頂の高さ

パラリンピック>メダル数が激減 表彰台への道険しく
http://torino.yahoo.co.jp/news?c=para&a=20060309-00000049-mai-spo

「がっかりはしたが、メダル数が多いために大会が軽く見られるのは腑(ふ)に落ちない部分もあり、今は良かったと思っている」

 パラリンピックで障害に応じて細分化されていたクラスが統合され、メダルへの道が険しくなったという話。見出しだけ見たら、日本選手団がオリンピック同様に苦戦してるのかと思ったら、総数の話である。そして、これを読んで亀田ついでにボクシングについての疑問のようなものに突きあたった。
 それはやはり、階級の細分化の話。もちろん、俺はボクシングファンでも何でもなく、ただ地上波で人間が殴り合っていれば見てやろう、くらいの門外漢だ。そんなのがボクシングについてとやかく言う筋合いはない。そもそも全部で何階級あるのかもよくわからなくて、ただ、スーパーとかライトとか色々付いていて、なんだか多いなという印象があるくらいだ。それで、さらには団体がメジャーで四つに他にマイナー色々となると、この門外漢には世界チャンピオンの頂の高さがちょっとよくわからなくなってくるのだ。世界チャンピオンって何人居るの、みたいな。
 無論、ボクシングの裾野が昨日今日出てきた格闘技とは比べ物にならず(それ故頂もはるかに高く)、さらに純粋競技性に特化した結果のことであろうとは想像がつく。つくけれど、やはり馬鹿で単純なのを好む俺のような人間から見ると、「最強感」が薄いのだ。最強の幻想感。
 むむむ、俺はなんだかんだ言って「最強の幻想」が好きなのか。そうかもしれない。あるいは、時代が時代ならば「キング・オブ・スポーツ」を名乗るプロレスの大ファンになっていた可能性が高い。とすると、やはり嘘でもいいから「人類最強」とか煽りに煽るプライドなど見て、「ヒョードルすげー」とか言ってるのが幸せなのだ。ああ、だから俺は亀田戦などを比較的楽しんで見られるのかもしれない。亀田の試合のどこまでがなんだとか言えるわけじゃないが、俺が楽しめる要素が盛り込まれていて、俺みたいなミーハーや暴力好きのすさんだ人間が多いから視聴率も高い。だが、それがボクシングにもたらすものと、害するもの。秤にかけてどっちに触れるか俺にはわからんし、やはり何も言えた義理じゃない。