マキバオーが帰ってきた!

goldhead2007-03-30

 発売後数日経って、コンビニの成年誌コーナーで立ち読みするような人によって立ち読みされて弱っている週刊プレイボーイって、あんまり買いたい気持ちは起こりませんよね。それでも私は昨日の夜、買いましたとも。言うまでもなく、つの丸による『たいようのマキバオー』が目的です。『みどりのマキバオー』の続編です。

 つの丸の画風、作風、作品に対する評価はさまざまでしょう。もちろん、マキバオーという作品を嫌う競馬ファンがいたっておかしくない。だけれども、そういう人だとしても、つの丸が競馬を知らない、つの丸は競馬を愛していない、とは言わないのではないでしょうか。私は『みどりのマキバオー』には競馬があった。『みどりのマキバオー』は競馬だった、と躊躇なく言えます。だって、そんな作者じゃなきゃ、主要キャラでもない逃げ馬に「ダイインフロント」なんて名前つけませんよ(→http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20051118#p4)。

 とはいえ、『みどりのマキバオー』が傑作だったからといって、時を経た続編がそうとは限らない。その心配はありました。が、蓋を開けてみたらどうでしょう。カンペキです、ペルフェットです。まさしく競馬があった。そして、アナウンサーの押しつけるマイク、吹き出しに隠されるベアナックルがいた。よかった、よかった。
 とりあえず、物語の中心になりそうな馬、フィールオーライが日本ダービーを勝ちます。誰の目にも明かですが、まさしくディープインパクト。そのディープの、もといフィールの熱狂に取り残されたようなオッサン(しまじま?)。この対比がいい。右ページ下段で「カスケードって……」と振っておいて、左ページ冒頭で「出たよ、マキバオー世代うぜぇ!」と落とす。これがいい。そして、競馬はフィール一色のようす。たった10年ですべては忘れ去れるのか、と。
 一見すると、単にディープインパクトブームを揶揄するような内容にも見えます。だが、ちょっと待ってほしい。つの丸はフィールに熱狂する観客も、相変わらずのハゲ裸体で描いた。決して今風の格好をした若者でも、勝負服レプリカに身を包むファンでもなかった。それは、マキバオーやカスケードに熱狂していたファンと何らかわらない裸の猿。私は、そこに意味があると思います。決して単なるブーム批判ではない、と。やがてフィールファンも服を着て、後の世代に「フィール世代、うぜぇ、それになんだか臭せぇ」って言われる日が来る、ということ。種牡馬として成功したのはカスケードとプレミアくらい。そう、そういう無常、競馬の無常なのです。
 とはいえ、現実のディープインパクトに、物語として紡がれるようなライバルらしいライバルはいなかった。その現実の補完、それもまたこの作品のテーマになっていくのではないでしょうか。あるいは、このフィールも当て馬にすぎないのかもしれない。そのくらいのことはやる作者だと思います。
 また、テーマとしてもう一つ、地方競馬があげられるのかもしれません。最後、ヒノデマキバオー(?)の出てくる競馬場は‘サラブレッドの終着駅’高知競馬。前作でもサトミアマゾン(先にザウスが無くなるとは)を、地方を描き、地方どころか草競馬(地方の意味でなく)まで描いたつの丸ですから、この選択にも意味があるのでしょう。そして、この高知の描かれ方が、ある意味残酷なのです。高知には行ったことがないけれど、他場販売時の川崎あたりには行ったことのある私が思うに、これはリアル。ここを始発とするわけです。もちろんやがて中央との光とまじわることになるのでしょうが、まあその過程、結果、さらには作中歴史。もう、ともかく興味は尽きない、毎週週プレ買っちゃおうか! とか、半ば本気で思っていますが、さてどうしよう。

 ああ、あと、レースシーンで騎手の手、それ見て、「ああ、マキバオーだ」と思ったもの。あの手綱の持ち方は競馬というか乗馬では常識で、いかなる競馬漫画でも同じなんだろうけど、つの丸の絵だと際だってて、力入ってていいよね、とか。