我が内なる健康帝国〜『健康帝国ナチス』を読んで〜

健康帝国ナチス

健康帝国ナチス

 横浜市中央図書館にて借りたものを読んだ。ちなみに、図書館で本を借りたのは生まれてはじめてだと昨日書いたとおりだ。そして、俺がいちいち本の感想で「ブックオフで買った」などと書くのは、よほど古い本でも無い限り、それを恥じているからである。さらには、無料で借りて読んだ(間接的に税金で買っている、などという実感などあるはずもない)というのは、自分の中ではおおよそ窃盗を告白するくらいの気持ちであることを申し沿えておく。頭のおかしい人間の言うことなので海容願いたい。
 さて、精神医学系の棚の中で装幀がひときわ目立っていたから手に取った本である。けっこう話題になっていたものと思う。「目立ったから手に取った」というのもあるが、このところ自分の脳の傾向やその背景にある血統などから、相当に優生思想的な想念に取り憑かれていて、そのあたりについてなんかあるかと思ったのである。
 が、まあそのあたりは主題ではない。原題は『THE NAZI WAR ON CANCER』であって、かに座のプレセペ星団からやってきた謎のカニ光線軍団を宇宙戦用メッサーシュミットを駆るルフトバッフェが迎え撃つサイエンス・フィクション・ダブル・フィーチャーである。Doctor X will build a creature。
 というわけで、主にガン予防をめぐるナチス政権下ドイツでの、医師や科学者と政治とのいろいろの話である。「タバコ規制は健康ファッショだ」というような本ではない、と著者は序文で五寸釘ぶっ刺しているし、もちろん「ナチスにも良い所があったんだよ」という賞賛本でもないと刺している。ナチスを扱うには革命的警戒心が必要なのである。その警戒心が、あるいはその警戒心を利用して、当時のドイツの研究者が立証していたタバコと肺がんの関係性なんかについて、アメリカその他の国が適切に対応できてねえんじゃないか、みたいな話もある。

 ナチス政権下のガン研究およびガン政策に関する事実が、歴史家たちに見落とされてきたのにはさまざまな理由があるが、最大の理由はおそらく、それがあえて発掘するようなことではないと考えられたことだろう。いわゆる「イデオロギーの隙間」に落ちたのである。一九八〇年代以前、家庭内のラドンがまったく顧みられなかったのも同様で、たまたまそのテーマに目を向けるきっかけがないのである。ともかく歴史的な記憶というものは選択的なもので、我々はともすればその時代の蛮行に目を向けがちである。そうすれば、神聖なる「我々」と堕ちた「奴ら」のあいだにきれいに線を引くことができるからである。
P.293-294

 そんな「線」なんて引けるものかよ、というのが筆者の主張といっていいだろう。そのために、ナチス政権下でのガン政策について当時の論文を引用したりしつつ、丹念に歴史を振り返っているという印象。すなわち、独裁政権に抑圧された科学者が権力者に阿った似非科学を喧伝したとか、逆に科学者が権力の威を借りてやりたい放題に非人道的な研究をやったとか、そういう面は大いにあるにせよ、おおよそそれだけじゃ言い切れねえのが人間社会だろう、みたいな。
 なんつうのか、やはりナチスとて一枚岩でなく、総統閣下が菜食主義者的で酒もタバコもやらんといっても、ゲーリング元帥はぜんぜんちげえし、高級幹部たちもバラバラなのだし、それぞれの縄張りみたいなの持ってたりするし(北朝鮮の今とかどうなんだろ)、また、現場方面でも、たとえば健全で健康な人種を! という目的のもと、X線検査をバンバンやるべき派と、ガンの原因になるから控えよう派がいたりとか。あと、タバコについても、現代なみの広告規制とかやって撲滅させようとする一方で、税収にもなるとかいう利権の話とかあったり(突撃隊が自らのブランドのタバコ売って資金稼ぎしたりしてんのな)、健康志向も職業病管理も医療費削減目的が大きかったり、まあなんというのだろうか、正直って「線」ひけねえわ、みたいな気持ちにもなる。今の日本にだって、極端な話、健康志向の埒外にある劣等人種扱いの人間だっているだろう。あとは、放射線のあたりとか、この今の状況ではね。あとは、ホメオパシーだの食事療法だの、そのあたりとかもさ。つーか、こないだ「コーヒー浣腸かよ!」ってびっくりした療法のマックス・ゲルソンの名前が、ナチスに追放された自然療法派が一箇所だけ出てきて奇妙な縁を感じた。やはりやるしかないのか。
 それはそうと、ともかく一筋縄ではいかねえよと。例として出ていた話の一つで、なんかすげえこんがらがるなって思ったエピソードが、最終章で紹介されてた。当時の科学水準からしても迷信的な「自然回帰派」(ガン菌説)の医師ブレーマーを国際学会のドイツ代表に参加させるかどうかって話になって、医学的にはスタンダードな他の医師たちが「ドイツの恥になるから外そう」って言って、総統閣下にまで働きかけて外すわけ。この話を、その似非医学信奉者たちは、「正当な治療が権力によって不当に踏みにじられた。現在この療法を非難するのはナチの医師たちと同じだ」と主張に利用したりする。そりゃ確かに、他の医師たちは熱心なナチ党員の権力者だったりする(そうでないのもいる)。
 が、一方で、その「自然回帰派」の医師ブレーマーも権力者であるユリウス・シュトライヒャーという大きな後ろ盾があって、研究所とかも与えられたりしてる。そこで、逆の見方をすると、医学的に正しい意見をナチスに抵抗して退けた、ともなる。
 もちろん、どっちも見たいところしか見ていない。なんつーのか、もちろん、普遍的に許されざる罪みてえのはあるし、目を背けちゃいけないけど、複雑にからみ合って、ぐちゃぐちゃなもんから目を逸して単純化してっとよくねえよって、そういう話だよね、うん。
 だからこう、タバコについても、あるいは環境問題についても(これもわりかし当時のドイツは先駆的な面もあった)、「ナチがやってたから絶対反対」とか、そういう単純化みてえのは危ないだろうみたいな。

反ユダヤ主義ナチスイデオロギーの中核ではあったが、大衆がナチス大義に惹かれたのはそれだけの理由だけではない、というか、それが最大の理由ではなかった。大衆はナチズムに、その健康志向をはじめとするさまざまな分野に、若さの回復を見たのである。ナチズムに大手術と徹底した浄化を望んだのである。しかもそれは必ずしも忌まわしい方向だけではなかった。これはべつに、戦後半世紀もたったから言える、ということではないと思う。

 まあなんだ、なんか旅順とは関係ない閉塞感に苛まれている現代日本の話が思い浮かんだりもするだろうか。あるいはまた、しかし俺は俺の内なる健康志向みたいなものと、このナチスの健康志向を重ねたりもする。

  ……って、すでに自分で「ナチスの健康思想かよ」とか言ってるじゃん。まあそういうことだ。俺はダイエットをやめた今でも朝はミューズリー(これの開発者の名前も本に出てきた)にプロテインかけて食ってるし、炭水化物敵視というか、白米敵視みたいなものはわりと存続してる。

 まあ、なんだろうね。ただ、ひとつ言っておきたいのは、俺のこの偏った健康食志向みたいなものは、俺が勝手に感じるままにやってることであって、誰かの主張を参考にしたりだとか、そういう学説の本を読んだりとか、一切していないのである。そして、俺は強迫性障害的な性格の持ち主であって、やはりなにか通じるところがあるのかね、人間個体も社会も、などと。
 とはいえ、やはりこういう俺の中にもデブのゲーリングや神秘家のヘスもいるし、それを小馬鹿にして、禁煙家の総統を讃えつつ家の中ではタバコを吸うゲッベルスだっているわけである(なんか例が悪いな)。そこのところの多面性が大切なのだ(やっぱり例が悪いから説得力ねえや)。
 まあ、これ読んでて思い浮かんだのは、唯と澪(ただとみお、って打ったらGoogle日本語がこう変換したんだぜ!)、多田富雄の『生命の意味論』かな。人間も社会も自己目的化していく超システムであって、ガンが悪いからって臓器ごとぶった切ったら死ぬぜとか、そんなこと言ってたあたり。

多様性と冗長性は超システムの危機対応のための基本的な属性であるのだから、合理性だけでいたずらに切り詰めることは危険でさえある。

 まあ、そんなもんだろ、たぶん。

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ゲッベルス―メディア時代の政治宣伝 (中公新書)

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 中学のころ、ナチ関係で初めて読んだ本これかな? 
生命の意味論

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 多田富雄さんの本はもっと読まないと。……借りるか?
キリンヤガ (ハヤカワ文庫SF)

キリンヤガ (ハヤカワ文庫SF)

 あんまり関係ないけど、ナチスの徹底した「自然保護」の考え方として、「未開人」を徹底して文明から切り離し、干渉も観光も禁止、そのままにしておく、みたいなのが紹介されてて、即座にこれを思い出した。
臨床局所解剖学アトラス (第1巻)

臨床局所解剖学アトラス (第1巻)

 この本は人体解剖図の世界的スタンダードだったらしいけど、モデルの標本が強制収容所の人体実験ものじゃねえかって問題になったとか。「人体の不思議展」の立体標本が中国の死刑囚だとかいう話を思いだす。