さて、帰るか。

 安請け合いをするものではない。思いがけず午前0時を迎えてしまった。とはいえ、画像処理の作業は好きだ。俺の大好きなルーチンワークの一種だ。それでいて、色を操るのはこのうえない喜びだ。シアン、マゼンタ、イエロー、ブラック。レベル補正を繰り返していて悟ったが、現在はシアンだ。過去へ行くとマゼンタとイエローが強い。では、未来の色は何かとシアンを増量しマゼンタとイエローを減らすと、荒涼として味がない。滋味を与えるのはイエローだ。イエローが全体を包み下支えする。マゼンタは厄介な色だ。赤い物を引き立てるにはむしろマゼンタを絞ってキュッと上げるのがよい。暖かみを与えるときはほんのわずかでいい。マゼンタは侵しやすい色だ。ブラックは引き締める。グイッと底を押し上げて上を閉めて左へ寄せる。それが画像の眠さを払う。四色を同時に動かすのはダイナミックな変動だ。暴力的なエネルギー。劇的な変化。では、四色それぞれに呼応する神があるのか。いや、シアン、マゼンタ、イエローが正三角形を形作り、ブラックは別の階層にある。ブラックは同時にホワイトである。陰と陽と三色とが組みあわされ、それぞれの時、方角、神が配合される。あらゆる色彩はそれぞれの内包する菩薩の位によって世界内の位置を定められる。しかし、我々は四色分解された実像を見ることはかなわない。その点で我々は完全な色盲だが、腕の良い印刷工だけが須弥山を仰ぎ見る。光の三原色のことはよく知らない。