『一遍の語録をよむ』を読む

 藤沢に遊行通りというのがあって、小さな映画館とジーンズメイトがあった。中学生のころ、たまに遊びに行った。遊行通りを抜けてしまうと藤沢駅の周辺から離れてしまうという感覚があって、ある種の境界のように感じられた。
 その遊行通りの先にあるのが時宗総本山遊行寺だ。そういう意味で遊行寺の存在に気づいたのは数年前だ。

 べつに踊り念仏をしている人はいなかった。鎌倉に入れないから藤沢、あるいは相模原の原当麻あたりという、時宗ならではの境界線にあるのかもしれない。
 して、一遍上人の話だ。おれはいろいろの仏教宗派についての本をつまみ食いしているが、時宗については読んでいなかった。一遍についても「踊り念仏で遊行」くらいしか知らなかった。果たしてどのような仏教者だったのか?

 浄土は万法南無阿弥陀仏と成ずるなり。万法は無始本有の心徳なり。しかるに我執の妄法におほはれて、其体あらはれがたし。今、彼の一切衆生の心徳を願力をもて、南無阿弥陀仏と成ずる時、衆生の心徳は開くるなり。されば名号はすなわち心の本分なり。

 とかおっしゃってる。「一切万法はみな名号体内の徳なり」とかおっしゃてる。なんというか、念仏が念仏を聞くというあたりとかも含めて、浄土宗、浄土真宗に近いのかどうか。いや、読んでいて、(おれにとって)「新しい!」と思えるところはなかったので。
 というか、おれは一遍について時宗について、「踊り念仏」のイメージが強すぎて、そこんところをもうちょっと知りたかった。と、書名をよく見ろ。いや、よく見なくても「語録をよむ」ってあるじゃん。いやはや。とはいえ、一遍上人についてひと通りのことは学べた。無知無学の(妙好人のような)捨聖というわけでもなく、学もあったし歌も詠んだ、ユーモアもあった。禅に近いところの考え方も取り入れていたし、奈良の当麻寺で中将姫のお経を譲り受けたりもしている。同じ四国出身の空海を意識するところもあったようだし……と、わりと盛りだくさんなのである。とはいえ、やはり宗教団体にありがちな話ではあるが、本人に宗派を作るつもりはなく、死ぬ前にノートの類を焼いてしまったりしている(お経は焼いていない)。時衆だったのが時宗になったのは二代目からの働きによるものだ。それでなんというか、日本仏教のなかでもわりとマイナーな宗派ができたということだ。
 それにしてもしつこいが踊りだ。まあもちろん踊りについても書いてある。一行で行脚しているとき、一人の女性(一遍上人の世俗時の妻か娘か……って、出家してるのに妻子や弟だっけか、それを連れているというのもなかなか変わった一面ではあるか)が神がかり的になって踊ったのが最初らしいのだが。

……また、唐突ですが、日本の古代、邪馬台国の葬礼について、「魏志倭人伝」でも死者が出たら踊って弔ったということを書いています。あるいは、日本では古くからずっと祖霊を慰めるのにおどっていたということもありましょう。間歇的に表面化する空也上人や一遍さんのおどり念仏は、こういう流れの中でとらえた方がよいのではないでしょうか。いくら自然発生的に踊ったといっても、多くの人が一緒に踊るというのには、このような素地を考えた方がよいと思うのです。

 と、著者。そうか、日本人は死者を弔うのに踊っていたのか。踊る日本、というのも面白い。ええじゃないか、ええじゃないか。とにかくパーティを続けよう、朝が来ても終わることのないダンスを……。

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法然親鸞一遍 (新潮新書)

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……棚の一遍コーナーにこの本もあって「法然親鸞一遍」にか! とか思った。でも、とりあえず一遍さんだけでとやめておいた。今度読んでみようか。