法事

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法事があった。だれの、なんの? おれの母方の祖父母の……。これがよくわからない。坊さんが言ったのと、親戚一同の取りまとめ役であるおじの挨拶で、○回忌の数字が違うのだ。あとで、どっちが正しいのかという話になっても、結局わからんで、おばが数字を伝え間違えたんじゃないか、などというところに落ち着いた。そんなふうに落ち着かず、いい加減で、異様に笑いがたえないのが我が母系である。おれにいくらか能天気で愉快なところがあるとすれば、母系からくるところである。

しかし、今回ひさびさに、本当にひさびさに親戚というものを見回してみたら、ひとつ代替わりしているように思えた。男三、女三いる六人いるいとこのうち、女二人が結婚しており、両方とも子供がいる。その子供というのも、大きい方の子で……えーと、二足歩行と会話が充分にできるくらいにはなっていたりして、ともかく、そのネクストジェネレーションが笑いの、注目の中心になっていた。

そしておれは思うのである。ああ、これが世代交代というものか、と。それまではわれわれいとこ集団が一番の年下であり、親族というもののネクストジェネレーションだった。もうそれは過ぎ去ったのだ。

六人いるわが世代のなかでおれは小差(早生まれ)で上から二番目。おれと同学年、年齢は一つ上のいとこは結婚するだろうか? 子供を生むだろうか? わからない。おれはおれの血がこの世に残るのはまずいことだと思っているし、そもそも自分一人の生活を支えられない。結婚どころではない。おれの弟はこの日も顔を見せず、働きもせず、いったいどうなっているのかわからない。しかし、こういうのがいきなり結婚したりするのかもしれない。確率は低いが。年下の男は安定した地位を捨て、独立を目指して人生のかじを切ったところだ。たいしたものだ。人生を生きるのに、なにか芯というものがある。まだまだ若いし、やはりそのうち結婚もするだろうし、子供も作るだろう。

……って、少子化とか非婚とか、ちょっと前までは我が母系を見回して「そうだよなあ」と思っていたのが、「意外にそうでもないのか」に切り替わった。そしておれは、おれの弟はともに大学をドロップアウトし、きちんとした就活をしたこともなく、あるべきように独身の金のないキモいおっさんになっているというわけだ。

やけに寒い寺の宴会室(?)で、冷えた弁当をつまみ(まともな? 食事はいつ以来だろう?)とビールを飲みながら、端っこの席で一人そんなことを考えていた。いとこの夫二人とは会釈をしただけでまったく会話はなかった。おそらく住む世界も階級が違うのであろう。……って、べつになんというか、一族そんなに金持ちばかりというわけでもないし、昭和の中流……これがいまとなっては珍しくなってきたのかもしれないが……なんだがね。それとも、おれの一家が貧しくなっただけで、やっぱり世の中この水準なのかな、わかんねえや。上の世代からはいろいろと人生の教訓のようなことを聞いた。彼らも、だれか自分より若いものに、なにか伝えたいことがあるのだ。たぶん。

帰り際、おばがおれのポケットになにも言わずに一万円札をねじ込んでくれた。かれらとてなにかしら問題はある。それでも、それ以上に苦境にある甥っ子を気にかけてくれる。坊主の説教よりもありがたいといったら言いすぎだろうか?

そして、義理のおじからは飲み屋で手に入れたという競馬の出目表をゆずられた。その神秘の力については項を改めようか。しかし、おれはその日の中央も勝ったし、今日の川崎も勝った。今週末はどうだろう?

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おれは昔こんなことを書いた。

実は自分、ちょっと出目表に興味がある。もちろん、それで「万馬券連続的中!」などという夢が叶うとは思わない。ただ、自分の少ない知識では選びえない人気薄の馬を偶然拾える手段に、つまりはヒモに機械的に一頭選ぶ手段として、そういうランダムピック的要素が欲しいということだ。

『B.A.S. 爆血馬自動狙撃術』亀谷敬正 - 関内関外日記(跡地)

 ついに求めていたものが、手に入ったのかもしれない……。

(なにか法事とは明後日の方向で話が終わってしまった。まあ、おれの母父は競馬をよくやる人だったので、これも供養というものである、たぶん)