おれの潰れそうな会社の現状について

寄稿いたしました。

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黄金時代の終わり。月に19万円も手取りがあったのに、これがなくなる。それどころか、会社自体が消滅してしまう。おれは失業者になって路上に放り出される。

 

……と、思っていたが意外な展開を見せた。元親会社の重役に社長が「親会社の社長にこんなことを言われた」むねのメールを送ったところ、向こうで「ちょっと(親会社の)社長は黙っていてください」ということになった。

 

結果、親会社に対する二千万くらいの負債は帳消し、関係は解消ということになった。むろん、赤字会社なので銀行に対する借金はある。ただし、いきなりの破産はなくなった。

 

とはいえ、これは親会社がつくまえの状況に戻るということであって、自転車操業もいいところの、給料の遅配、無配どころか平社員のおれから金を借りるということになる。しかしながら、もはや二十年以上働いているわれわれはもうそれで転職する気もない。

 

そして、親会社の社長が最後に説明に来る、という。なにを話すのか。いつものようにコンビニで買ったお菓子を持ってやってきた。そして、自分の言い方が悪かった、重役に発言を止められていたむねを説明された。上場企業だけにこれ以上の赤を出しつづけるわけにはいかなくなったが、道義的に社員の雇用を守るという意味で、この会社を整理してそのまま本社で雇うという道もあり、社外取締役からもその了承はえていたとのことだ。。

 

はっきりいって、その道は無理だ。おれは精神障害を抱えていてまともに勤労できない。慣れた空気の中でなんとか呼吸しているだけで社会人とは言い難い。そんなまま年を取ってしまった。ここまできた。いまさら他所で働くことはできない。

 

して、元親会社の社長が妙なことを言い出した。「会社同士の関係はチャラになったけれど、今まで通り月一で自分がここに来て会議をしないか」というのである。「おれは一度はじめたことは最後までやるんだよ」という。個人的な行動だという。こちらから事業の数字を出して、それを元にアドバイスのようなものをするのだという。

 

うちの会社の「数字」というのは社長一人が把握していて、親会社がついてこの月一の会議が開かれるまでだれも共有していなかった。社長が経理も全部担っていて、いちばんの仕事量で、社員は楽をしていたという面は否めない。それをやめようというのだ。そして、その月に残ったお金から、どのように社員にお金を分配するかなど決めようというのだ。

 

まあ、数字の共有とかは、最初に業務提携して、この会議がはじまったときから言われていたことだ。その上、人も金も協力できなくなっていったいなにができるというのか。よくわからない。

 

よくわからないが、外の目もあったほうがいいだろうし、一応は上場企業の社長がコンサルをやってくれるというのだから、まあお願いしますということになった。

 

というわけで、自転車操業が始まる。転けるのは二ヶ月後か半年後かわからない。銀行が事態を察していきなり金を返せと言ってきたらそれで終わりだ。

 

ただ、確実なこともある、会社の寿命があと二年くらいだということである。これは社長を始めとした社員の高齢化による。だからこそ、事業を継承する相手を探していたのだが、失敗に終わった。そっちの方向もまだ模索しているが、そのときおれの雇用がどうなるのか、勤務がどうなるのかもわからない。

 

おれはなにもやる気がない。船が沈むなら運命をともにしよう。救助船が来たら乗ろう。どうにもならなくなって、木の板につかまって漂流することになるかもしれない。考えてもどうしようもない。

 

心はこわれている。ラツーダ(抗精神病薬)とレキソタン(抗不安薬)の量は増えている。酒量も増えている。おれは土日には競馬をして、夜にはネット配信でカープの試合を見る。図書館で借りた倫理学の本を読む。いつまで続くかわからない。もう、生きるのにもうんざりしている。まずこの世に生まれてきたのが失敗だった。そのことをいっそう強く思っている。

 

……奇珍がどうなっているかは知らない。