梅干しに目覚めた

 俺は小さいころから梅干しが苦手で、梅干しを避けて暮らしてきたといってもいい。ただ、やはり加齢による味覚の変化で、コンビニ弁当に入っている梅干しなどはそれなりに食べられるようにはなっていた。しかし、自分で梅干しを買うということは、選択肢に入ってこないくらいのものである。
 ところが、人から頂くとなると話は変わる。俺は今現在ほとんど乞食のような心持ちであって、貰えるものは貰うという原則で動いている。米だろうと服だろうと、お下がり万歳である。「梅干しを大量に貰って困った。いらないか?」となると、平伏して頂戴するよりほかないという塩梅である。
 はじめは正直戸惑った。料理にでも使おうかと。ところがどうだろう、なんだ不味くないぞ。不味いどころか、ごはんに合うな。こんなに合うものか。合わないでか。ええい、食が進む、もう一個、もう一個と次々に口に放り込まれる梅干し五百五十個、梅干しを求める鬼となった俺は山を下りて村中の梅干し壷の中を食い漁り、ついに隣三郡の梅干しは食い尽くされてしまったのだ。これに目を付けたのが紀州の豪商紀伊国屋文左衛門、一族郎党を率いて大船に乗り込むや一路海路を俺は何を書いているのか。