以下は、光を当てたら収縮とか、トンカチで叩いたら跳ね上がったとか、いじってたら大きくなったとか、触ってたら濡れてきたとか、そういうレベルでの話。
最近では新潟の地震のニュース、親子が生きてたり死んでたりした話など。あれらを見聞きしても、自分の胸のあたりはピクリとも反応しない。その一方で、山古志村に取り残された牛や、水を失って死んでいる鯉などを見ると、胸が潰れるような思いになって、目には涙すら浮かべてしまう(年のせいか涙もろくなった)。人がどこで頭を撃ち抜かれて転がされようがなんとも反応しないが、牛や鯉の苦境にはグッときて涙を浮かべる。その落差はなんなんだ?と思う。人の死に反応する人もいるし、しない人もいるだろう。牛の死に反応する人もいるし、しない人もいるだろう。そんなのはどうでもいいことだ。ただ、自分の中でのその落差、有と無がわからないのだ。
もちろん、対外的には人にこれっぽっちも反応しないそぶりも、牛や鯉に意外なほど反応するそぶりも見せないようにしている。これは、あくまで内面の、ともすれば筋肉的な話だ。そして、いずれその落差について変化があるかもしれない。そのためにこうして日記にメモしておこうと思う。