白楽天のこと

 

白楽天詩選 (上) (岩波文庫)

白楽天詩選 (上) (岩波文庫)

 
白楽天詩選(下) (岩波文庫)

白楽天詩選(下) (岩波文庫)

 

 

関を閉ず

我が心 世を忘るること久し

世も亦た我を干さず

遂に一に事無きを成し

因りて常に関を掩うを得たり

関を掩いて来 幾時ぞ

髣髴たり 二三年

書を著して已に帙に盈ち

子を生みて能く言わんと欲す

始めて身の老いに向とするを悟り

複た世の艱多きを悲しむ

時に趨く者を迴顧すれば

塵壌の間に役役たり

歳暮 竟に何かを得ん

且く安閑たるに如かず

楽天といえば「長恨歌」か「琵琶行(引)」かとかいうことになるのかもしれないが、おれはこのように関を閉じてしまうあたりが好きだ。老いるがままに任せ、朝酒を飲んでいるあたりがいい。実際には科挙をクリアした国家のキャリア官僚だったとか、そのあたりは見ないことにしておきたい。こうやって、俗世であくせくする人間を横目に、安閑言ってるところがいい。ちなみおれは言語の韻だの平仄だのわかるはずもない。

食後

食罷りて一覚の睡り

起きて来たりて両甌の茶

頭を挙げて日影を看れば

已に複た西南に斜めなり

楽人は日の促きを惜しみ

憂人は年の賖きを厭う

憂いも無く楽しみも無き者は

長短 生涯に任す

リア充は時間が短いと惜しみ、メンヘラは終わりの見えない長い現世を厭う。パーリ語で言えばドゥッカ、ドゥッカ(Dukkha,Dukkha)、すなわちパーリ・ナーイ(Party Night)。だけれども、どちらでもない境遇にあれば長芋もとい長いも短いもない。老荘か禅かわからぬが、そういう境地をうたう。飯食って寝て起きたらなんか夕方だし茶でも飲むか、という。

自ら喜ぶ

身慵くして勉強し難し

性拙くして遅迴に易し

布被 辰時に起き

柴門 午後に開く

忙は能者を駆りて去り

閑は鈍人を逐いて来たる

自ら喜ぶこと 誰か能く会せん

才無きは才有るに勝る

で、このあたりの、ぐうたら讃歌みたいなやつな。ものぐさだから勉強できへん、不器用でのろまやし、と。辰時というと午前八時ごろで、それでも充分に早起きかと思えるが(おれはロングスリーパーとでもいうのか、休日など平気で午後二時、三時、四時まで寝てしまう)、日が暮れていたら眠ろうかという時代なので遅起きなのだろう。それでもって、忙しさは有能なやつを駆り立てて、閑は鈍いやつのあとからついてくる、なていう。駆り立てるのは野心と欲望、横たわるのは犬と豚。別れはいつもついてくる、幸せのあとをついてくる。そんなことはどうでもいい。自ら喜ぶソロプレイ。そこで才無きは才有るに勝るという。……ってあんた才ある高級官僚やろ、という突っ込み待ちというか、矛盾というか、あるいは「才が無いのがいいんだよ」という上から目線かよくわからぬ。よくわからんが、そのあたりがマジ卍(おれは賞味期限の短そうな言葉も嫌いじゃないのです)。

それじゃあ、まあそんなところで、おれはひとり「卯時の酒」といきますか……。