トリノ五輪:男子モーグル

goldhead2006-02-16

http://torino.yahoo.co.jp/scores/event/freestyle/frm020100.html
 俺は、モーグルの選手がスタート前、断崖に板を打ちつけて、打ちつけられた板の震えるのが好きだ。 俺は、モーグルの選手が両脚の板の舳先をそろえて、コブの波間を下へ下へ縫い取っていくのが好きだ。
 本来の放送予定は、ノルディック複合団体→モーグル決勝だったようだ。しかし、前者が悪天候で中止になったため、俺は予選からすべて見ることができた。モーグル目当ての俺にはありがたい話ではあったが、こうなると決勝まで見ざるをえず、寝不足確定という諸刃の剣ではある。しかし、見る価値のある好勝負だったと断言できる。これで俺のトリノ五輪観戦は満足のうちに終わった。
 しかし、女子もそうだったが、男子の方もえらいことになっていた。グラブって、スノボーの技じゃないの? みたいな。こういう感動は、四年に一度しか見ない人間の特権である(威張ってどうする)。その一発目の感動を与えてくれたのは、予選一人目の上野修だった。初っぱなの登場は不利ながら、思い切りのいい滑りで結局予選通過。これは予選の流れをいい方に持っていったようにも見えて、拍手拍手だ。一方で、エースの附田雄剛はかなり後の方に出てきたが、出し惜しみというわけではないのだろうけど、一本目のエアからどうにも不完全燃焼という印象を受けた。これは本人にも残念だったろう。
 それにしてもモーグルは見ていて楽しい。今風のノリといっていいのか、そんな雰囲気も面白い。しかしなんだろう、ロシアの選手を見ていて思ったのだけれど、もしもソ連時代だったらどうだったのかな、とか。もちろん、ロシアン選手も板の裏にコミック風のデザインなんかしてて現代風なのだけれど、エアの方は「テキスト通り」のタイプという。これがソ連だったら、ユニフォームもぴちぴちの軍服風で、板の裏なんかも模様無し、みたいな。それで、「うるさい音楽はやめていただけないだろうか」みたいな感じで、びしっとエアを決めて、会場を凍り付かせる、みたいな。得点が出たら、「祖国ウラー!」、みたいな。
 ソ連がそう来るなら、中国も対抗しなきゃいけない。雑伎団真っ青の超絶エアですよ。コブの間を疾走する様子はもちろんドラゴンのイメージ。それで、第一エアから第二エアまで直接飛躍するね(得点にならない)。それで「諸君らの居場所は、我々が二千年前に通り過ぎた場所だ!」みたいな。
 ……などと最近「バキ」など読んだせいで余計な妄想してしまったわけだ。が、しかし、現実も負けてはいないのだから仕方ない。若きIT長者の世界チャンピオン、アメフトと二足のわらじを履く将来有望のイケメン、大会で活躍して本当の両親を捜そうとする孤児、新技を持ち込んでエアに革命を起こした若者、さらには、兄弟、師弟なんでもござれ。スタイルも技重視から肉弾突撃系までさまざま。日本も、こういった連中に対抗するには、ジャニーズ所属で歌手と二足のわらじとか、峠の走り屋とか、北海道でオオカミに育てられた野生児とか、そういう選手が必要なのかもしれない(ニホンオオカミは絶滅済み)。
 で、決勝の方。肉弾系ベテラン親父ミコ・ロンカイネンが超絶スピードを見せて究極の26点台。これが競技の順番の中盤あたりで、これが決勝のハイレベル決戦を演出。同じくパワー系と見受けられたトビー・ドーソン(前出の孤児。パッと顔を出したとき、インパルスの堤下を思い浮かべたのはナイショだ)が二着に付ける。
 しかし、なんでしょう、最後の最後でまさに真打ち登場というやつでしょうか、デール・ベッグスミス。前述二者とは違い、手足が長く細い体型。これが美しく両膝そろえたターンでスイスイ滑降してきて、滞空時間の長い美しいエア。解説者の三浦豪太氏が「個人的な意見」と前置きした上でもらした「モーグルの美しさはターンの激しさとエアの静止の対比にある」という、緩急の美学。まさにそれを体現するかのごとき滑り。これが文句なしの金メダル。
 いや、見応えあったわ。そりゃ、時間が時間だけに眠さは襲ってきた。襲ってきたけれど、最後はぱちり目ェ醒めちゃったもの。あるいは、他の競技も興味を持って見れば、新しい面白さに出会えるのかもしれない。浅く広く、いろいろ見てやろうか。