『知の編集工学』松岡正剛

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 古本でハードカバーを手に入れたばかり。昨日の勤務が終わって帰宅したのは深夜の三時過ぎだった。その後、睡眠薬を飲んでこれをめくりながら寝ようと思ったら、これがまたぐいぐい引き込まれて100ページくらい読んでしまったのだから失敗だった。気になったところをメモしていく。

●あとがき

 もともと私は、情報の基本的な動向について三つの見方を持っている。それは「情報は生きている」ということ、「情報は一人ではいられない」ということ、そして「情報は途方にくれている」ということだ。

 俺はあとがきから読む読者なので、あとがきから読んだ。著者はそれをみこして「さあ、あとがきから読むのが好きな読者のための、手短なまえがきはこれで終わりだ」などとあとがきの終わりに書いているのだからどうしたものか。「あとがき」なんてあるのは日本だけで、他国では「まえがき」が一般的である、と塩野七生が何かの「まえがき」で書いていたっけ。まあ確かに「あとがき」が「あとがき」なのか「まえがき」なのか、開いてみなければわからないというのはややリスキーだ。しかし、この手の本ではそうでもないか。
 いきなり話が逸れたが、情報のこと。前の二つあたりは今まで読んだ著者の本あたりでも述べられていたこと。それよりも、三つ目だ。俺は三つ目の「情報は途方にくれている」という言いまわしにしびれてしまった。さらに正直に告白すると、具体的に「途方にくれている情報」が頭に思い浮かんだ。競馬新聞の紙面だ。まあ、それは競馬で途方にくれてばかりいる俺の連想にすぎない。しかし、続いてその連想ゲームからこの本は始まった。続きはいずれ。