南直哉『善の根拠』を読む

 

善の根拠 (講談社現代新書)

善の根拠 (講談社現代新書)

 

 本書における「倫理」とは、様々な条件に拘束されながら、様々な局面である行為を選択しなければならない時々に、「自己」という存在様式を維持し、肯定し続ける「意志」を問うことである。その「自己」が「他者に課される」以外に存在できない構造になっているから、結果的に「社会」(ある集団における人間関係の総体)の問題になり、「道徳」(人間関係の秩序維持)に通じるにすぎない。

 つまり、善悪が成立するために必要なのは、「社会」が、それ自体で独立した存在であると錯覚されている「個人」に、既成の規範や徳目を刷り込むことではない。核心は、まず「他者」が「自己」に「自己であること」(=人間の存在様式)を課し、かつ受け容れるように仕向けることなのであり、「自己」がその受容を決断することなのである。

 だから、ここで言う善悪は、「我々はみな共に生きている」という「事実」に関わるものではない。もしそうなら、「我々」の範囲は、自分が実際共にいるか、共にいると感じる人々に限られて、それ以外の者は無視される。となると、善悪の判断は付き合いの都合に左右されて、所詮、処世術の一種に過ぎないということになるだろう。

 本書が言いたいのは、善悪とはそういう「事実」の問題ではなく、「他者に課された自己」という存在の仕方、「実存の様式」の問題なのだ、ということである。

 「はしがき」で「本書は仏教書ではない」と言い切っている禅僧である著者が、はじめに言い切っているのが上のようなことである。とはいえ、仏教の「諸行無常」、「諸法無我」、そして「縁起」をベースに、仏教いうものに善悪はあるのか、善はあるのか、倫理は出てくるのか、というところに向き合ってる、そして言葉を構築している。

それが「他者に課された自己」というキーワードにつながる。して、ここに出てくる「他者」とは、山根さんとか田中さんとかいう誰それではなく、「共同体」であるという。では、その共同体とはどこからどこまでを指すのか。いまいちわからなかった。ただ、最初の他者は自己を名付けた親にあたるものであるという。そして、あらゆる人間の自己というものが「他者に課された」ものである以上、その実体は存在しない、ということなのかもしれない。わからんが。そして、仏教の「三帰」、「十重禁戒」をベースにして筆者の思想が展開されていくのだが……。

ようわからん。というか、まとめる力がない。というわけで、おれはわりと難しい本が読めないのである。とくに哲学や倫理に行くと目が滑っていく、あさっての方向に行く。

が、本書は親切構造になっていて、第二部が「対話篇」なのである。問答の形で第一部で書かれていたことについて、対話風の形式をとって振り返ってくれるのである。

――そこで君の議論の核心の一つに触れておこう。善悪の問題に直結する「自己」という実存の様式が、キーワードの一つである「他者に課せられた自己」というアイデアで示されるだろう?

 

 そうだね。

 

――で、そのアイデアのバックに仏教の「縁起」の思想があると。

 

 正確に言うと、僕が解釈した「縁起」の考え方が「自己」の在り方に適用されている、ということだな。つまり、存在するものそれ自体にはそのように存在されている根拠は欠けていて、その存在とは別のものとの関係から生成されてくる、と考える。

 

――それは「他者」それ自体「自己」に先立って存在し、「自己」の在り方を決定する、という意味なのか?

 

 違う。あらゆる存在に関係は先立つ。……

「あらゆる存在に関係は先立つ」。まず関係あり。右と左は中央線を引いた瞬間に成り立つ。いや、同時、なのか。ようわからん。

仏教は「無常」という根本によって、「自己であること」を解消すべきものとしている。「自己」は「苦」ゆえに解消されねばならない。それがあって、善悪の在り方は「自己」の構造に根ざさねばならない。なにやら矛盾しているところがある。そこで著者は「賭け」というのだが、そこのところが今のおれにはわからない。

さらには、「共同体の不調は『自己』の不調に反映する」というのだが、やはり共同体の範囲がわかりかねる。

 

――君は前置きのようなところで、仏教の戒は禁止命令ではなく、自制の意志あるいは誓いだと言っているね。

 

 一神教の場合なら、それは啓示として課せられる禁止命令だろう。否応なく上から降りてくる命令。問答無用だ。

 

――ところが、仏教の場合はそうするかどうかは本人の問題というわけだ。

 

 殺してはならないという命令への服従ではなく、殺さないという誓いだね。

 

――で、その殺さないという誓いの前提が、自死しないという意志と選択だと、そう君は言うわけだ。

 

 このとき、自死そのものを「悪」と決めつけることはできない。自死できる能力を持って生まれてくるのだから、生まれてくることを「悪」と決めつけない限り、自死を「悪」とは断言できない。

 

――人間はそのように生まれる。自死できるように。

 

  生まれついてそうなら、善悪は関係ない。自死の選択肢を持つ以上、その行使を禁止する理屈はない。あったとしても、そんな後づけの理屈は無意味だ。どんな理屈を聞かされようと、自死すると決めた人間は自死する。

 とすると、他者を殺さないという話は、殺すこともできるし、殺さないこともできる当人が、生きていないと始まらない。「他者に課せられた自己」という構造を生きなければ始まらない。そう生きる決断が殺人を自らに禁ずべき「悪」としうる。

「なぜ人を殺してはいけないか?」問題。しかし、これについて「だから、結局のところ、その気を捨ててもらうしかない。理屈ではないんだ」と言っていて、理屈ではないのか、ということになる。べつに「根拠」が「理屈」である必要はないのだけれど。

と、いうことで、なにやら、なんだかあれだ、徒手空拳で挑むにはややピンとこない本であった。しかし、なにかしらの武器を持てば、なにかが見えてくるのかもしれない、とも思うた。今のところ、おれにはそれがない。

ところで本書、著者がまず思うがままに書いたら、原稿用紙5枚で終わってしまった。これではいかんと、善悪に関する偽経を書いていったんパーリ語訳してさらに和訳して、架空の老師の講義というフィクションにしようとしたが、それも頓挫。そして、最後に弟子を読んで対談にしてみたら、こんどは500枚になってしまったという。その対談をもとにバッサリ刈り込んだのが後半部ということだろうか。しかし、本当は仏教の戒すら持ち出したくなかったというのだから、その5枚バージョン、きっと読んでもちんぷんかんぷんだろうが、見てみたくはある。以上。

 

<°)))彡<°)))彡<°)))彡<°)))彡

<°)))彡<°)))彡<°)))彡<°)))彡<°)))彡<°)))彡

 

goldhead.hatenablog.com

 

goldhead.hatenablog.com

フェルナンド・ペソア『不穏の書、断章』を読む

フェルナンド・ペソアって誰や。

フェルナンド・ペソア - Wikipedia

フェルナンド・アントニオ・ノゲイラペソア(Fernando António Nogueira Pessoa、1888年6月13日 - 1935年11月30日)はポルトガル出身の詩人・作家。

ポルトガルの国民的作家として著名である。1988年に発行された100エスクード紙幣に肖像が印刷されていた

 

リスボン生まれ。5歳のときに父親が結核で亡くなり、母親が南アフリカの領事と再婚したため、ダーバンに移る。ダーバンとケープタウンで英語による教育を受ける。17歳でポルトガルに戻り、リスボン大学で学ぶがのちに中退。祖母の遺産で出版社を興すが失敗し、貿易会社でビジネスレターを書くことで生計を立てた。

1915年に詩誌「オルフェウ」創刊に参加。わずか2号に終わるものの、ポルトガルモダニズム運動の中心となった。少数の理解者を除き生前はほぼ無名であったが、死後にトランクいっぱいの膨大な遺稿が発見され、脚光を浴びるようになった。

日本語版ウィキペディアでほぼこれが全文である。さまざまなペンネーム、いや、細かく設定された仮の人格を使い分けて書いたことすら書いていない。

というわけで、あまり現代日本じゃ知られていないんじゃないのかな、ペソア。いや、「ペソアほどの有名人を!」といわれたら、自分の無知を恥じるしかないのだけれど。だってだって、おれ、知らなかったんだもん。

まあともかく、そういうわけで、ポルトガル文学なんてまるで知らないので、本書を目にしたとき「おれはポルトガル文学なんてまるで知らないな」と思って手に取り、ちょっとめくってみて、「これはいい」と思って読んでみた次第。

 

新編 不穏の書、断章 (平凡社ライブラリー)

新編 不穏の書、断章 (平凡社ライブラリー)

 

で、この本の「巻末エッセイ」を池澤夏樹が書いている。こんなことを言う。

ぼくはこの小文を本文からの引用なしに書くことができそうにない。だが、それを始めると引用がどんどん増えてやがては全部乗っ取られ、筆者としての人格を失いかねない。池澤夏樹とはベルナルド・ソアレスやアルベルト・カエイロ、リカルド・レイス、アルヴァロ・デ・カンポスのようにフェルナンド・ペソアが作った仮の人格の一つかと思われてくる。ペソアは憑く、というのはこういうことだ。

うわ、そうなんだよな。おれはこの本の感想を書こうとする、あの断片とこの断片と、この部分とあの部分を……と思うときりがないのだ。おれが読み返すためにおれが書き留めるというのに、全文写経のようなことになってしまう。それだけの魅力がある。

でも、適当に書き留めておく。

一流の詩人は自分が実際に感じることを言い、二流の詩人は自分が感じようと思ったことを言い、三流の詩人は自分が感じねばならぬと思いこんでいることを言う。

ペソアは詩人でもあったろうが、おれに詩はよくわからぬ。詩人の心中など想像したこともないが、こんなん言われると、なにか要所をついているように思える。

 

いまの私は、まちがった私で、なるべき私にならなかったのだ。

まとった衣装がまちがっていたのだ。

別人とまちがわれたのに、否定しなかったので、自分を見失ったのだ。

後になって仮面をはずそうとしたが、そのときにはもう顔にはりついていた。

 ペソアにはこういうところがある……のではないか。自分でない自分。仮の自分、自分の自分。

 

ただ考えない者だけが結論に達する。考えるとはためらうことだ。行動の人はけっして考えない。

ペソアは行動の人ではなかった……のではないか。ためらいのなかにあったような気がする。

 

私は実在しない都市の新興住宅地であり、けっして書かれたことのない書物の冗漫な注釈だ。私は誰でも、誰でもない。私は感じることも、考えることも、愛することもできない。私は書かれるべき小説の登場人物であり、風に乗って漂い、かつて存在したこともなく、私を完成することがえきなかった者が見るさまざまな夢のなかで四散している。

ペソア名義で書かれていない(ベルナルド・ソアレス名義)というところで、この構造をどう見るかはしらない。しらないが、この空虚さ、無についてはなにか共感するところがある。

 

 人生とは自分が知っているもののことだ。農夫の目には自分の畑である平原がそのまま世界であり、この平原はひとつの帝国だ。自分の帝国すら大したものでなかった皇帝の目には、その帝国は平原にすぎない。貧しい者は帝国を持ち、強者は畑を持つ。実際、ひとが所有するのは自分の感覚以外のものではない。だから、見られたものではなく、感覚の上にこそ自分の存在の現実を打ち立てねばならないのだ。

 このことはいかなるものとも関係ない。

ペソアにはどこか唯我論的なところがある。自分の感覚主義とでもいうのだろうか、そんなふうに感じる断片がある。

 

 倦怠は無気力な人たちの病気だとか、有閑人たちの病気だとか言うのをよく耳にする。しかし、この魂の疾患はもっと微妙なものだ。元来、その傾向のある人が罹患するのであって、よく働く人や働くふりをする人(この場合、どちらも同じだ)のほうが、ほんとうに無気力な人より、かかりにくいわけではない。

 最もたちの悪いことは、内面生活の素晴らしさ(そこには本物のインドや未知の国が存在する)と、日常生活の卑俗な面――たとえ卑俗ではなくても――とのあいだの落差なのだ。無気力という言い訳がない場合、倦怠はより重くのしかかる。行動力に富む人びとの倦怠は最悪のものだ。

 倦怠とは、なにもすることがないという不満から来る病ではない。むしろ、もっと重症なものであって、なにをしてもしょうがないと確信している人の病なのだ。そうであってみれば、するべきことが多ければ多いほど、直面せざるをえない倦怠もより深いものとなる。

ペソアの言う「倦怠」を、より現代的に「抑うつ」などと言い換えていいものかどうかはわからない。この断章には続きがある。

いったい私は何度、自分がこんなにも苦労して書いている本から、世界全体で空(から)になった頭を持ち上げたことだろう。いっそ無気力であって、なにもせず、なにもできなければどんなによかったしれない。そうだったなら、この現実の倦怠を味わうこともできただろうから。私がいま感じている倦怠には、休息もなければ、高貴さもなく、存在にたいする嫌悪感の混ざった快感もない。私がなさなかった行為の潜在的な疲労ではなく、ただ、なしてしまったあらゆる行為の、巨大な消滅だけがあるのだ。

ペソアの倦怠。なしてしまった、書いてしまったことによる倦怠。それは書いてしまったことによるなにかの消滅。それはなんだろうか。

 

私の場合、書くことは身を落とすことだ。だが、書かずにはいられない。書くこと、それは、嫌悪感を催しながらも、やってしまう麻薬のようなもの、軽蔑しながら、そのなかで生きている悪徳なのだ。必要な毒というのがあって、とても繊細な、魂という材料でできている。われわれの夢の廃墟の片隅で摘まれた草や、墓石の脇に留まっている黒い蝶や、魂の地獄のような水のざわめく岸辺でその枝を揺する、淫らな樹々の長い葉っぱで。

ペソアにとって書くこととはこのようなものであったのだろうか。だがしかし、それがどうも完成に向かわないところがある。実際にこの本にしたって、だれかがペソアの残したものをつなぎあわせたものだ。

 

 幸福な過去、その想い出だけが私を幸福にしてくれる。現在は、なんの喜びももたらさないし、なんの興味もないし、いかなる夢も与えてくれない。そこで、この現在とは異なる将来や、この過去とは異なる過去を持てるという将来を夢見て、あるいは仮定して、かつて生きたことのない楽園についての意識を持った亡霊として、生まれるという希望を持った死産児として、自らを埋葬する。

 ひとつの自分として苦しむ者は幸いである。分裂とは無縁に苦悩に苛まれる者、不信仰のうちですら信じる者、留保なしに陽溜まりに座ることができる者は幸いである。

ペソアは夢見る人でもある。ダンセイニ卿のようにかどうかはわからない。そして、分裂する人である。過去を見る人、過去に求める人である。それを郷愁(サウダーデ)というのかどうかしらないが。

 

人生は、人生の表現を駄目にしてしまう。もし大恋愛をしていたなら、私はけっしてそれを物語ることはできないだろう。

ペソアの書くだれかの書く「私」にはご用心。だがしかし、これもそうなのではないだろうか。いや、少なくともそういうタイプの人間はいるのだろうと思う。たとえばおれはどうかというと、どうなのだろうか……?

 

倦怠とは、世界に飽き飽きしたことであり、生きていることの居心地の悪さであり、これまで生きてきたことの疲労感なのだ。倦怠とは実際に、物事の増殖する虚しさを肉体的に感覚することだ。いや、それ以上だ。倦怠とは、別の世界にたいする不快感ですらあるのだ。そして、そんな世界が存在するかは関係がないのである。生きなければならないということの、たとえ別人になったとしても、たとえ別の物質になったとしても、たとえ別世界においてであろうとも、生きなければならないということの居心地の悪さなのだ。倦怠とは、疲労だが、それは昨日の疲労とか今日の疲労ではなく、明日の疲労、そして、もし永遠が存在するのなら、永遠の疲労、あるいは永遠が虚無のことだとすれば、虚無の疲労である。

ペソアの倦怠、疲労というのは、かなり極まっている。おれも生きていることに居心地の悪さを感じ、人間の人生向きに生まれてこなかったことに苦しみ、つねにうんざりしている。しかし、そんなものも宝くじが当たれば消し飛んでしまうようなことであって、それはおれのかかりつけの精神科医も認めるところだ。ところがペソアの倦怠、疲労は別人になったとしても続く、生きることそのものへの不快なのだ。そこまで徹することができようか。いや、しようとしてしていることではない、与えられてしまった生というものの根本的な疲れだ。生まれ生まれ生まれ……。

 

――すべてを延期すること。明日やってもかまわないことをけっして今日やらないこと。

 今日でも明日でも、どんなことであれするには及ばない。

――これからすることを決して考えるな。それをするな。

ペソアの「うまく夢を見るやり方」。明日できることは明日にしろ。よく言われることである。ダメ人間の言いそうなことである。そして、おれも明日でいいことは明日やればいいと思っている人間である。おそらく、かなり低いレベルの、現実的な問題について。ペソアは徹底してやらなかった人間なのかもしれない。やらないことをやった。そして、残した。残したものをだれかが見つけた。このような倦怠と虚無に満ちた人を紙幣の顔にするポルトガルという国にすら興味が湧いてくるではないか。もっとも、おれも決して行われなかった旅をするたぐいの人間だ。現実のポルトガルに行くこともないであろう。

 

なんとなく秋めいたある黄昏どきに、私はこの旅に出発した。けっして行われなかった旅に。

 

 

 

南直哉『恐山 死者のいる場所』を読む

 

恐山: 死者のいる場所 (新潮新書)

恐山: 死者のいる場所 (新潮新書)

 

 南直哉というと、このあいだキリスト教徒との対談本を読んで知った人である。

goldhead.hatenablog.com

「禅と福音」とあるように、曹洞宗の禅僧である。それも、寺の子に生まれたというのではなく、生と死の問題を追求したく出家し、永平寺で二十年修行した禅僧である。テーラワーダの僧侶すら「職業的に就職している」というようなことを言い放つ僧である。職業訓練校的に住職になるためではないサンガを作ろうとしたくらいの僧なのである。

そんな禅僧がなぜ、「恐山」なのか。経緯については本書で述べられているが、恐山菩提寺の院代(住職代理)だったからである。おれはまったく知らなかったが、恐山は仏教の宗派的には曹洞宗の管理なのである。もとは天台宗だったらしいが、ともかく今は曹洞宗のテリトリーなのである。

 

が、むろん、恐山は只管打坐に徹し、道元の『正法眼蔵』について学ぶ場ではない。恐山といえばイタコであって、霊場であって、ホラースポットであって、曹洞宗のイメージとはかけ離れているではないか。……と、著者も最初は思ったというのだから、そうなのだ。

 恐山というのはあくまで器なのです。それは火口にできた土地である。きれいな湖があって温泉が出る。そこにはこの世とは思えない異様な光景が広がっている――。

 その光景に魅かれて、やがて多くの人が集まってきた。それから何か信仰のようなおのが芽生えた、と考えるのが自然でしょう。

 恐山にある信仰というのは、特定の教義では決して割り切れるものではないのです。

 

そこで著者は、死や死後の世界に関する仏教的(曹洞宗的)な正答カードであるところの「無記」(「死後の世界や霊魂をあるともないとも言わない」)も使えない、リアルに直面する。仏教者として逃げも隠れもできない、人々の問いに直面する。そのところが興味深く、また、考えさせられる。

 永平寺坐禅に打ち込み、ブッダ道元禅師の残した言葉についてあれこれ考えていたのも、結局のところ、「死とは何か」という問題意識が根底にあったからであり、それが私を支えていたといっても過言ではありません。

ですがそれは「霊魂」とか「霊場」とか「死後の世界」などとは、まるで次元の違う話でした。私は死後に人間がどうなるのか、死後にどこにいくのか、などということには、まったく無関心でした。私の問題は「死」それ自体だったのです。

どちらかというと言葉というものを重視する筆者の考え方、あるいは思想といってもいいかもしれない。己の問題にただ打ち込んできた。できれば永平寺でずっと修行していたかったともいう。が、わけあって恐山の住職代理になってしまった。

 「自殺したものの魂は浮かばれないのですか?」

 娘を失った母親に、目を真っ赤にして言われたとき、どうするのか――。

 怖かった、というのが入山当初の正直な感想でもあります。

 「怖い」というとまた誤解が生まれてしまいそうです。しかし、何度も繰り返しますが、別にこの世のものではない何かをここで実感したわけではありません。

 そうではなく、何かここにはわけのわからないものがある。それを求めて多くの人がやって来る。しかしそれはこれまで培った知識や経験では、とてもじゃないが捌けるものではない――。

 そんな、わけのわからないものと対峙するときに生じる怖さのことです。

 そして、著者はあるときこういう感覚におそわれる。

 十五年前に初めて恐山を訪れたときの「嫌な感じ」。

 この直感はある意味で正しかったのかもしれません。当時の自分の抱えていた問題は別のところにありましたが、恐山からはそれを超える何かが匂ってきた。だからこそ「嫌な感じ」がしたのでしょう。

 入山してからというもの、延々とそのことについて考え続けました。

 二年が経つ頃でしょうか。

 突然、「あっ、ここには死者がいるんだ」・

 そう思ったのです。

 死者は実在する――。

 そのように考えなければ、恐山のことが理解できない。そう思い始めたのです。これは私の中では全く新しいアングルでした。それまでの私は「死者は実在する」などと、考えたことはなかったのですから。

永平寺の死者供養とは違う、先に死者がいる、という感覚。生者にとって欠落している死というものを埋め込まれた死者というものが実在する。恐山では生者に欠落しているその死というものを気づかせてくれる。

いや、ちょっと違うのか、死というものは死者を思う生者に張り付いている、のか。そして、なぜ生者は死者を供養するのか……。

そして、そんな恐山を舞台として活躍(?)する宗教者たちについて。

 宗教者の素質のようなものがあれば、その素質として私が一番大事だと考えるのは、教義を深く理解できる頭脳でも、縦横無尽に説教する弁舌でもありません。まして霊感でも超能力でもありません。つまり一般人にないような特殊能力を「持っている」ことではありません。

 そうではなくて、大事なのは、自分が生きていること、存在していることに対する、抜きがたい不安、先に触れた根源的な不安です。

 どうして自分はこうなのだろう、このままでいいのだろうか、なぜここにいるのか、どこから来て、どこへ行くのか。そういう問いが自分の底の方を揺るがしていることです。どうしても知りたいこの問いに答えられない切なさです。答える能力を「持っている」ことではなく「持たない」ことなのです。

 いわば、この「不安のセンス」が、宗教家の資質として最も大切だと、私は思っています。それは、ある意味、「無明」や「原罪」などという言葉に極めて敏感に反応するセンスでしょう。

なるほど。

そして、われわれも仏教者も死に対峙してかなければならない。あとがきで著者はこう述べている。

 西欧に起源を持つ「近代社会」というシステムは、資本と科学技術によって、あらゆるものの在り方を規定した。とにもかくにも、このシステムは今に至るまで支持され、「成功」したのである。

 このシステムの成功にとって大切な人間とは、より大量に生産し消費し交換する人間である。そうでない人間は、本質的に無用で邪魔な人間である。つまり、老人、病人、犯罪者、子供だ。

 したがって「近代システム」は病院や福祉施設や学校や刑務所を発明して、彼らをそれぞれに囲い込み、生産し消費し交換する効率を落とさないようにしたのである。

 この処理方法は基本的にきわめて有効だったが、システムは原理的に、どうしても処理できないものを残した。死と死者である。

 死と死者は生産し消費し交換することを妨げるどころか、無意味にする。このシステムにとっての最大の障害は、いかにしてもシステム内で処理できない。

人間の価値とは生産性である。が、そのシステムで捌ききれない死というもの。死者との関係というもの。逆に、それがクローズアップされていく。それに対して、われわれがどう立ち向かうのか、あるいは宗教家は。そして、人々はより恐山のような器に向かって集まっていくのかもしれない。死者がいる、とはどのようなことか。死してなお続く、人間というものの関係とはなんなのか。おれにはようわからん。わからんが、それについてなにか与えてくれるものの一つに宗教いうものがあるんではないか、とは思っている。そのためだけに宗教があるのではないにしても。

 

池澤夏樹『ぼくたちが聖書について知りたかったこと』を読む

 

ぼくたちが聖書について知りたかったこと (小学館文庫)

ぼくたちが聖書について知りたかったこと (小学館文庫)

 

 信仰は魂に属するが、宗教は知識である。

本書の前書きはこの一文で始まる。首肯するしかないではないか。そんな気になった。おれの興味や知識は仏教の表層を撫でるだけだが、キリスト教となるとさらに遠い。ヘブライ語聖書も、新約聖書もいくらか断片を読んだような気がするだけだ。おれの書くものについて、キリスト教的なものがあるとおっしゃった人もいるが、おれにとって聖書は遠い。だが、知識は得たい。たとえば、こんなタイトルの本によって。池澤夏樹と、その縁戚にあたる聖書学の泰斗、秋吉輝雄との対談本によって。

して聖書とはなにか。というか、聖書という書物とはなにか。

池澤 ……彼(引用者注:イヴァン・イリイチ)に言わせると中世のある時期にコデックス(引用者注:紙葉を束ねた冊子本)にページ番号や小見出しがつき、それからインデックスが作られるようになった。つまり、最初一本のひも(引用者注:長いままのテクスト、巻物)だったものが、まず折り畳まれて、ページにおさめられて、だんだんカード化していく。その変化は読みをも根本的に変えてしまう。人はそれまで音読していたものを黙読するようになった。読書という行為の中身がすっかり変わってしまった。言い換えれば、祈り的なものが帳簿化され、巻物にまで残っていた朗誦の聖性も失われた。それが中世から近世への移行ということだったというわけです。

 その変化の最終的形態が、ウィキペディア、インターネットの百科事典だろうとぼくは考えています。

とある魔術の禁書目録……は関係あるのかないのかわからないが、語られることから読まれることへの移行、暗唱、朗読から黙読への移行、これは、えーと、なんか、いろいろあるはずだ。そして、コーラン(本書では「クラーン」)は「朗読されるもの」という意味であって、たしか黙読すべきものではないはずだ。「旧約」(かぎかっこ付きね)の律法(「ミクラー」)も同じ意味だという。

そして、古代ヘブライ語には「過去形がない」という。ギリシャ語に訳されてはじめて時間が軸が導入された。だから、本来は「神は天地を創造された」ではなく、「神は天地を創造す」となるという。「光がある」のだという。このあたりの時間の観念について、ユダヤ人のそれを理解するのはなかなかむずかしい。というか、ギリシャ人にとっても自分たちの観念に訳してしまったのだから、遠い日本というバックボーンを持つおれにとってわかるはずもない、のかもしれない。

本書で初めて知った名前もある。その一つがマルキオンだ。

秋吉 そうですね、それからしばらく後、コンスタンティヌス帝によるキリスト教に対する寛容令(三一三年)が出される以前の二世紀に、キリスト教会内で、初めて聖書の聖典化という概念を打ち出し、自ら聖典編纂をおこなった人物がいました。それがマルキオンという人物です(一三八年頃ローマに出、一四四年破門されて自派、いわゆる「マルキオン教会」を広める)。彼の主張は非常に大胆なもので、律法、預言書を旧約聖書としてキリスト教のなかに位置づけることに真っ向から異議を唱えたのです。キリスト教の背景としてのユダヤ教を断ったわけです。

マルキオン - Wikipedia

のちに異端とされたマルキオンの聖典化という行いに対抗する形で、聖書が成立していった。これは面白い。マルキオンにはグノーシス思想との関連もあるようだが、まあいい。

して、「原罪」について。

秋吉 人間はよきものなのだけれども、知恵の木の実を食べてしまったのだから、際限なく知りたがる。そうなると知ること自体苦しいわけですね。だから知ることの罰則として苦しみが与えられた。異性を知ることを含めて、知識欲はすべて代償を伴う。それはいいのですけれど、しかしそれが原罪だとぼくは思いません。原罪というのは、キリスト教の用語で、ユダヤ教では原罪と言わないと思います。しいて言えば、生きるべく造られていたにもかかわらず、死を選んでしまった、ということですね。これがぼくの原罪の理解なのです。知恵を得て、死を宿命づけられ、エデンを追われた人間。エデンならぬ現世では死ぬ者として行きなければならない。この宿命が原罪だと思います。

こんな考え方、はじめて知った。あるいは、どこかで目にしていたのかもしれないが、気づいていなかった。

聖書のなかで「キリストは罪ある方となれた」(コリントの信徒への手紙二」5章21節、大意)と言ってるわけですから、イエスが死ななければキリストにならないという矛盾のなかに、キリスト教という宗教はあるわけです。だから人間イエスとして生きずに神の子として生きていたのだったら、死なないでいいわけです。人間として人間の苦しみをもって死ななければ、あの宗教は出てこない。

そうだったのか、キリスト教は、あるいはキリスト教も、人間としての苦しみのなかから出てきたものだったのか。

以上が第一部「聖書とは何か?」からの断片。第二部は「ユダヤ人とは何者か?」。

秋吉 ……だから、たとえばイエスを裏切ったとして有名なユダにしても、ユダヤ人の間ではユダという名前はごく普通の名前で、同名異人の多くのユダが存在するのですが、そのことすら通じないところまでキリスト教は広がっていく。ユダの裏切りも、その名が由来するユダヤ民族一般と同一視されて、これがまず一つの他者から見るユダヤ人像となり、ユダヤ人=裏切り者という構図ができあがる。……

池澤 偶然の一致にすぎなかったユダとユダヤという名称の重なりが、そのままキリスト教徒のユダヤ人憎悪につながった。

秋吉 キリスト教の広がりのなかで、ユダという固有名詞が個人を超えてユダヤ人集団と混同されたところに、ユダ個人と後のユダヤ民族の悲劇があったということです。

キリスト教の広がり」なんていっても、ぜんぜん初期の話だろう。そのころから、ユダヤ人の悲劇が始まった。

ところで、ユダについては本書後半で「ユダの福音書」について触れられている。

ユダの福音書 - Wikipedia

ユダの裏切りはイエスとのアングル(プロレス用語)があったという立場。ユダの裏切りなしにはキリスト教が成り立たなかったという見方。これはボルヘスの短編で知ったかな。「ユダについての三つの解釈」か「三十派」か、よく覚えていないけれど。もっとも、このユダ擁護の書は古よりあって、否定する文書から読み取れたり、「死海写本」や「カイロ・ゲニザ文書」、「ナグ・ハマディ文書」あたりにも記されているという。そこにはグノーシス主義との関連もあって、みんなだいすき『新世紀エヴァンゲリオン』やフィリップ・K・ディックの世界とも通じるところがある。が、これはとりあえず外典の話。

さて、ついこないだこんなニュースを見た。

「ユダヤ人国家」法、イスラエル国会が可決 批判相次ぐ

 イスラエル国会は19日、自国を「ユダヤ人の民族的郷土」と規定する法案を62対55の賛成多数で可決した。イスラエルの人口約880万人の2割を占めるアラブ系の国会議員らは「差別」と猛反発し、ヨルダンやトルコなど近隣諸国や欧州連合(EU)からも批判や懸念の声が出ている。

 地元メディアなどによると、「ユダヤ人国家」法は「イスラエルにおいて民族自決権はユダヤ人特有の権利」と定めた。ヘブライ語を「国語」とする一方、アラビア語は国内で「特別な地位」を持つとしており、格差を付けている。

ユダヤ人の国、イスラエル

池澤 先ほどの話で十二部族の正統な後継者はユダであるということでしたね。そうすると、「ユダ」というのが正統であるという意識があったわけでしょ。それが第二次世界大戦後に、自分たちの国をつくるときに、なぜイスラエルという名前にしたのでしょうか。

秋吉 新しい国の名をなぜ「ユダヤ共和国」とせず「イスラエル共和国」にしたのか。中世以来の蔑視を伴った呼称を避けるという意図があったのかとも考えてみましたが、やはり先ほど言ったように、背信のために滅ぼされてしまった兄弟部族の「負」の歴史を背負い、同時にユダ族に託された家名再興の使命、神の祝福の下にあった栄光のイスラエルを象徴する部族の全体像(全歴史)を表す名だったからと推測します。彼らには父祖に下された神の祝福は過去の出来事ではなく、現実のはずですから。

 ユダヤ教はそれを広めて信徒を増やそうという宗教ではない。先祖であるアブラハム、イサク、ヤコブ=イスラエルに下された神の祝福に向かっていく。他の民族と混じらないようにしていく、民族を維持するという意図しかない、という。そして、今のイスラエルがある。ほんとうに気の長い話だ。だが、その時間的な長さというものさしも、彼らにとっては当てはまらないのかもしれない。「無時間の空間で対立するイスラエルパレスチナ」。

秋吉 ……聖書に描かれた古代の出来事の現代への有効性ということで言えば、千年間の時代を隔てた士師時代とマカバイ時代の物語を読み、その時代からさらに約二千百年後のいま、パレスチナで起こってることを考えると、あのころといまとが本当に変わっていないことがわかる。ですから、僕も問題の解決策を外から与えうるかという点については、懐疑的にならざるをえないんです。

アメリカのユダヤ人集団のロビー活動によるイスラエル援護についてあれこれ言っても、ともかく中東のユダヤ人については「基本的な思考の枠が違う」という。かといって、イスラエル共和国の暴虐について、ちょっとなにか言いたくなるところはある。あと、あれだな、時間という意味では、近代の戦争で聖書時代の戦術をそのまま活かしたなんて話もあったっけな。われわれ日本の風土とはあまりに違う砂漠の世界。

第三部は「聖書と現代社会」。ユダヤ教の戒律も抜け道があって、安息日に髭を剃ってならないとあるけど、電気カミソリがダメだとは書いてないから、それは許されるとか、まあやはり人間いい加減なところもある。

真面目な部分で言えば、科学との関係だ。

秋吉 …… 自然は造られたものだから、神ではない。だからそこへアポロを飛ばそうとか、正体を見てやろうとなるわけで、もし月や太陽が神だとしたら、そういうことはできない、してはならないことになる。そう考えると、自然科学を発達させる元になったのは「創世記」1章―2章4節で展開された宇宙観、自然観と言っていいかもしれません。

藤原新也がアポロ月面着陸のときにアラブにいたら、まわりのムスリムが怒り出したとかいう話があったと思うが、キリスト教徒にとってはしょせん神の被造物にすぎない(……でも、ムスリムにとっても聖書は……本来は聖典だったけど、歴史の中でそうは扱われなくなったのか)。そして、それらの支配を任されているのが人間だという感覚。このあたりはやはりこの日本という風土、文化のなかを生きてきた人間にはわかりにくい。わかりにくいが、科学を発達させてきたのはやはり西洋キリスト教社会である、というのはたしかなことだろう。自然(この言葉自体ヘブライ語にはないらしい)に対する見方が違う。

あとはなんだ、衣笠祥雄理論(極度の偏食で、魚が苦手で肉しか食べられない。下柳剛との酒の席では「野菜食べないで大丈夫なんですか?」と心配する下柳を「野菜は牛が食うとる」と一蹴したという)をこんなところで見るとは。

……遊牧民が肉を食べないはずはないのですから明らかな矛盾です。それを拡大解釈する人間もいました。羊だって草を食っている。だから羊を食することは一種の草食ではないか。狼のように動物を食べている獣は食べてはいけないが、草を食べて育ったものは、草の延長上だから食べてもいいという理屈です。

羊は草を食べてるからカロリーゼロ! 

とかいうのはともかくとして、秋吉の「原罪」の見解を再度ひいて、これを元にキリスト教を見ていこうかとか思う。それがスタンダードな見解かどうかしらんけど。

原罪というのは神の命令に背いたことだとみんな考えてますね。しかしそうではなくて、生きるべく造られたにもかかわらず死を呼び込んだことが原罪というのがぼくの考えです。だから罪の反対、罪からの解放というのは永遠に生きることで、それはキリスト教の贖罪論になっていくのですけれども、それはともかく、禁令を犯したことをもって原罪とするのではないと思っています。

 ああ、あとは、なんだ、「アダム以前に人はいたのか?」という話。アダムとエバという一対の男女から広がったのなら、禁じられている近親婚にならざるをえないのではないか? カインとセツの結婚相手はどこにいたのか? という話。そのあたり、べつに「他に人間はいなかった」という記述がないのだから、という解釈らしい。あと、最初に出てくる「アダム」というのは固有名詞でなく、人間という集合名詞だったとか。

あ、いや、なんかね、聖書いうんはまだまだエキサイティングな書物であって、教会なんかではインデックスされた、説教に適した部分ばかり語られるけど、そればかりじゃないぜ、雅歌もあるぜ、ということで、やはり興味深い書物なのだろうと思った。小学生の感想文の〆か。まあいい。以上。

<°)))彡<°)))彡<°)))彡

<°)))彡<°)))彡<°)))彡

<°)))彡<°)))彡<°)))彡

『聖書の旅』山本七平/写真:白川義員 - 関内関外日記(跡地)

いちじくの木を呪う - 関内関外日記(跡地)

秦剛平『ヨセフス イエス時代の歴史家』を読んだ。 - 関内関外日記(跡地)

空からマナが降ってきた - 関内関外日記(跡地)

釈徹宗『不干斎ハビアン 神も仏も棄てた宗教者』を読むのこと - 関内関外日記(跡地)

『禅と福音 仏教とキリスト教の対話』を読む

 

禅と福音: 仏教とキリスト教の対話

禅と福音: 仏教とキリスト教の対話

 

 キリスト教の場合、「神がこの世界をつくった」とか「最後の審判がある」ということが神の言葉として聖書に出てくる以上、これを否定したらキリスト教にならない。ところが仏典は、どこからどこまで読んでも、悟った瞬間どうなったかといった話はない。ニルヴァーナがどういう状態なのか、ニルヴァーナが何であるか、まったくわからない。

 結局、一番肝心要のことは読んだ人間が想像して解釈するしかない。その真偽を判定する根拠はパーリ経典のどこにもない。テーラワーダの人が何を言っても「あんたはそう思うのね」以上の話にはならない。

おれは仏教本をいろいろと読んでいたが、仏教徒と異教徒の対話本というものは読んだことがなかった。山折哲雄テーラワーダアルボムッレ・スマナサーラの対談は多少そういう要素を含んでいたかもしれないが、やはり仏教同士の対話であった。

して、この本は曹洞宗僧侶とカトリックの司祭の対話なのであって、ガチンコの対話なのである。おれは南直哉の本を読んだこともないし、来住秀俊の本を読んだこともない。ただ、ちょっとページをめくってみて、「これはいいかも」と思ったのだ。決して、南さんがテーラワーダを叩いているから、という理由だけではない(おれがテーラワーダに対する違和感を持っているので、それも理由ではあるのだけれど)。

とはいえ、南さんが仏教ど真ん中の人かと言うと、自らそう述べているように、そうでもないような気がする。

 申しわけないが、私は他の仏教者の話を聞いていらだつことがよくある。みんな「無我だ」「無常だ」と言うけれども、「無我」や「無常」で何を考えているのかよくわからないからです。みんな平気で裏口から超越的なもの、いってしまえば「神もどき」の何かを持ってくるのに、無常も無我もないだろう。

 そんなことを愚痴っていたら、ある人がこう言った。

「そりゃあ、南さん、みんないい人になりたいからですよ。みんなを癒せるきちと結論を出して、みんなを安心させるいい人になりたいんですよ」

 そして、その人はこう続けたんです。

「ところが、南さんは人が悪いから、人を決して救おうとしないじゃないですか」

 そういわれれば、そのとおり。仏教ではニルヴァーナにならないかぎり救われない。ただ、救われるかもしれないという可能性に賭けて実践するしかない。

 だからブッダも人が悪いと私は思う。一番肝心なことを言わないのに、「修行しろ」「いつまでも修行しろ」と言いつづけるのですから、あれほど人を不安にさせることはない。

 ブッダも人が悪い、なかなかお目にかかれないかもしれない言葉かもだ。梵天勧請じゃないが、たしかに釈尊には人々を安心させようという絶対的な意志はないようにも思える。そして、その思想がどこでどうなったが絶対他力ということになっても、親鸞聖人を安心させない。仏教はハードだ。

ではキリスト教はどうなのか。

来住 ……神と一緒に歩いているといっても、まったく対等の友人ではないことは確かですが、「おれについてくればいいんだ」というのではない。この先まだ山がいくつもあるけれども、手をつないで一緒にいこうという姿勢なのです。

 道案内もしないのですか。岐路にさしかかったとき「こっちだよ」とも言わない?

来住 神はいろいろ相談に乗ってくれますし「こっちのほうがいいと思うんだがね」といった話をしないこともないですが、神が決定するのではありません。キリスト教は人間が責任を持つ宗教です。最終的には、人間は自分で識別して自分で選択しながら歩まねばならない。神はそれをサポートします。

 しかし識別をサポートするのであれば、案内人ではないでしょうか。

来住 わかれ道に来たときに「絶対こっちだよ」といえば案内人かもしれない。神はせいぜい「こっちかもしれないね」程度のことしか言わない。

 選択の責任はあなたにある、ということですね。

来住 そうです。人間が神の似姿であることのポイントのひとつは、責任の主体だということです。神とともに歩んでいても、人間が自分の責任で決断をしなくてはならない。

ふーん、そうなのか、人間が神の似姿であるというのは、責任の主体でもあるという。ほとんどキリスト教については、その信の構造については知りもしなかったが、そういうところもあるのか。

あるいは、こんな用語についても。

 「天国」と「神の国」は別なのですね。

来住 そうです。聖書の言葉でよく誤解されるのですが、「天の国」と「神の国」は同じものであって、しかし、「天国」とは別ものです。

 「天の国」と「天国」が違うのですか?

来住 天国は英語だと「ヘヴン(Heaven)」。神の国は「キングダム・オヴ・ゴッド(Kingdom of God)」とか「レイン・オヴ・ゴッド(Reign of God)」、つまり「神の支配」です。つまり天国は、人間が死んだあとすぐ行く三つの場所―地獄、煉獄、天国のひとつであって、そのあとの未来、キリストの再臨があるときに現れるのが神の国、あるいは天の国なのです。

ふーん、浄土→涅槃のようなものだったのか。

聖書について

 確かに私も、あるキリスト教の信者さんに、「聖書に書かれてあることは、聖書のなかのこととして信じる」と言われたことがあります。これが普通なんでしょうね。

来住 それはよい表現ですね。聖書のなかでイエスが関わる物語は、確かに歴史的に二千年以上前地上に住んでいたイエスと繋がりを持っています。イエスについて誰かが克明にメモしていたわけではない。しかし信仰の共同体がその物語を共有していった場合、それは信者にとってはひとつの現実です。

フラウィウス・ヨセフスが書き留めた史的イエスと、聖書のなかのイエス。「聖書のなかのこととして信じる」。西洋科学文明と聖書との矛盾や乖離、そのあたり、そのようにして乗り越えてきたものなのだろうか。

一方で、日本の仏教が乗り越えてきたかどうかあやしいところ。

 ……だから明治の太政官布告のときも、たとえば宗派で「師家は独身でなくてはならない」というふうに決めてしまうべきだった。臨済宗はその経験があります。曹洞宗も「師家になる以上は独身を宣言してください」と決めて、一定規模の独身者を担保すべきだった。

d.hatena.ne.jp

おお、そうなのか、おれの長年の疑問である太政官布告に対する仏教徒の態度について、こう言い切ってくれるのを見るのは初めてかもしれない。

そんで、話は飛ぶけど自死について。

来住 南さんにとって、本人の意志で生きるのをやめることは絶対的な悪なのですか。

 悪とは言えないと思います。自殺を悪いという根拠はない。ただ私は「やめてほしい」と言う。そうでないと、よきものが生まれる余地がなくなると思う。

来住 それは、キリスト教が、創造がなければ苦しみもないが、よきものもないと考えるのと似た考えの筋ですね。私にも納得できます。

ふーん。もうすこし突っ込んで、反出生主義というものについても語り合ってほしかった。キリスト教については、「よきものもない」というところに着地するのかもしれないが、仏教もそうなのか? 一切皆苦に人間を放り込むことはどうなのだろうか。

カトリックについて。

来住 ……カトリックは自分の考えを絶対視せず、教会の教えや先人の知恵を重視して、常に自分を相対化する気持ちを持っています。それでもなお、「神と私」だけの良心の法廷があるのです。キリスト教に関心を持つ人たちに、これはぜひ知ってほしいことです。

自分の考え≒理性を絶対視しない。このあたり、本書の最後の方で語られる反左翼的な、あるいは保守的な考えにつながっていくのかもしれない。いや、おそらくはそうだろう。人間というものの理性、理屈を絶対視しない。そこに保守思想というものがある。違うかもしれないが。

来住 ……しかし、多くの場合、人が何かを肯定的に言ったときには、何かいいものが含まれているのです。ゲーテは確か「人が肯定的にものを言うときには、完全にまちがっていることはない」と言っていたと思います。

とか。

えーと、それでなんだ、本書はわりと仏教とキリスト教の尖った人同士の対話ということもあって、それゆえにスリリングでもあり、逆に合致するところもあったりというところだろうか。もっと凡庸な、といってはなんだけれども、それぞれの宗教のメインストリームの人同士では、ここまで突っ込んだ対話にはならなかっただろうな、などと思ったものである。そして、ようわからんなりに、キリスト教なるものをもう少し学んでみようかなどとも思った次第である。あくまで、「みようか」なのだけれど。とりあえず、以上。

末近浩太『イスラーム主義 ―もう一つの近代を構築する』を読みました

 

イスラーム主義――もう一つの近代を構想する (岩波新書)

イスラーム主義――もう一つの近代を構想する (岩波新書)

 

おれにとって熱い宗教は仏教なのだが、ここ10年とかで世界を熱くさせていたのは良くも悪くもイスラームだろう。おれはイスラームについてほとんど知らないので本書を手にした。ここのところのイスラームの流れについてザッと知ることができるんじゃあないかと思った。宗教理論としてでなく、政治的なそれについて。

 イスラーム主義という用語は、政治と宗教の一致といった何らかの共通イメージを想起させながらも、観察者と当事者の政治的な立場や価値判断が交錯することで、長年曖昧なまま使われてきた。

 そこで、本書では、イスラーム主義を「宗教としてのイスラームへの信仰を思想的基盤とし、公的領域におけるイスラーム的価値の実現を求める政治的なイデオロギー」と定義しておきたい。平たく言えば、イスラームに依拠した社会改革や国家建設を目指すイデオロギーということになる。

ふむふむ、イスラーム政教一致だとよく言われる。大川周明イスラームにたどり着いたのもそのあたりだという。あるいは、原始仏教がインドの地で亡んだのは(すごく昔の話になるが)、そのあたりだともいう。

goldhead.hatenablog.com

まああともかく、本書では「イスラーム主義」を扱う。イスラームという宗教を信仰することと、重なる部分はあれども、「主義」は政治的な理念があるということだ。

そして、イスラームにおける国家として歴史的に大きな意味を持つのがオスマン帝国ということになる。帝国崩壊以後のイスラーム主義、崩壊によって生まれたイスラム主義、これが重要なところだろう。たぶん。西欧列強に蹂躙され、分割されたサイクス=ピコ協定によって分裂されたイスラームの国。それがいまだに尾を引いている。

それでもって、西欧をバックにした独裁政権への反逆を企図したのが「第一世代」のイスラーム主義者ということになる。このジハード主義者たちが1960年代から70年代にかけてのエジプトあたりで起きたことである。

次いで「第二世代」が現れる。活動範囲は国内から国外へ、敵はムスリム社会の不信仰者から、非ムスリム社会の異教徒へ。それが顕著に見られたのが「無神論者」であるソ連の侵攻を受けたアフガニスタンである。ここにジハード主義者が集まった。その中にはウサーマ・ビン・ラーディンもいた。そうして、アル=カーイダも誕生する。敵はアラブの独裁国家ではなく、祖国から離れたアメリカということになったりする。

 アル=カーイダに代表されるジハード主義者の「第二世代」の登場と2001年の9・11事件は、イスラーム主義の「安全保障化(securitization)」を加速させた。

 「安全保障化」とは国際関係論におけるコペンハーゲン学派の概念で、「脅威」が、所与のものとして客観的に存在するのではなく、特定の行為主体による言語行為によって間主観的に構築されることを説明することである。ここでは、「イスラーム主義が世界を破壊しようとしている」といった言説が拡大・浸透することで、実際にイスラーム主義が「脅威」と見なされるようになり、また自らの安全を保障するための措置が講じられるようなる過程を指す。

安全保障化 - Wikipedia

虐殺器官ではないが、ともかくそういうことである。これにより、欧米ではジハード主義のみならず、イスラーム主義、さらにはイスラームそのものを危険とみなす風潮が生まれていった。一方で、イスラーム主義の側も、アメリカの「対テロ戦争」という名分によって、逆にビン・ラーディンの主張が裏打ちされることとなり、「安全保障化」の意趣返しになってしまったという。

そして最後に、というか、今現在? やや下火になったとはいえ、イスラーム世界を席巻したのが「イスラーム国」ということになる。これが「第三世代」だという。バグダーディーがカリフを自称し、「建国」を宣言する。「第一世代」の持っていたイスラーム国家の樹立を目指し、「第二世代」の持っていた「反近代西洋」をさらに加速された存在である。表層的なイメージをネットなどを通じて広げたそれは、「ぐれ」のにも呼応していった。「イスラームの過激化」ではなく「過激主義のイスラーム化」ともいえる。

そして、「アラブの春」。民主主義の中にあって、穏健にイスラーム的な国家を望む人たちの多さ。これもある。果たして民主主義とイスラームは共存できるのか、どうか。よう、わからん。いち早くイスラーム主義国家から抜けたトルコも、エルドアン大統領がどんどんイスラーム主義に舵を切っていったりもしている。と、エルドアン、今、大統領選やってるのね。

エルドアン政権に審判=トルコで大統領選・総選挙:時事ドットコム

まあ、このあたりもどうなるか、注目であろう。欧米の民主主義を「なんとなくいいもの」として敗戦後与えられ、それでいいじゃないかとやってきた日本人にはなかなかわからぬところもあるイスラームの社会。日本にとっては、歴史的経緯や地理的には他人事のようにも思えるし、そうかもしれないが、そうでないかもしれない。とりあえず、こんなところで。

【愛猫家激怒】梅崎春生、飼い猫いじめで炎上!

 当時は仔猫であったけれども、一年経った今日では、ふてぶてしく肥り、見るからにあぶらぎって、身の丈は三尺ほどもある。ここで身の丈というのは、鼻の頭から尻尾の先までのこと。地面からの高さということであれば、それはほぼ一尺くらいだ。

 そのカロが我が家の茶の間を通るとき、高さが五寸ばかりになる。私が茶の間にいるとき、こと食事時には、そういう具合に低くなる。ジャングルを忍び歩く虎か豹のように、頭を低くし背をかがめ、すり足で歩くのだ。

 なぜこんな姿勢になるかというと、私が彼を打擲するからだ。カロを叩くために、猫たたきを三本用意し、茶の間のあちこちに置いてある。どこにいても手を伸ばせば、すぐに掌にとれるようにしてある。カロが背を低くして忍び歩くのは、私の眼をおそれ、この猫たたきはばかっているのである。

梅崎春生がこんなことを書いていた。なんでもカロというその猫は、人間の食事を盗み食いする習性があるからだという。そして「猫たたき」なるものは、「荒物屋に行って、蝿たたきを呉れと言えば、これを出して呉れる」というのだから、蝿たたきにほかならない。蝿たたきといえども、人間の大の大人がふるえば、猫にとってはおそろしい凶器にほかならない。そして、梅崎は「なんという浅間しい猫だろう」と言ってはばからないのである。

これが炎上しないわけがあろうか。梅崎はこんなふうに釈明する。

単に飼い猫の生態のみならず、飼い主たる私とのかかわり、猫の所業に対する私の反応、そういうものを虚実とりまぜて、デッチ上げというと言い過ぎになるが、とにかく一遍の小説に仕立てて……

などと、小説だいうわけだ。そして、これに対する世間の反応は厳しかった。

 ……一箇月ばかりの間に、私はこの小説について、読者から数十通のハガキや手紙を貰った。こんなに手紙を貰うことは、私には未曾有のことである。

 

 内容の趣旨はすべてほとんど同一で、私に対する非難、攻撃、訓戒、憎悪、罵倒というようなのばかりである。猫を飼うのはいいが、その猫をあんなにいじめるとは何事か。蝿叩きで猫を打擲するとは言語道断である。以後お前の小説は絶対に読んでやらないぞ首をくくって死んでしまえ、大体そういう趣旨のものが多かった。遺憾なことに賞めて来たのは一通もない。

 世上に猫好きが多いことは知っていたが、こんな具合のものであるとは初めて知った。その数十通の大部分は、読後直ちに怒りに燃え上り、ぶっつけに手紙に書いたもののようで、字も乱暴だし文体も乱れていて、それだけにかえって迫力があり、怒りのメラメラが直接感じられたようである。そしてじゅんじゅんと訓戒を加えた静岡県の一主婦の手紙、冷静なのはこれだけで、あとは多かれ少なかれ情念における乱れが充分に認められた。

このように、燎原の火のごとく怒りのメラメラが梅崎を襲うのである。しかし、梅崎はさらに火に油を注ぐようなことを書く。

 大体猫を愛するような人間には、偏狭でエゴイストが多い。私が知っている限りはそうであるし、ある程度の理由づけも私には出来る。しかしその理由づけをここで書いても、猫びいきから直ちに反証をあげられそうな気がするから、やめておこう。

 しかし猫がいじめられる小説を読み、憤然と抗議の手紙を書くなんて、少々常軌を逸してるとは思わないか。でも、そういうところが猫マニヤの変質性と言えるのかもしれないが。

 彼等にとっては、猫が全世界なのである。全世界とは行かずとも、半世界ぐらいは猫にしめられているらしい。

こんなん書かれては、猫好きは人間たたき(金属バットなど)で梅崎を襲う可能性すらある。とどめにこうである。

 世上の小説を見渡すと、大体が人事のあつれきを主題としていて、つまり人間がいろんな苦難にあう、すなわち人間が環境其の他にいじめられる話が多いのだが、それに対して人間好きがヒュウマニズムの立場から抗議したという話はあまり聞いたことがない。だのに猫を書けばネコマニズムは直ちに抗議をする。変な愛情はあればあったものだ。

猫を愛することをネコマニズムなどといって茶化す始末である。何年か前に女性作家が猫の間引きについて書いて炎上したかと思うが、世上は猫について厳しいのを知った方がよいのではないか。

 

……と、「カロ」(昭和27年1月)、そして「猫のことなど」(昭和29年2月)に書かれていた。

 

して、「猫のことなど」で書きたかったのは「猫のこと」ではなく、そう反応してしまう読者、そしてその理由についてだろうか。

 私小説形式のフィクションと言えば、前述のネコ小説もそうなのであるが、読者は全然それを実生活とイクォールとして受け取っているらしことは、抗議の手紙の殺到でもわかる。これは大変重要なことである。

 すなわち私小説という形式だけで、私はほとんど努力せずして読者に多大のリアリティを確保していることになる。これを三人称で書けば、リアリティだの効果だのに大苦労をするところだ。

 これは勿論明治以来、我等の先輩がルイルイと私小説をつみかさね、そして読者にそういう訓練をして来たためである。私にとってこれは言わば貴重なる天然のボウ大なる埋蔵資源のようなものだ。これを利用せずして他に何を利用することがあるだろう。

 そして、形式と設定だけ作れば、あとはどんな荒唐無稽のウソッパチを書いてもリアリティの確保に苦労はない、などと皮肉を言うのである。そして、最後はこんなんで終わる。

しかし私にならって皆がこれを始め出すと、読者もバカでないから段々にからくりを見破って、信用しなくなるかも知れない。そうするとリアリティは全然うしなわれる。それでは困るから、このやり方は私の専売特許として置きたいと思うが、まさか特許局に願いを出すわけにも行かないので、とりあえずこの一文をもってその特許の確認にかえることにする。

今で言えば、その「形式」とはなんであろうか。ブログ、あるいはもっと短いSNSになるかもしれない。そういう「形式」で書かれた小説は……あるらしいということは知っている。ただ、ウェブの「形式」は移り変わりが激しいので、ちょっと後の読者には、「いったいなんだこれは、読みにくい」ということにもなりかねないか。

また、「ランプの下の感想」ではこう書いている。

……西欧においては前世紀の十九世紀という時代は、人間を凝視し自己を凝視し、それを表現する点においては正統的なリアリズムという大道を確立した世紀であった。私たちの伝統は、人間を凝視した世紀すらも持たないのである。数百の艨艟や数千の戦車やそして数万の竹槍をほこった日本の贋の世紀は没落した。ここに新しい世紀は樹てられなければならぬ。

 

……私たちはも一度人間にもどらなくてはなるまい。と、私は考えるのだ。凝視に耐えるだけの強い瞳孔を、なにはともあれ取戻す必要がある。で、そんな具合にして私は私の出発を持とうと思う。そして私は型になどこだわりたくない。その作品の中に自分が立っていればいいじゃないか。自分の生活を書いたって、荒唐無稽な物語を書いたってその中に自分の答えがないような小説は、いくら面白くても意味がないのだ。

 このあたりに韜晦はあるまい。

もっとも「私の小説作法」などでは、将来、小説は映画のように分業制になるんじゃないか、そうしたら批評家も批評文の合成で対抗するんじゃないか、とか書いている。いや、それもありえない話ではないようにも思えるが、どうだろうか。二人の合作くらいならあるし。アイディア担当、情景担当、セリフ担当、濡れ場担当……とか。漫画は分業でやるのは当たり前の方法だしな。

あとはなんだ、今どきにも通じることを「近頃の若い者」(昭和28年)で書いたりしている。

 しかし現代においては、近頃の若い者を問題にするよりも、近頃の年寄りを問題にする方が、本筋であると私は考える。若い者と年寄りと、どちらが悪徳的であるか、どちらが人間的に低いかという問題は、それぞれの解釈で異なるだろうが、その人間的マイナスが社会に与える影響は、だんちがいに年寄りのそれの方が大きい。これは言うまでもないことだ。若い者にロクデナシが一人いたとしても、それは大したことではないが、社会的地位にある年寄りにロクデナシが一人いれば、その地位が高ければ高いほど、大影響を与えるものだ。そして現今にあっては、枢要の地位にある年寄り達の中に、ロクデナシが一人もいないとは言えない。いや、言えないという程度ではなく、ウヨウヨという程度にいると言ってもいい状態である。それを放置して、何が今どきの若い者であるか。

これなど、それこそパピルスに記されていてもいいんじゃないだろうか。若いやつがバカをやろうがたかが知れている(いや、ダンプカーで休日の歩行者天国に突っ込むとか、そういうのは別として)。権力を持った年寄りがロクデナシだと困る。然り、然り。その上、現今(平成30年)にあっては、絶対数においても年寄りのそれが若者より断然多いのだから、ロクデナシの絶対数も多いだろうし、悪気はなくとも下の世代にとっての負担になっている。おれはもうおっさんになってしまったから年寄りの側かもしれないが、ようそこの若いの、大変だな。

して、梅崎は自分の老後をどう思い描いていたか。「あと半世紀は生きたい」(昭和29年)でこんなことを書いている。

 どんな脅威があろうとも私たちは絶望することなく生きて行かねばならぬ。四十初頭の決意として、私はさしあたりあと半世紀は生きようと思う。西暦紀元二千年の祭典が、世界政府によってパミール高原かどこかで、にぎにぎしく開催されるだろう。その祭典に私は日本地区の文化人代表の一人として参加したいと思う。その節、梅崎春生翁は齢すでに八十五歳になっているが、毎日の食事にプランクトンやクロレラ、それらの適量の摂取により、髪は壮者のようにつやつやと黒く、腰もまだシャンとして全然曲がっていない。さまざまの脅威に耐えてきただけあって、眼光けいけいとして鷲のごとく、精神もピンと張り切っている。そういうカクシャクたる翁が、式典の台上に立ち、荘重なる口調で堂々と『平和の辞』を述べる。万雷の拍手が周囲からまきおこるであろう。

 その日まで生きようというのが、私の第一期の計画である。計画通りうまく行くかどうか。

結果、うまく行かなかった。西暦二千年になってもまだ水爆原爆の脅威は消え去らず、世界政府もできてはいなかった。そして、なにより梅崎春生自身がこれを書いてから十年ほどでこの世を去ってしまったのである。昭和40年、齢50での死である。残念な話だ。猫や猫好きの呪いでなければいいのだけれど。

<°)))彡<°)))彡<°)))彡<°)))彡

<°)))彡<°)))彡<°)))彡<°)))彡

<°)))彡<°)))彡<°)))彡<°)))彡

 

桜島・日の果て・幻化 (講談社文芸文庫)

桜島・日の果て・幻化 (講談社文芸文庫)

 

d.hatena.ne.jp

……いや、実のところ、梅崎春生の本を手にとるのはこれで二冊目。長編など読んだこともない。とはいえ、『桜島 日の果て 幻化』がむちゃくちゃ面白かったのは覚えていて(もちろん細かな内容は覚えていない。クロレラ食ってないからか?)、随筆を手にとってみた次第。これからおれの中で梅崎春生ブームが来るのかどうかは未定。

 

不確実さを受け入れる 「ネガティブ・ケイパビリティ」について

 

ネガティブ・ケイパビリティ  答えの出ない事態に耐える力 (朝日選書)
 

 

図書館の本棚、心理学系のところ、帚木蓬生の本が目に入る。以前、病的ギャンブリング(ギャンブル依存症)についての本を読んだことがある。その本のタイトルは『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える能力』。能力だのなんだの、自己啓発か? マインドフルネスか? などと思い、ページをめくってみる。すると、冒頭、こんな一文から始まる。

 ネガティブ・ケイパビリティ(negative capabiity 負の能力もしくは陰性能力)とは、「どうにも答えが出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」を指します。

 あるいは、「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」を意味します。

おれは思わずうなった。「あるいは」以降で語られている部分についてである。こういっちゃなんだが、「おれはこれを持っている」と思ってしまったのだ。おれがこのように前向きになることは珍しい。いや、「耐える能力」があるというと嘘であって、何事かに耐えられなくなっておれは精神疾患を発症したのだし、それは今のところ機序も不明で完治もないものだが(知ってますか、双極性障害、ようするに躁うつ病ですらそんなものなのですよ)、なんらかの判断を保留して放っておくようにすること、それで良しとすることは、おれの世界に対する一つの態度であって、半ば意識して、あるいは無意識に、判断しない、理解しないということを心がけているといっていい。

証拠を見せようか。おれは五年前にこんなことを書いた。

d.hatena.ne.jp

 1か0かというとき1か0かという二者択一ということになるのだが、そのとき「か」はどこに行ってしまうのかという話になる。

 しかし「か」のみではあることならぬものであるようだから「1か0」というまとまりでもって二者択一に答えるということになるのだが、それでは答えにならぬということにもなる。

 さすれば白紙回答なり保留という態度ということにもなろうが、「1即0」といい「0即1」などと禅問答めいた意味か無意味かをにおわせることもできるかもしれん。

 しかし、「1は0」、「0は1」などと口でいくら言ったところでその「1は0」、「0は1」に心身のすべてを投じることなく嘯いたくらいではむなしいことに違いない。

 ならば、そういった境涯にあらないならあらないで、たんに保留すること、回答を拒否することはいかんのかということになると、二者択一必須のときが今なのかどうかという判断を要することにもなる。しかし、その判断というものも畢竟ずるに二つに断じて判ずる行為がゆえに、「1か0か」の分別から逃れえない。

 やはり最初に出て行った「か」が問題だ。「か」のやつが、どこか知らない街の駅の喫煙所あたりで、つまらなそうに煙草をふかしているのを見つける必要があるかもしれない。おい、「か」よ、とりあえず戻ってくれないか、という説得をする必要もある。

……なにを言ってるかよくわからない?

d.hatena.ne.jp

保留、保留、馬鹿は半永久的に保留、銃で脅されたら持ち主の顔色見てスイッチ押す。そんだけ。

ほら、こういう態度。単なる優柔不断? それとも馬鹿?

d.hatena.ne.jp

だいたいこう、賢い人間ってのは、スパッと見えてて、サクっと答えられる。道があって、迷いがない。俺には無理だ。この賢くなさで、どっから来てどこに行くのかわからん。いや、行きようがない、生きようがない。とはいえ、ますます賢くなりたいと思わなくもないので、50年くらい待ってくれという気持ちはある。態度の保留が一つの意思表明であって、行動であって、それは不正義だ、悪だと言われようが、保留できるかぎりにおいて、ちょっと待っててくれという。馬鹿でハートがないんだ、勘弁してくれ。もちろん、臆病者で、勇気もないので、脅されたら鉄砲担いでどっかに行くことにもなるだろう、案外平気で人を殺せるような気もする。とはいえ、だいたい小便ちびって逃げ出したところを督戦隊に撃たれるか、あるいは日和ったところを粛清されて、印旛沼に埋められるのが関の山だろう。

こんな感じ。わかるかな、わかんねぇかな。

d.hatena.ne.jp

 うーむ、話を俺に逸らすと、確たる型も持たずふらふらと仏教をアナーキズムを戦後思想を戦前思想をほっつき歩いて、しょっちゅう「考えがまとまるまで五十六億七千万年待ってくれ」などと言う俺(検索欄に「56億」などと入れたまえ)など、なにやらプチ大正教養主義みたいじゃん。やったー。いや、西田幾多郎とかぜんぜん読めねーからダメだー!

 

d.hatena.ne.jp

そしてもうひとつは極大のこと。はるかかなたの究極のこと。たとえば、56億7千万年後くらいには、人間が客観的制約からぬけ出て、主観的自然法爾の世界に入ってればいいな、めいめいが勝手に踊ってそれが調和してればいいな、と、そんなところに羅針盤を向けること。

 うん、このニーメラーへのツッコミいいね(ドイツ共産党ナチスと一緒になって社会民主党を攻撃していたかもしれないということ)。関係ねえか。

最近だとこんなの?

goldhead.hatenablog.com

おれは社会運動の組織に属したこともなければ、属した人間に接したこともないが、これはそうなのだろうか。きっとそうに違いない、と決め込んでもいいような気がするが、見てもないのに言う資格はない。ただ、「立ち止まって考える」ことが、どうも欠けていると思えることはある。他の国のことは知らないが、ネットなんかでいろいろ見ていてそう思うことはある。なにかこう、あるテーマだかイシューについて、「お前はどう考える? どちらの派閥だ?」と、常に即断即決を迫られているような気になることが多い。

そこでおれのようなぼんくらが「ちょっとわからんのでしばらく考えさせてください」といえば、「その日和見的な態度は現状支持にすぎない!」とか「曖昧な態度をとってサヨクなのを隠してるんだろう!」とかいろいろな方向から石を投げられるようなイメージ。ジジェクだったか、「即断即決を迫られたら、まずその問いから疑ってかかれ」みたいなことを言ってたような気もするんだがな。

 まあこんなところでいいか。というわけで、おれにはネガティブ・ケイパビリティ的な属性があるように思えてならない。冒頭の数行で、そう思ってしまった。

以後、本書は「ネガティブ・ケイパビリティ」という一語を発明し、たった一度弟への手紙の中で用いた詩人ジョン・キーツの話、その「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉を170年後(!)に発見した精神科医のウィルフレッド・R・ビオンの話とつづく。正直、サラーッと読み飛ばしてもいいかもしれない。

第三章になって、「分かりたがる脳」となって歴史の話から次に飛ぶ。

 ネガティブ・ケイパビリティを培うのは、「記憶もなく、理解もなく、欲望もない」状態だという、ビオンの断言は衝撃を与えます。

 なぜなら、幼い頃から私たちが受ける教育は、記憶と理解、そしてこうなりたい、こうありたいという欲望をかきたてる路線を、ひた走りしているからです。

もうまるで禅定じゃあないですか。でも、おれは人生のかなり早い段階から記憶も理解も、そして欲望すら諦めきった人間であって、ネガティブ・ケイパビリティを培うには十分だったと言えるんじゃないでしょうか。そして、おれはこれこれこのようになりました、と。

つーわけで、おれにとってこの本は冒頭の数行がほとんどであって、それはキーツがシェイクスピアの中に見出したものであろうがどうであろうがどうでもよく、ますますおれは大手を振って「その答えは五十六億七千万年後まで待ってくれ」と言うようになるだろう。双極性の真ん中に立ったふりをして、中道みたいな顔をすることだろう。

 

……して、本題とは逸れるが、本書から最後にこんなことをメモしておこう。

 精神医学の分野でも、向精神薬の新薬とプラセボの比較は盛んに行われています。どの治験を見ても、プラセボはよくやっているな、というのが正直な感想です。

例えば、代表的な抗精神病薬であるオランザピンとプラセボを、うつ病患者に六週間投与した治験があります。症状改善で有意差が出たのは「内的緊張」「不眠」「食思不振」「悲観的思考」の四項目で、「外見上の悲しみ」「悲観的な発言」「集中力低下」「全身倦怠感」「感情喪失」「自殺念慮」の六項では、有意差は出ていません。

 えー。おれの信頼するオランザピンが……。と言いたいところだが、心配は無用である。

goldhead.hatenablog.com

むろん、今後さらに医学が進むことによって、オランザピンなんかプラシーボ程度だということが明らかになるかもしれないが、今のところ、おれはこれらによってマシなコンディションを保っていると信じている。そして、どこかで疑っている。

どこかで疑っているから、そんなこと言われても安心なのである。見よ、これがネガティブ・ケイパビリティだ!(たぶん)

 

 <°)))彡<°)))彡<°)))彡<°)))彡

ウィキペディアにも項目あったね。

ネガティブ・ケイパビリティ - Wikipedia

おれはなにやら仏教や禅なんかと比較してみたくなるが、そこまでの知恵と発想はない。

おれってメランコリー親和型? ディスチミア親和型? 『うつ病論―双極II型障害とその周辺』を読む

 

うつ病論―双極2型障害とその周辺 (メンタルヘルス・ライブラリー)

うつ病論―双極2型障害とその周辺 (メンタルヘルス・ライブラリー)

 

『精神医療』という雑誌に掲載された論文に加筆・修正を加えたものらしい。おれは双極性障害II型と診断を受けた人間なので、「その周辺」にいるのかもしれないし、ひょっとしたら当事者として真ん中にいるのかもしれない。上にあるように2009年に発売された本である。

1992年でしたか、その頃にバブルが崩壊しました。第2の敗戦などといわれました。私(引用者注:内海健)は当時30代後半でしたが、それでも相当ショックでした。それを学生時代とか、就職して間もなくという時期に体験した世代には、はるかに大きな影響があったはずです。そこで「頑張ればなんとかなる」という神話が壊れたのかもしれない。

その後、さらに就職氷河期世代、ロストジェネレーションの世代(まさにおれも当てはまる……はず)が来る。いずれにせよ、バブル崩壊で「大きな物語」が壊れた。

その結果、うつ病周辺ではなにが起きたのか。メランコリー親和型うつ病から、ディスチミア親和型うつ病へとシフトしていった……というようなことが、いろいろの論者が論じたりしている。

メランコリー親和型うつ病。戦後復興を支えてきたモーレツ真面目型仕事人間が、中年になって増していく仕事のストレスに耐えきれなくなり重度のうつ状態に陥る。そんな感じ。戦後日本、そしてドイツ(テレンバッハ『メランコリー』)に多く見られたかもしれないタイプ。

ディスチミア親和型うつ病。新型のうつ病、若者がかかりやすい。未熟型うつ病。もともとあまり仕事熱心ではない……。

中村敬の「現代的なうつ病像の背景に何があるのか」ではこう書かれている。

 さらに樽味らは2005年に、10代から30代を中心に増加しつつある特徴的な病像をディスチミア親和型うつ病と呼び、次のように記述した。彼らはメランコリー親和型性格とは対蹠的に、もともとそれほど規範的ではなくむしろ規範に閉じ込められることを嫌い、「仕事熱心」という時期が見られないまま常態的にやる気のなさを訴えてうつ病を呈する人々である。臨床像としては自責や悲哀よりも漠とした不全感と心的倦怠が主であり、回避的行動が目立ち、時には他罰的になったり衝動的な自傷や自殺企図に及ぶ。さらに職業的役割意識が希薄であり、それを補完するように「うつの役割と文脈」にすぐ沿い、そこからなかなか離脱しないという傾向が特徴的である。

……なにこの、おれ。まさに、おれ。でも、ひとつだけ言わせてほしいのは、おれが精神病院に駆け込んだのは、給料の遅配、無配、長時間労働、具体的な金のなさ、未来のなさ、それでも働き続けなければ食っていけないという地獄に限界が来て、ついに身体が鉛様麻痺になったからである。はなから出世だの、家族を作り、守るだのという意識の高さなどない。底辺労働者が壊れたわけである。この真面目さはメランコリー親和型的ではなかろうか。でも、上の引用部分を読むと、おれの性格、あるいは病前性格と一致してしまうのだよな。おれはメランコリー親和型なのか、ディスチミア親和型なのか。どちらでもあるのか、どちらでもないのか、そもそもこの分類が誤っているのか、だれか教えてくれないか。……ってかかりつけ医に世間話的に振ろうと思ってたんだけど、前回の通院では減薬の話と採血で終わってしまって。

まあ、おれはともかくとして、大まかにこの二種類に分けたとき、重いのは前者、軽いのは後者。でも、治りやすい(という言い方が正確かわからんが。いや、おれの言うことは高卒底辺労働者のたわごとなので以上も以下もすべて同じなのだけれど)のは前者、治りにくいのは後者、なのだ。そこが面白い。いや、面白くないんだけど、そういうものかと。

バリバリ働いて、ガクンときて、休職、入院、休息、薬物治療をしてパッキリ回復、というのが前者。

一方で、だらだらと「うつであること」を我がこととして、ある意味好意的にすら受け入れ、なかなか治らないのが後者、ということになる。とはいえ、後者とて自殺に至ることも多いのだから決して「軽い」とはいえないのだけれど。そして、この後者が双極性障害2型の周辺にある、という見方もできる……のかな。大うつ病障害と双極性障害は全く別の病気ですよ、というのが今の時点でおれが知っている知識なのだが。

同じく、2型の周辺にあるのがパーソナリティ障害で、これが合併しやすい……のかな。2型の慢性化で人格が変化する、あるいはパーソナリティ障害でストレス耐性が弱まって2型発症。そして、2型とパーソナリティ障害の間の線引きは困難(「症例から考える双極II型障害とパーソナリティ障害」林直樹)。そういえば、おれも最初「なんかパーソナリティ障害ですかね」みたいな質問を医者にしたっけ。「たぶんあるけど、わかったところで治療できるわけでもない」とか言われたっけな。

……というようなおれはこういう現代的な患者なのだろう。「向精神薬の意味論 双極II型障害という時代の病理を巡って」(熊木徹夫)から。

 昔、イノセントでか弱い患者が身近な医師のもとを訪れ、そのご宣託にすがったようなことは、今の時代ほとんどないといっていい。患者は相当世間ずれ、情報ずれしている。精神科医の前にいる患者は、病気のこと・薬のこと・そしてその医師のことについて、かなりの前情報をつかい、予見を立ててやってきている。そのことが、治療の援けになることも、あるいは妨げになることもあるだろうが、ともかくそうなのである。

ともかくそうなのであるか。ところでこの論文の終わりの方にジプレキサセロクエルの話が出てくるが、即効性があまりないみたいなこと言ってる。おれが最初ジプレキサ飲んだときは、頭がクラクラして、その話を医者にしたら「脳の組成を変えてますからね」だと。まあ、頭がクラクラするのは即効性とは言わんか。

とはいえ、この本はしょっちゅう(とうほどでもないが)吉本隆明が参照されていたり、時代背景と病理みたいな話が多い。「新自由主義下の拒食と過食」(高岡健)より。

……2000年代の日本はこれ(引用者注:新自由主義)を十数年遅れで輸入しつつあります。次に、うつ病は本来、自己が自己をどのように受け入れることができるかにかかわる病なのですが、共同幻想が自己に働きかけてうつ病を惹起するように見えることがあります。平たくいうなら、社会の考え方に自らの考え方を同致させているような場合です。おして、新自由主義に同致した自らの生き方が危機から破綻に至れば、それはあたらしいうつ病(軽症慢性うつ病)をもたらすのです。

この「あたらしいうつ病」は上に出てきたディスチミア親和型とかいうものと重なっているといっていいだろう。そして、おれはといえば、この時代を内面化しているのか。している、ような気もしている。経済論だのの難しい話はわかりはしないが、相当の自己責任論者である。もしもそう見えないとすれば、おれの自己責任論の「自己」はおれ一人、ここにある「自己」を指している、非常に主語の小さいものだからだろう。まあ、おれが他人からどう見られているかなどどうでもよい。おれの生き方が破綻したから、おれは病気になった。おれはそれをおれの無能と無気力、アパシーによるものと信じて疑わない。すべて自業自得である。

……このように言葉にしてしまえば客観的に見ることができるような気もするが、やはり心の根っこにある自己責任論はびくともしない。もう少し勉強が、薬が必要なようだ。あるいはアルコールが。

<°)))彡<°)))彡<°)))彡<°)))彡

<°)))彡<°)))彡<°)))彡<°)))彡

<°)))彡<°)))彡<°)))彡<°)))彡

d.hatena.ne.jp

d.hatena.ne.jp

d.hatena.ne.jp

goldhead.hatenablog.com

……今回読んだ本は加藤忠史先生のアプローチ(死後の脳検体が必要だ、みたいな方向性)とは違うな、という印象。とはいえ、加藤先生もこうおっしゃっている。

精神疾患とは、生物学的な因子、すなわち遺伝子や脳といった因子と、心理的な問題、そして社会的な問題、この三つが渾然一体となって起きているものである」

だからまあ、「大きな物語の喪失」、「対幻想」とか書かれた本も読むわけである。

goldhead.hatenablog.com

 

 

もう一歩踏み込んでほしいんじゃ 宮内悠介『エクソダス症候群』

 

エクソダス症候群 (創元SF文庫)

エクソダス症候群 (創元SF文庫)

 

 「エクソダス症候群にはいくつかの相があります」

 と、カズキは慎重に口を開いた。

「ですが、この開拓地での発症例は、一種の文化結合症候群と言うことができます」

火星の精神科医、の話である。正確には、火星で生まれ、地球で育ち精神科医になり、火星に戻った医師の話である。その医師が、セフィロトの樹を模した火星の精神病院で働く。火星の開拓はまだ途上にある。そして、精神病治療も……。

というお話。反精神病学から、今、この現在の精神病扱われ方、そして未来のそれ。そのあたりをしっかりした参考文献から書いている。そういう印象はある。が、どうもその参考文献をそのまま「近未来」、「火星」というSF要素に乗っけて出してきたようであって、なんというのか、魂の一歩踏み込んだところから書かれていない。フィリップ・K・ディック自身がピンク色の光を浴びた、その境地におらん。精神疾患者(双極性障害2型)であるおれの境地におらん。そういう印象があった。

とはいえ、その印象は主人公が○○○○○○○の○○○○○だからだよ、という可能性もある。それゆえに、そのように描かれているのだ、と。とはいえ、それはそれで、狂気(とされる)場所にいてほしかったように思える。そこのところが惜しい。精神病治療の歴史を追って、その舞台を火星にしてみましたというところで終わっている。著者が一歩、狂気の世界に踏み込んでいてもらいたかった。いや、著者自身が踏み込む必要はないが、少なくとも主人公が、というところだ。

まあ、しかし、俺のような精神疾患者当事者が読むからそうなのであって、そうでない人には異色の舞台、異色の歴史(まあ、精神病治療史そのものなんだけど)、異色の展開ということになるのかもしれん。そのあたりはわからん。わからんが、そのあたりで面白いと思う人もいるかもしれんし、そういうものだと思おうか。でも、もう一歩「沼」に踏み込んで狂気の世界に浸っていれば……と、おれは思うのである。以上。