流れよ我が涙、と金子真人ホールディングスは言った

goldhead2006-12-25

http://www.nikkansports.com/race/horseracing/deepimpact/p-rc-tp0-20061225-134730.html

「今の気持ちは、ふぬけになったような、悲しいような、寂しいような。でも、あと1年間走りを見守るには、私のハートは小さすぎた」。

 金子真人ホールディングスこと金子真人の言葉。「私のハートは小さすぎた」。この敗北感はすごい。俺はそう素直に受け取った。ディープインパクトという、日本競馬の歴史に大きく名を残す馬を持って、その喜びより恐怖に襲われる。
 俺はハートが弱い人間なので、その気持ちを想像すると苦しいのだ。俺は根っからの悲観主義者だ。不感症ではないが悲観症だ。正直なところ、俺はこの一連のディープインパクトブームの中で、いつもどこかで「予後不良になったらどうなるんだ? 競馬はどうなるんだ?」という思いがあった。引退を惜しむ気持ちはいまだに強いが、安堵がそれを上回りもする。縁起が悪いことだが、何があるのかわからないのが競馬だ。絶頂のサイレンススズカがどうやって死んだか、俺はよく覚えている。高いところから墜ちる分だけ、ダメージも大きい。俺は高い山に登ることを避けたくなる人間だ。
 もちろん、金子真人という人は、俺のようなワーキングプアもどきとは違う。大違いだ。才能も度胸も天運もある。そうでなければ、経済的に馬主の地位につくこともなく、多くの名馬を所有できなかったろう。ある意味、登りつめたような人かもしれない。しかし、その金子をして、恐怖に恐れおののく。それだけ、ディープインパクトは特別な何かだった。
 無論、これは俺の受け取り方だ。目先の金を優先しただけ、という論を否定するなにもないし、そう思う人を否定する気もない。もちろん、AかBかではなく、AとBの複合ということもあるし、我々にはうかがい知れないCの可能性だってある。
 それでも、俺はディープインパクトの存在が、それを所有する勇気すら怯えさせるほどのものだった、と、そう考えた方が、俺の競馬観に合致する。栄光は栄光だけで済まない。同時に苦悩がある、絶望がある。一つの判断で、すべての栄光が終わるときもある。恐ろしい話だ。恐怖だ。競馬は恐怖だ。ディープインパクトがターフを駆けていった光とは無縁のところで、俺は勝手に暗いところにいる。