。

「じゃあ、一無位の真人を突き止めるために生きるんですか?」とか言われても、そんな難事に関わろうとするほどもの好きでもない。というか、もう阿弥陀如来に救われてるんだよ。全部、都合いいほうに取ろうぜ。もう、苦しいのも、つらいのも、全部いやになっちまって、できるだけ気分よくいたいんだ。無理だとわかっていても、だけどなんか、せめて今日くらいは。そんなふうに、生きて、死ぬ。そんだけです。

 

それでは。