年度末の終わりとハードボイルド・ワンダーランド

暦の上ではマーチの終わり、聖者も愚者もぐちゃぐちゃになって行進が終わろうとしている。おおよそ一月から始まった年度末のぐちゃぐちゃで、おれの脳みそもますますぐちゃぐちゃになって、その年度末が終わるのである。

これで数ヶ月は食えるかもしれない。それは悪くない。悪くないが、消費税増税前の押し込み強盗という話もあって、四月以降が非常に、たいへん、いつも、毎日のように不安でしかたない。数カ月後にはまた給料の遅配、無配が当たり前になる。いつかはゴーイング・トゥ・ダイ。あくび一つでエスケープ・トゥ・パラダイス。そう簡単にはいかない。ポール・オースターの小説のように、ソラナックスを2シート飲んだくらいで人間は死なない。もっと苦しまなくてはならない。


阿部芙蓉美(Fuyumi Abe)「革命前夜」/ music video - YouTube

 

どうしてこんな目に遭わなくてはならないのか。いつ犯した罪のせいで。なんの罪を犯したせいで。どうやって、だれに犯した罪のせいで。覚えがない。身に覚えがない? 本当に?

 

「同志、ひとつお訊ねしたいことがあるんですが、いいですかい?」

「いいとも、いいとも、私はね、そのためにかうしてゐるんだよ。」

「あなたは學があるから、教へてもらへると思つてるのだがね。一體、何時になつたら、あつしたち、力量に應じて働き、腹いつぱいものが食べられるやうになれますかね?」

そこで私がX夫人に訊ねた。

「責任者はどう答へました?」

「ひとくさり理論講座をやりましたわ。」

―アンドレ・ジイド『ソヴェト旅行記』

 

 

さうだつた、おれにはそもそも力量といふものがないのだつた。安心して生活を送るなんて大それた夢を抱く資格がなかった。なにが罪だ、おれの無能が罪そのものだ。その罪がおれを詰ませる。将棋盤をひっくり返す膂力もない。おれは独りへたり込んで、どうやって楽に死ねるか考える。考えても無駄なのでGoogleで検索するだろう。おれはおれが自殺をしようとするとき、『完全自殺マニュアル』を本の山積みの中から探し出そうとはしないだろう。たぶんGoogleで検索する。自殺ならGoogle。悪くない。

ワンダーランドの夢は見ないのか。ワンダーランドに着ていく服がない。なにを失ってワンダーランドがここにないのか。そもそもワンダーランドはここにありえたのか。ちょっと昔はここそこにワンダーランドがあったのか。ああ、ワンダーランドのやつなら、横浜松坂屋の4Fにあったのか。そんなもんなくなっちまった。いや、おれはそれを知らない。おれがそれを知ったときに、そいつはなくなっちまってんだ。ワンダーランドはないんだ。おれが知ったときには。おれが知ったせいで? いや、おれはワンダーランドのことなんてまったく知らない。まったく知らないのに失われている。……これが、「時間が経つ」ということなんですかね? あっしは学がないからわかりませんや、まったく、いったい、なんの罪で、失うばかりで……。