営業といかにあるべきか

 つけっぱなしのラジオから、経済人のインタビューが流れてきた。営業とはいかにあるべきか、というような話だ。曰く、営業とはソリューションである、と。お客さんは自身の本当のニーズを理解しているとは限らない。それを引き出していくこと、本当のニーズを創出することが必要なのだ。これはすなわち、営業についての有名な言葉「ドリルを欲しているのか、穴を欲しているのか」と同義だろう。そして、物が売れないと嘆く会社へのアドバイスは、「物を売ろうとするな」だ。売らなくてどうするのか。売ろうとする前に、相手を「知る」ことが必要なのだ。良いものを作れば売れる、とういのはウソ。売れた物が良いものなのだ。相手を知ることによって、独善に陥りがちな「良い」を脱し、真のソリューションとなるもの、を提供できるというわけである。これを語っていたのは宋文洲http://www.softbrain.co.jp/documents/sou.html)という人。今検索して驚いた。もっと年輩の人かと思ったのである。まことに中国四千年の重みだ。
 ……などと、自分の人生に鼻くそのかけらほども関わりのないことを書いてしまった。この手の成功譚や自分語りは、往々にして分かりやすい言葉で語られる。俺のようなバカにも覚えられるような簡単さだ。そして、こんな簡単なことを知ったところで何の得にもならない。得にもならないのに、簡単だから入ってくる。俺は無駄な知識を愛するので、引きだしの片隅に入れておく。ただ、簡単だからといってバカにはできない。聞き手の内なる部分に、この話に感応する何かがあれば、化学反応のように弾けることがあるかもしれない。しかしそれは、この手の話にだけあるものではない。『魔法使いの弟子』(ASIN:4480028668ロード・ダンセイニ)の魔法使いが、いのしし狩りの知識に「すべての賢者が見出した幸福への明白な道」を見出したように。
 ……む、となると、やはりお客さんが自分のニーズを理解しているとは限らないという話に立ち戻る。六本木ヒルズの勝ち組話から、一度は中世黄金時代の幻想に飛んだというのに、いまだソフトブレーンの手の平の上である。現代の長者たちは、まことに現代の錬金術師である。