うらやましい名前

 自分の名前はバランスが悪くてあまり好きではない。俺がどんな名前がうらやましいかと言えば、「漢字二文字で本来訓読みだけれども音読みでも通る」名前がうらやましい。吉本隆明は原則「たかあき」だけれども、「りゅうめい」って読んでもいいだとか、そういうのだ。それが知識人っぽいとか、通っぽいとか、そういう背景には関係なく、二通り通じるのがいいのだ。二つあった方がいいって、何かのコマーシャルも言ってるし。それでもってやっぱりそういう名前を見ると音読みしたくなって、岩田康誠は「いわたこうせい」で変換できるように登録してある。あと、同じ「こうせい」なら、ヤクルトの小野公誠は「おのこうせい」と元から読むのだけれど、「きみなり」一個分を損している、などと勝手に思う。田面木博公はちょっと手におえない。こういう話になると、西郷従道http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%83%B7%E5%BE%93%E9%81%93)の名前に関する話を思い出さずにいられないが、西郷隆盛の方となると「りゅうせい」と読む話はあまり聞かないが、このころの名前と今の名前はまた別物だろう。西郷というと西郷南洲というのもあって、これでいくとたとえば「瑞山武市半平太」みたいに頭にくっつくと、半平太なのに瑞山という、やっぱり二つでお得感があっていい。でも、谷干城(たにたてき)も兵士に「かんじょう」と呼ばれることがあったと何かで読んだが、これは何か合わない感じもする。でも、二つばかりがお得感というわけでもなく、徳川斉昭(とくがわなりあきら)、島津斉彬(しまづなりあきら)とかも「ら」の分だけお得、という気もするが、それはどちらかというと源順(みなもとのしたごう)などに近いお得であって、何がお得なのかは研究の余地があるように思われる。何の話なのか自分でもよくわからないが、弱っているので。